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 秀一さんは十六時半頃に帰ってきた。
 脱いだジャケットを片手で掴んで肩に引っ掛けたその姿を見つけ、キャメルさんが、それまで座っていた秀一さんの椅子から慌てたように立ち上がった。
 そのキャメルさんの様子や、キャメルさんに対しての秀一さんの態度からして、キャメルさんは秀一さんの後輩さんなのかもしれない。別に椅子くらい借りててもよさそうな気がするんだけども、警察は体育会系とも聞くし、意外と上下関係に厳しかったりするのだろうか。そういう世界に縁がなかったわたしには想像がつかない。
 キャメルさんの、表情を引き締めぴっと立って出迎えるさまは後輩というより舎弟のようにも見える。オツトメご苦労様です……はちょっと違う?
 わたしが見た限り、秀一さんと関わる人の中には、ジョディさんのようにフランクで対等な間柄に見える人もいれば、キャメルさんのように萎縮した風の人も結構いる。何気に秀一さんはえふびーあいでそこそこのポジションにいたりして。

 秀一さんはやや荒い足取りでデスクまでやってくると、キャメルさんに短く声をかけ、ジャケットを背もたれに掛けてからぼすりと椅子に座り、足を組んで、小さく息をついた。なんとなく機嫌がよくなさそうに見える、ような。
 外で吸ってきたのか、ほのかに煙草の匂いが漂う。どうも建物内、すくなくともこのフロアは禁煙らしいので、いつも仕事中にはしない匂いだ。
 それから秀一さんは、キャメルさんといくらか英語でやり取りをしたあと、日本語で「どうだった?」と聞いた。

「特に問題はありませんでした。一緒にお絵かきをしてましたよ」
「ホー……」

 あれから結構トライアンドエラーを繰り返したから、デスクの上にはちょっとした紙の束が出来ていた。凭れさせていた上体を椅子の背から離して、その束の一番上を覗き込んでから、秀一さんはわたしを見下ろした。

「なかなかだ」
「あの……それ、自分が描いたもので……」
「……」
「……」

 肩を丸めて申し訳なさそうにするキャメルさんと一拍見つめ合ってから、秀一さんは何事もなかったかのように紙をめくった。
 ぱらぱらと数枚下、明らかに絵柄の違うものが現れたところで手を止める。

「ニワトリか」
「そうです! よく分かりましたね」

 反射的に声を上げたキャメルさんが、しまったと言うようにわたしの顔を見る。いや大丈夫です。それわたしも思った。

「ブタ、ウシ、ヒツジ、イヌ、ネズミ」

 おお、と思わず拍手してしまった。それに釣られてか、キャメルさんもぱすぱすと掌を鳴らした。
 秀一さんはそれをちらりとだけ見て、視線をまた紙へ戻した。とんとんと、ノックをするような形で、指の背で紙を叩く。

「入り抜きや筆圧、インクの滲み具合、軌跡やら紙の具合やらで、意図した線とそうでないものの区別がつく。後者を排すれば核となるものが自ずと浮かんでくるだろう。描き手のパーソナリティや興味の傾向も考慮に入れ、その構成要素を一般的にデフォルメして捉えられやすいものと照らし合わせて絞り込めば、何を表したがったのか導き出すのは容易い」

 そう言いながら、秀一さんはぱらりと複数枚を無造作にめくった。出てきたのは、とっても見覚えのある一枚。そこに並んだ三つの塊を、秀一さんは左から指し示していく。

「ネコとシマウマ、それでこっちが――」

 そこで、淀みなく発されていた声がぴたりと止まった。
 薄い唇を閉じ、右端の塊をじっと見つめる秀一さんの傍で、キャメルさんがそわそわと身じろぎをする。声をかけようかどうか迷っているらしい。その視線は、わたしと秀一さんとの間を行ったり来たりしている。

「……」

 秀一さんは、しばしの悩むような間のあと、先程と変わらないトーンで言い放った。

「ハチワレのスコティッシュフォールド」

 急にものすごく限定された生き物になった。
 えーとえーと。

「せ……せいかい……」
「えっ」
「すこ……です」
「でもありすちゃん――」

 そんなアホなといったキャメルさんの表情を受け、秀一さんは「やはり違うか」と漏らして、更に険しい目つきで紙面を睨み始めた。
 わたしが描き散らかした下手くその極みような絵ともとれない線の塊を、あたかもあの、小さな英字ばかりの難しい書類を読むようにされると、ちょっと恥ずかしさが尋常でない。穴があったら入りたい。デスクの下でもいいので潜り込みたい。だめですか先生。だめですか。そんなんしてもなんもならん、ぐう正論。
 沈黙すること十数秒、体感は三時間くらいの地獄の間のあと、キャメルさんが見兼ねたようにして、大きな体を縮こまらせながら秀一さんの耳元に顔を寄せ、掌を添えて耳打ちの体勢を取った。しかしその声はしっかりばっちり聞こえてしまった。
 “赤井さんですよ、アレ!”
 ……こういうときこそ英語を使って欲しい。多分シチュエーションと内容の単純さも相まって分かっただろうけど。
 秀一さんの眉が僅かにぴくりと跳ね、同時にその下の瞼が、いつもより少しだけ大きく開かれた。

「……俺を?」

 視線を向けられて、わたしは思わず首を振った。

「ち、ちがう、すこっしゅふぉー」

 あなたがスコティッシュフォールドと言ったから今日はスコティッシュフォールド記念日、こいつは今日からスコティッシュフォールド。なんならわたしもスコティッシュフォールド。
 そんな気持ちでブンブン首を振るも、効果はイマイチ。秀一さんは小さく眉根を寄せて、悪い、と言った。
 まさか謝られるなんて思っていなくてあたふたしてしまう。

「あの、えと……しゅぎょーぶそく、だった……」
「……素質はある。それが分かっていればいずれ上手くなるだろう」

 ぽん、とわたしの頭を撫で、ちょっぴり言葉を選んだようにして、秀一さんはそう言った。
 や、優しさが傷に染みる。


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