16

 食後、秀一さんはわたしをソファに座らせてテレビを付けると、自分はダニングチェアに座ってテーブルでノートパソコンを開き、煙草を吸いながら何やらカチカチカタカタし始めた。
 大人しくしてたほうが良いのかなあと思ってテレビを見ているけれど、時々秀一さんの視線が飛んでくる。
 わたしになにかあるのかと首を傾げてみても、秀一さんは何も言わないし、ちょっとしたらフイと目をそらしてしまう。な、何なんだろう。

「……」
「……」
「…………」
「…………」

 いい人であるとはいえ、よくは知らない男の人と一緒にいるのは緊張する。
 しかも、もともとおしゃべりな質じゃないのか、秀一さんは必要なこと以外あんまり喋らないのだ。本人はそれが普通なのかもしれないけれど、なんだか沈黙が痛い。
 ジョディさんみたいに話題を振れば乗ってくれるのかもしれないとは思うものの、今のわたしじゃ――そもそも今じゃなくても、そんなに上手い話はできそうにないし、いざ秀一さんと面と向かって話すとなると、緊張で元々動きの良くない口が余計回らなくなるイメージが余裕で想像できる。
 そわそわしながら、一昨日にもやっていた、カラフルなキャラクターがよくわからない動きをするアニメーションを眺めていたら、不意にパタンと音がした。
 音の方を向くと、さっきまで秀一さんが見つめていたパソコンの画面が、ぺったりと机に伏せていた。作業が終わったのだろうか。
 秀一さんは、短くなった煙草を灰皿に擦り付けると、わたしの方へと歩いてきた。
 それから、わたしの隣、まだたっぷり余っていたスペースへと腰を下ろしてくる。その重み分沈んだ座面につられて、わたしの体もちょっと揺れた。

「つまらんか」

 秀一さんが、わたしを見下ろして、そう聞いてくる。
 な、なんでバレた。

「そ、そんなこと……」

 ぶんぶん首を振ってみたけど効果はイマイチだったようだ。秀一さんはリモコンを手に取るとプチリとボタンを押して、テレビを消してしまった。

「興味がないのならそれで構わん。無理して見るようなものでもない」
「ごめ……ごめん、なさい」
「責めてはいない。――何か他にしたいことはあるか?」
「え、えと……えと……」

 したいこと、と言われても、何が出来るのかもわかんないのだ。パッと思いつかない。
 うろうろと視線を彷徨わせるわたしを見て、秀一さんは、顎に手を当てて、ふむ、と声を漏らした。

「では散歩に行こう」
「さんぽ……」
「いやか?」

 違う違う行きたい行きたいと慌てたわたしを、秀一さんはひょいと抱えて、寝室へと連れて行った。
 隅に置いていた紙袋から、昨日買った服を取り出してタグを外すと、わたしに手渡してくる。

「ひとりで着替えられるか」

 頷けば、秀一さんはわたしの頭にぽんと手を乗せて、終わったら出てこいと言い、扉を少しだけ開けたままにしてリビングへ戻っていった。
 渡されたのはカラフルな花柄のトップスに、それとはまた違った種類の花柄のスカート。
 う、うーん。柄アンド柄、ガラガラ。
 持って帰ってきた中には、無地のスカートやイラストが付いているだけのシンプルなトップスもあったような気がするようなしないような。
 いや別に文句とかじゃないんだけれども、秀一さんはあんまりそういうのに頓着しないらしい。全身真っ黒だもんなあ。


 秀一さんは、もたもたしながらもなんとか着替えたわたしの姿を見て、ちょっと服を整えると、これまたひょいと抱えて外に出た。
 おろしたてのピンクの靴はあんまり活躍しなさそうだ。ぷらぷら揺れてるだけの飾りみたいなもんである。

「見たことがある場所や人があれば教えろ」

 そう言って、秀一さんが昨日とは反対方向に歩き始めた。
 なるほど、これはおうち探しも兼ねているらしい。
 でもこのあたりを徒歩で回ったところで何も見つからないと思うなあ。
 わたしが住んでいたのはもうちょっとこう、ビルだけでなく木造建築もあって、唐揚げの美味しいお弁当やさんや休日には人が並ぶうどん屋さんや、そこらへんのおっさんみたいな名前のドラッグストアなんかがあるような場所なのだ。
 家族も知り合いも海外旅行が趣味の人間はいなかったから、ここですれ違う可能性というのもかなり低いと思う。
 しかし、それを言える雰囲気でもないし、どう言って良いのかも分からない。言ったところで、じゃあそれはどこなんだと聞かれたら困ってしまう。

 ――思い出せないのだ。わたしがいた場所が、どこだったのか。

 確かに日本ではあったはず、景色だって脳裏に描けるのに、どの県のどの町の、なんという名前の場所だったのかが、どう頑張っても思い出せない。
 記憶の引き出しが開かないどころか、その段だけぽっかりなくなってしまったかのように。
 なぜなのか考えて、それもわからなくて、じわりと汗が滲む。少しだけ早くなった鼓動を落ち着けたくて、そばにあったものを掴んだ。
 黒いレザーの、ジャケットの襟。

「どうした?」

 ふるふると首を振ったわたしに、秀一さんは不可解そうにぱちりと瞬いた。


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