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 ざわざわと、血がざわめくような感覚が体のあちこちを這う。
 さり気ない響きでもって付け加えられた文言は、人の“お母さん”になれるような年齢からしたら妙だろう、ということだろうけれど、年の離れたきょうだいというのは、差が開けば珍しいかもしれないものの、ありえないことじゃない――傍から見ればの話だ。
 それが自分で、更にはそのきょうだいの子ども、のような存在が、ひょっこりと現れたとしたら。

「わたしの、こと……ど、おもう?」

 もともとカサついて乾いた喉が、更にかぴかぴに水分を失ってひび割れそうな心地だった。

「……そんなに怖がらないで」
「ご、ごめ……」
「謝らなくったっていいわ。……正直に言うとね、私、あの人に対してはとっても複雑な思いがあるの。――私にとって、家族はお姉ちゃん一人っきりだった。お父さんもお母さんも早くにいなくなったの、ありすちゃんみたいに。これを言ってしまうと、そのままおじいちゃんとおばあちゃんがいないってことなるわね、急な話でごめんなさい」
「……う、ううん」
「なんとなく、分かってはいたのかしら」

 頷けば、哀さんは小さく息を吐いた。

「ふたり姉妹でね。家族であるということを知っていて、私のことを気にかけて、家族だと言ってくれるのはお姉ちゃんだけだった。そのお姉ちゃんもいなくなって、私は本当に一人ぼっちになって、他にも色々理由はあったけれど、死にたくなったし、本当に死のうとした」
「えっ」

 中身の割に哀さんはあっさりと言い放って、更には笑ってみせた。

「見ての通り、失敗したんだけれど。私がそんなことしてる間にも、あの人は今みたいに、仕事や、“やらなきゃいけないと思っていること”ばかり追っていたのよ。お姉ちゃんの恋人ってだけじゃなくて、もっと別の、それこそ他人とは言えない縁だってあったのに、私に連絡ひとつだってなかったわ。守るなんて大口叩いておきながら。そういう、難しい関係で繋がりが希薄で保とうとしない人を、手放しで好きにはなれないわよね」
「う、えと、えと……」
「わかりにくいでしょうけど、それは、まあ、なんとなくで聞いてちょうだい。そういう、私とあの人のことと、あの人とありすちゃんとのことは、無関係じゃないけれど、それが全てではないのよね」

 一度言葉を切って、哀さんはテーブルに置いていた器へと視線を飛ばした。

「このおかゆ。教えてくれたの、血の繋がらない、二人目のお姉ちゃんみたいな人なのよ。とっても、たまに馬鹿みたいに人が良くて、明るくて、強くて、他人のことを本気で救おうと思えて、そのために動ける人なの。自分を犠牲にしようとする悪い癖はあるけど……それは、私も人のこと言えないかしら……。ずっとそっけない、時にはつっけんどんな、良くはない態度をしてたのに、めげずに、いつでも優しく笑いかけてくれたの。私が寝込んだ時、彼女はこうしておかゆを作ってくれたわ。熱くて、美味くて――あったかかった」

 そうして浮かべたのは、先程までとは違う、自嘲の色のない、擽ったそうな笑みだ。少し幼げで、顔の造りに合う年相応なもの。

「血の繋がりって、無視しきることはできないけれど、たまにちっぽけだったりするの。あったからといって必ずしも仲良しにはなれないわ。でもそれと同時に、もし本当の家族じゃなくっても、家族みたいに大切に思って大事にすることは出来るのよね。それ以上にだって。
 ――私、ありすちゃんに彼女と同じことをしたいと思うわ。そして、私がそうすることで、ありすちゃんも同じような気持ちを持って欲しいと思う」

 それがどんな“気持ち”なのか、というのは、向けられる表情で聞かずとも分かる。

「まあ、立場的には私はおばさんになっちゃうんだけど、できれば、あなたのお姉ちゃんみたいになりたいわ。あなたがお姉ちゃんの方がいいなら、妹に。家族と違う形なら、先輩や、あるいは友達に。ひょっとしたら、親友に」

 ほんのりと色づいた頬を和らげながら、哀さんが小さく首を傾げる。さら、と、赤みのある茶髪が揺れた。

「どう? 答えになったかしら」

 頷くと同時に溢れたものを見て、哀さんは困ったように眉を下げた。それから、床に落っこちていた先生を拾い上げてわたしに向け、そのふわふわの腕を持ち上げてみせた。

「先生も心配してるわ。ほどよく冷めたみたいだし、しっかり食べて、お薬飲んで、早く治しちゃいましょ。また一緒に遊びたいわ」

 どちらかといえば先生はこの情けなくてみっともない顔をぷすぷす鼻で笑いそうな気がするけども、うんうんと頷いておいた。その、空気を和ますような言葉からして、哀さんはこれについて、悪くはない意味で捉えてくれたはずだ。
 思考も顔もぐしゃぐしゃで食べたせいで、いっそ重湯にすら感じられたけど、柔らかなだしの香りと優しい塩の味が、舌の上でじんわりと広がり、飲み込めば空っぽのお腹によくしみた。


 食事と服薬を終えてまたうつらうつらしだしたわたしを横たえさせ、哀さんは、わたしが眠ってしまうまでわたしの頭を撫で続けてくれた。
 その胸のうちにあるものが伝わるように、わたしに注ぎ分け与えてくれるような、慈しみによるものだったはずなのに、それが嬉しくて、わたしもくれるだけのものを受け取って応えたいと思ったはずなのに。

 その目や手つきを、知っている。
 顔つきを、優しい声を。
 似ている、と感じてしまった。

 持っているはずのないものが湧き出て、動かす気なんてなかった唇が動いたのだ。
 自分の意思を全く介さずに紡がれた音が耳を打って、ぞわりと背筋を這い上がる感覚は、上がった体温を根こそぎ蒸発させて全身をさっと冷やし、震えさせるのに充分だった。

 “――ママ”


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