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 まるで、と言ったのは、赤井にとっては未だ少年とも言える男だった。

 現在目をつけているものに類似した遺体が新たに発見されたと、報告を受けて赤井が現場に向かったのはつい数時間前だ。
 そうして辿り着いた現場であるコンドミニアムでは、報告を中継した同僚と市警の他にも、赤井が見知った顔の、生きた人間がいた。

「ほんとに赤井さんだったのかよ!」

 何故かひどく驚いた様子でそう言ったのは、先の事件で組織の打倒のため赤井と共闘した日本の少年だった。その連れであると同時に縁ある少女も、遺体のある部屋の中で、壁際に凭れかかるようにして立っていた。
 十年前にも捜査の際にも、赤井が日本にいた僅かな間にですらかなりの頻度で何らかの事件に遭遇していた少年だ、もしや今回もまた彼が絡んでいるのか、と考えかけた赤井だったが、どうやら少年は知り合いの警部を見かけて追ってきた、いわば野次馬のようなもののようだ。前回の現場にたまたま居合わせてお得意の推理を巡らそうとしたところ、赤井の手配で管轄が変わったことでそれが叶わなかったのが、少年の興味や意地をますます強める結果になったらしい。
 赤井に馴れ馴れしく話しかける少年に顔色を悪くしていた警部は、少年と赤井が知己だと知れると緊張を解くように息をついて、更には事件についてかなり協力的になり、惜しみなく情報の提供を行った。
 聞けば警部と少年の母親が知り合いで、かつ少年の父親が執筆した作品のファンでもあるのだという。そのうちの映画化した一作品の主人公のモデルが赤井であることが、警部にとっては随分と衝撃的な、そして好意を抱くに充分な事実だったようで、それと少年との親交とが、赤井への警戒心を解きプラスの評価を下す大きな要素になったらしい。本題に入る頃には、はじめFBIのジャケットを羽織って訪れた赤井に対して発していた、やや敵対的とも言える雰囲気は微塵も残さず霧散していた。

 今回は違う、というのは、報告を聞いていたこともあり、かつ部屋に入ればすぐに分かった。排泄物や吐物に加え、タンパク質が焼けた際に発生するひどい悪臭が充満していたのだ。
 遺体は二つ。一方はこれまでと同様、腹を裂かれた女のもの。もう一方は、おそらく死後に半端に焼かれたもので、体格と焼け残った部位の様子から言って男。
 少年が言及したのは、後者についてだ。
 遺体の頭部に銃痕があった。恐らくそれが直接の死因だ。それから男の右手は、いまいち焼け切れていない下半身に纏った、ボトムのポケットに仕舞われていた。
 ――それを見て、少年は、まるで赤井のようだ、と言ったのだ。正確には、赤井に見せかけた遺体のようだと。
 全く燃えていない、というよりも当人が穿いたのではなく他人が後からわざと穿かせたような衣類が示唆的だ。それだけならまだしも、断りを入れて引き出してみれば、ほとんど焼け跡の見られない右手は、ひとつの錠剤を握りしめていた。赤と白のカプセル。見覚えがあると思ったのは赤井だけでなく、少年も、そして少女もだった。
 壁際から赤井たちの様子を伺っていた少女は、その掌の上のものを目にとめるとさっと近寄ってきて、赤井が摘み上げて掲げたそれをまじまじと見つめ、「間違いない」と言った。
 つまりはそういうことだ。
 一連の殺しには、この薬をくすね保持する者が、そしてこの殺しや、焼死体の生業であった盗難車の解体販売等についての資料に、事実を曇らせる手を加えた男が関与している。
 そうして己の存在を示すということは、男らは、あるいはどちらか一方は、これまでよりも露骨な行動を取る方針へと切り替えようとしている。

「ボウヤ、きみは彼女と一緒に帰れ」
「ええ!? 赤井さんまでそんなこと言うのかよ」
「ホテルには優作さんがいるんだろう? もし気になるのなら、彼に彼女を任せてからもう一度来い。――彼女を頼む。俺の代わりに」

 赤井が真剣な眼差しを向けて重々しく言えば、少年はやや緩んだ不満げな表情を瞬時に引っ込めて、深刻な顔つきで頷いた。加えて肩を叩かれると、少年は歓喜をも滲ませて胸を張り、任せろと言わんばかりの態度で、使命を帯びた者のような佇まいになった。
 そういうところが、赤井がまだ少年を“少年”と見做し、“ボウヤ”と呼ぶ所以の一つではあったが――それは別段取り上げて口にすべきことでもなし、本人にも他人にも告げたことはない、その必要もないと、赤井の数多ある秘めた思考のうちの、ほんの僅かな一欠片であり、完全なる余談である。


 赤井の予想は当たり、男らは間もなく動いた。もう既に動いていた、という方が、より真実に近しい。
 しかし、同僚に任せている間に子供を掠め盗られるとは、赤井も想定していなかった事態だった。
 ――手落ちだ。
 あくまで目的は赤井自身であり、よほど無防備にしない限りはそう強引に手出しをしてはこないだろうと考えていたことも、言い含めた男を監視につけているから、会議の間くらいは大丈夫だろうと高を括ったことも。どうやら赤井は知らず、男とその周囲に対して些かの過小評価をしてしまっていたらしい。回復不可能な事態ではないにしろ、らしくない、という思いはある。
 赤井は、己をなす機構のいずれかが、ほんの僅か狂っているような、座りの悪さを微かに感じた。

 職場の車のうち、一番使い勝手の良さそうなものを選んで乗り込み、男が向かっただろう場所を目指して走らせる。アタリを付けるのはさほど難しくなかった。向こうとしても赤井を誘き寄せることが目的なのだろう、行方を晦ますには杜撰な点が散見された。
 車を飛ばし始めて少しの時間が経つと、赤井の端末へぽろぽろと断続的に報告が入ってきた。あの焼死体は見立て通りフェンスに関わる男だったこと。女の方の遺体には例の薬を使用された可能性が高いこと。同僚の男は薬を所持していたこと。やはりこちらの情報を犯罪者らへ流し、彼らについては改竄をしていた、所謂内通者であったこと。上司の方は以前からであるが、男が手を付けたのは比較的最近であること。男が数年前に配偶者を胎児ごと亡くしているのは、赤井も既に知る事実であった。
 目的地まで半ば頃、着信を鳴らしたのはジェイムズだ。邪魔になる男の足止めと、赤井のバックアップに手を回しているという。

『赤井君。そちらの心配はあまり要らないとは思うが――無事に連れ帰ってこられたのなら、ちゃんと“確認”をするように』
「……はい」
『かたちというのは意外と大事だからな』

 では、と言ってジェイムズはあっさりと通話を切った。
 ほんの少しを道取りを決め車体を制御することに割きながら、今後の段取りを確認する目的で思考を巡らす赤井の脳のうち。
 どこかで、少女と子供の声がリフレインした。


 ――あの子、泣いてたわ、“ママ”って。

 ――“おかあさん”



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