02

 事実は小説より奇なり、とは言うものの、その“奇”に当てはまりそうな事柄を体験したことなど、今までこれっぽっちもなかった。
 初めてがこれはちょっとハードモードすぎませんか。

 気がつけば、いつの間にか、どことも知れない場所に立っていた。
 面白みもないありがちな三文小説みたいな文言ではあれど、それがそのまままるっとわたしの状況だったのだから致し方あるまい。
 なんだ一体何がどうなってそうなった、わたしはただ毎日のルーチンワークを終えてベッドに入っただけなのに。そんな事を思いながらひとまず歩いてみると、やたら周囲の建物が高い――というか、目線が低くなっていることに気づいた。両手を掲げてみれば美味しそうなもみじのてのひら、見下ろしてみれば所謂キューなんとかちゃん体型が目に映った。
 それはちょっと置いておこう。
 あんまり突拍子もないことが起きると人間は理解を放棄したり受容を拒んだり問題解決を先延ばしにするというのは本当なんだなあというのが、わたしの抱いた小学生並の感想なのであった。まる。
 イマイチなにも考えられずにうろうろと彷徨っていると、そもそもから少し傾いていた日があっという間に落ち、辺りは真っ暗になってしまった。
 隙間なく並ぶ階段付きの四階程度の建物に、道路の両脇にずらりと停められた車たち、歩道の端に転々と植えられた街路樹。
 全体的に四角くて、石なんかを使われていそうで、建物によっては上部が半円形になった入り口もあるそれらが、一体なんという建築様式なのかは知らないけれど、明らかに日本のものじゃない。そういうオシャレ様式のエリアに迷い込んでしまったのかとも思ったら、並ぶ車はちょっぴり古臭くも感じる、おじさんが好きそうな普通車やジープで、ナンバープレートのレイアウトが違うし、どう見ても品川や世田谷や練馬じゃなかった。

 思ったよりも早く全身が疲れを訴え始めたので、近くの柵の傍にしゃがみこんで、どうしたものかなあ、なんて考えていたら、ふいに誰かの話し声が聞こえて、更にはわたしのほうに足音が近づいてきた。
 足音は、わたしの目の前に靴がやってきたところで止まった。男物の、履けば本来のわたしでも余らせるだろう、大きな靴。そこから伸びるのは黒いスラックス。さらに上には黒いシャツとジャケット。それらを着ているのは、一人か二人ぐらいは余裕でやっちゃってそうな、目付きというか人相の悪い男の人だった。
 ひゃ。
 という声は、うっかり、いや、しっかり出なかった。
 男の人はさっとしゃがんで、わたしのことを視線で殺してやるぐらいの勢いで見てきた。口もとには煙草をくわえていて、それから薄くゆらゆらと煙が立ちのぼっている。

「……」
「……」
「…………」
「…………」

 じい、と、穴が空くほどというのはこういうことを言うんだろうか。意外と文学的表現ってのは馬鹿にならない、やられてみればまさにそんな気持ちだ。
 男の人は、片膝をついて、もう片方の立てた膝に肘を乗せ、まるで新種の生物を見つけたか、はたまた考古学的に重要な遺跡でも見つけたかといった様子でわたしを頭のてっぺんからつま先までじろじろ観察して、それからひとこと、ぽろりと漏らした。

「…………あけみ」

 こんな異国風の町並みの中、緑色の瞳の人が出した言葉が、めちゃめちゃ日本人的な名前でした。それもわたしとちゃうんです。いや名前とも限りませんよね。どうすればいいんですか先生。頭の中の先生は知らんがなと言って消えていった。ちくしょう。
 男の人は、それからぐっと眉根を寄せて、煙草を指に挟んで口から離した。

「××××××?」

 何を言われたんだか分からなかった。

「×××××××。××××××? ××××××××」

 男の人の口から出てきたその音は、どうにも聞く限り、わたしが死ぬほど苦手な英語のようなのだ。
 聞き取れるわけがないし、ましてや答えられるわけがない。外国人に道を聞かれても海外旅行に行っても日本語でごり押しする人間だぞ。

「……?」
「×××××、××××××××××××××?」
「…………?」
「……××××××。×××××××××……。××××××××××。××××××」

 何やら考え事をするよう顎に手を当てたあと、男の人はそう言うと、再度煙草を咥えて、わたしの両脇の下に手を差し込んできて、さっと抱え上げてしまった。片腕に座るような形になって、肩になかなかしっかりした胸板が当たる。

「!?」
「××××。××××」

 私に何かを言うと、男の人は電話を取り出して、英語で頭の痛くなりそうなくらい滔々と喋って切った。

 それから、あれよあれよという間に、男の人のものらしい車に乗せられてしまったのである。
 ……まさかこれは誘拐? この人ロリコン?


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