20

 書店を出てしばらく、あちこち足を伸ばす秀一さんの腕の中からぼんやり周囲を眺めていたら、昨日とは別のところにもその目立つカラーリングの看板が見えたのだ。


 ――きゅる。

 音自体はそう大きいものではなかったけれど、体勢的に明らかに100パーセントしっかりばっちり聞こえてしまっただろう。その証拠に、ゆるやかに流れていた景色はぴたっと止まった。

「腹が減ったか」
「ち、ちが……」
「……そこにしよう。ちょうどいい、そろそろ昼だ」
「…………う」

 ウ、ウン……。
 恥の多い人生現在進行形、恥かき村の恥かき合戦……。
 頷くので精一杯、目を合わせられなくて俯いたら、またさっきまでと同じように体が揺れだし、ほどなくして、空気が少し変わり、がやがやと賑やかになった。
 漂うのは美味しそうな独特の匂い。

「どれがいい?」

 見えるか、と促されて顔を上げた先、注文口らしい横にひとつながりになったレジの上には、書かれた文字は読めないものの、なんとなく見覚えがあるようなデザインのメニュー表が並んでいた。
 鮮やかな写真は馴染み深さも感じる。想像通りのそれに、お腹がもう一回きゅうと鳴いた。

「分かるか? 気になるものは?」
「えと……えと……」
「なんでもいい」

 あれ、と指差すと、秀一さんは頷いて迷いなく台の方へ向かい、さくさく注文を済ませた。


 包装を開けるのにもたついていたら、向かいに座った秀一さんがひょいっと取り上げて、食べやすい形に整えて渡してくれた。

「あ、ありがと、です」
「いや」

 わたしがいただきますと言うと、少し遅れて同じように呟いた秀一さんが、自分の分の包装もちゃかちゃかと解いて中身に口をつける。
 それに倣ってかぶり付いたハンバーガーは、心なしか大きいだけで味も想像通り。
 けれどこのお店は、ドナルドさんの息子ではなくウェルカムバーガーと言うらしい。Mだと思ったらWだった。
 お腹が鳴る前、思わずマック、と呟いてしまって、秀一さんに首を傾げられてしまったが、そりゃーバーガーしか被ってないのだからそんな略称もないだろうし、なんじゃそりゃって感じだっただろう。それでも私の視線を辿ってここに入ってくれたのである。

「来たことがあるのか」
「え」
「ここではないかもしれんが、ここと似たような店に」
「……た、たぶん……」

 マックのこと? あいつ、今ごろどこで何してんだろな……。
 今度同窓会すんだよ会ったら驚くぜーなんて言ってくれるわけでもなく、秀一さんはフーンってな感じにさして興味なさそうな顔で、視線はわたしに飛ばしながらもバーガーをかじる。
 男の人にしては口が小さい気がするけれど、食べる速度はなかなか早い。わたしが一口モクモグしている間に二口も三口も食べてしまう。秀一さんはそこそこ大きなバーガーをぺろりと胃に納め、セットのポテトに手を付けはじめた。なんとなくこういうところにこなさそうな雰囲気があるし、怖い顔してポテトを一本一本摘んで食べる姿はちょっとシュールだ。
 ポテトをぴょいっと唇に渡し、フリーになるとトレイの方へ取りに戻り、また運んでいく。働きアリのようにせっせと往復するその手の動きを目で追っていたら、不意に摘まれたポテトがわたしのほうに向けられた。
 矛先はわたしの口。開けば飛び込んできそうなほどすぐ近くに突きつけられている。

「……」
「……」

 た、食べてどうぞってことなんだろうか。物欲しそうに見てたつもりはなかったのに。
 ちょっぴり迷って、ぱくっと咥えたポテトは、塩味が効いていて美味しい。
 お礼を言うと、ああ、とそっけない返事。

「……あの、たべる……?」

 代わりにわたしのセットについてきたりんごはどうかと器を少しだけ秀一さんの方に寄せてみたのだが、

「いらん」

 ばっさり一刀両断されてしまった。等価交換の法則破れたり。ちょっとショック。

「ご、ごめんなさい……」

 調子に乗るなとな。いやどっちにしろこの人が買ったものだしな。すごすご引き下がって器を引き、いたたまれなさを持て余したまましゃりしゃり齧っていたら、向かいからため息が聞こえてひやっとする。

「……」

 そろそろーっと目だけで見上げれば、秀一さんが少しだけ眉根を寄せていた。お、おこなの?
 大きな手が伸びてきて思わずビクついたけれど、その手はわたしまで届かず、すいっと手前で高度を下げた。

「…………やはり貰おう」
「!」

 どうぞどうぞと器を押し出せば、今度はそこからひとつ摘んでくれた。

「……さっきのは俺に気を遣わんでもいいという意味だ。謝ることじゃない。ポテトも食べたければ好きに取れ」

 そう言って、秀一さんはポテトの入れ物をわたしの近くに置き、軽くりんごを齧った。うーん英語もだけど日本語も難しい。
 お言葉に甘えて恐る恐る一本取ってみるのを、秀一さんは黙って見ていた。

 ずずっと吸った牛乳もなんの変哲もない、飲んだことのある味。
 そのケースにプリントされているのは、どこかで見たことあるような、カラフルでひょうきんな表情を浮かべたキャラクターだ。でも店の名やメニュー表と同じく、わたしに覚えがあるものとは細部が異なって、全体的に違和感のあるデザイン。

 ――実は、似て非なる世界に迷い込んじゃってたりして。

 なんて、そんなまさか。


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