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「おかあさん」

 いつの間にか英語に切り替わっていた三人の声がぴたりと止まり、三人ともわたしを注視した。
 そして、工藤さんがわたしの手元を見やり、ああ、とどこか安堵したように言う。

「mother」
「……ち、ちがった……?」
「いや、合ってるよ、正解」

 苦笑されてしまった。
 ひとまずキャラクターの方を塗り終わったので、その隣にあったアルファベットの並び替えクイズみたいなものを、なけなしの英語力を使っていくつか埋めていた最中だったのである。
 大人の半分どころか今のわたしは秀一さんと比較すると十分の一も生きていなさそうだなあ、なんてピコピコした考えがとっさに頭に浮かんだけれども、出題としてはゲームじゃなくそっちの意味だろうと、さすがにこれは分かるぞーと浮かれてつい口に出してしまった。話を中断させてしまって申し訳ない。
 しかし簡単な知ってるはずのものでも、人に改めて聞かれたり疑問を投げかけられたりすると途端自信がなくなるもので、埋めきれないマス目もあるのにまさかこれすら間違えていたのかとちょっぴり焦った。

「こっちは××××××よ」
「たにぷ」
「カブのこと」

 わたしの顔を見てこりゃ通じてないぞと分かったのか、哀さんが使っていなかった緑色のクレヨンを取って、きれいな字で“turnip”と紙の隅に書いてくれた。見覚えのない綴りだ、知らない子ですね。
 マス目の傍には絵があったのだけれど、完全に大根だと思っていた。かと言ってそれも知らなかったり。

「あの」
「なあに?」
「えと、だいこん……は?」
「英語で何ていうかってこと? ××××××よ」

 turnipの隣に“radish”と書きながら哀さんが笑う。

「でも、おでんやおろしにする長いもののことを指すんだったら、Japanese white radishって言ったほうがいいかもしれないわ。radishだけだと、こういう酢漬けにするもののイメージが強いから」

 哀さんは赤色のクレヨンを手にして、カブの横に丸っこいトマトのようなものを描いてから、また緑に持ち替え、その頭にほうれん草のような葉っぱをつけた。
 言われてみればそういう種類があった気がする。二十日大根だったかな。やっぱり普通とは用途が違うのだろうか。自分が料理で扱った覚えがないからさっぱりだ。

「らでぃしゅ……」

 でも、それとは違うところ、別のどこかで聞いたことあるような。首を傾げていたら、工藤さんが苦笑を漏らした。

「……まあ、変わった名前の人ってのはどこにでもいるもんだから」
「あなたが言うと説得力があるわね」
「レッドウッドだったか? 刑事でなく検事のほうが似合いそうだ」

 秀一さんがフッと小さく息を吐きながらそう言ったことでようやく気づいた。ラディッシュ警部がうんたらかんたらと、工藤さんがついさっき言っていたんだった。そりゃ聞き覚えもあるはずである。
 しかし、子どもに大根と名付けるセンスはちょっとよくわからない。なんだか太っちょで演技が下手な子になりそうだ。


 そんなこんなで時々構われながら、英語の混じるオトナの話し声に耳を傾けつつ手を動かして、教えてもらいまくって並べ替えクイズを埋めた後、今度は縄跳びが絡まったような迷路をなぞり、クリアしそうになったところで料理がやって来た。

 サラダやスープ、ピザにパスタに何かのお肉。わたしの前に置かれたハンバーガーは、キッズメニューという割には大人でも普通の胃なら満足しそうななかなか立派なサイズで、どっちがメインなんだかわからないほど山盛りのつけあわせのポテトまで入らず、ほとんどを工藤さんに食べてもらうハメになった。
 哀さんはサラダとパスタをちょこっと、秀一さんはピザをひと欠片ふた欠片ほどつまむと後はずっと飲み物ばかりで、テーブルにあった殆どの料理を工藤さんが平らげた。元気な男の人は胃の容量と燃費が違うんだな。いやそれを言うと秀一さんはあまり元気でない若くない人みたいな感じになってしまう。
 そんなわけではないのだけれど、秀一さんはご飯のときいつも、さして美味しくもまずくもなさそうにほどほどの量を食べるのだ。ほとんど同じペースで口に運んで咀嚼して、感嘆の声をあげたりだとか、顔を綻ばせたりなんてしないし、文句だって一言も漏らさないのである。食事にあんまり執着しないというか、興味がないのかもしれない。わたしに続いていただきますと言った秀一さんに工藤さんも哀さんも目を丸くしていたので、二人といるときは、今よりもっと素っ気無い食べ方をしていたのかも。煙草のほうがまだ楽しんでいるような気がする。
 もったいないなあ、なんて思いもするけれど、わたしには煙草の美味しさがわからないし、人それぞれって言うしなあ。

「やみ……やみー、でした」

 それでもわたしにとっては美味しいものだったので、とりあえず感想と、お礼を言っておく。そういうのを伝えるのは大事だってばっちゃが言ってた。いつもご飯のときは口にするように心がけているのだ。

「……そうか」

 だよねーまじそれーと賛同したりはしなかったものの、秀一さんはわずかに目元を緩めて、わたしの頭を撫でてくれた。
 なにより――それがちょっぴり、楽しみというか。嬉しかったりするのだ。

「へへ」

 秀一さんも、ほんの少しでも、楽しい気持ちになれただろうか、なんて。


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