sprout

 春は桜に藤の花、夏は花火に日回り草、秋は紅葉に彼岸花、冬は霧氷に寒椿。

 そういう景色を楽しむために時間を合わせて三人で出かけるのが、いつからか恒例になっていた。
 大抵は車で行ける距離で日帰り、時々一泊で宿を取ることもある。
 白いFDに三人で乗り込み、降谷さんが運転して、助手席に赤井さんを乗せ、オレは後部座席から二人に声を飛ばすのがお決まりだ。たまにハンドルを任せてもらうとき、ギアを操作する手元や、フロントガラスの向こうや、バックミラーをじっと見る赤井さんを横目に伺う。
 以前までは一般常識程度の認識であった、開花の時期を気にするようになった。景色の楽しめる場所を探すようにもなった。そうしてあれこれ気にして情報を集めていると月日の流れが味わい深く感じられて、あっという間に過ぎ去っていくうちのたった一日が大事に思えてくる。
 もちろん学校や探偵業を優先しているし、友人知人との遊びや付き合いがあって、正月やクリスマスといった特定の日付のイベントは蘭や家族と過ごしているから、そういう時間のほうが遥かに多くて、日常といえる。賑やかで鮮烈なそれらが楽しくて好きだけれど、降谷さんたちと過ごす穏やかな時間も心地いいと、大事に思っていた。

 今年の桜は少し遅く咲いて、幸いオレたちが休みで、晴れの日に満開になってくれた。
 せっかく休みを取って宿まで予約したのに急にひどい土砂降りが降った時なんかもあったのだ。あんなのがあれば桜なんて一晩で落ちきってしまいそうだ。

「よかったな、スコッチ」

 手を出したら容赦なくガリッと一発飛んでくる。
 オレが手を引っ込めると、スコッチはまた赤井さんの右腕に大人しく収まった。その赤井さんの左手を引く降谷さんが、はは、と笑う。

「相変わらずだな、こいつ」

 毎度毎度出かける時には家に残したりペットホテルに預けたりしていて、その度ご機嫌斜めになっていたもんだから、たまには、とペット同伴可の公園を探してみたところ比較的近所にあったため、今回は徒歩で行くことにしたのだ。
 一応キャリーは持ってきているけれど、キャリーの揺れる感覚が嫌なのか赤井さんが抱いたほうが大人しくなるし、赤井さんもスコッチはちゃんと抱き上げてリードも持ってくれるので任せていた。
 赤井さんの腕の中、スコッチは頬をすり寄せ、うとうとと微睡む。

 降谷さんがわざわざオレの休講日に合わせてくれたおかげで、平日の昼である今、花見客も休日ほど溢れ返っているわけでなく、少し端を探せば難なく場所も見つかった。
 やや使い込んできたレジャーシートを広げ、荷物やキャリーを置けばもう準備は完了だ。

「ほら、靴を脱いで、ここに座って」

 降谷さんがそう言ってシートを指差せば、赤井さんは素直にそれに従った。
 赤井さんがあぐらをかくと、それまで腕にいたスコッチが膝へ移って、また丸まった。リードなんていらないんじゃないかというほど大人しい。
 実のところスコッチはなかなか頭がいいようで、赤井さんの面倒を見ようとするような仕草がしばしば見られるし、本当に困るような悪戯もしなければ脱走するようなこともないのだ。

「今度からスコッチも一緒でいいかもな」
「そうですね。毎回毎回人さらいみたいな扱いされるのも不本意ですし」
「ホテルに預けられると分かった時の顔はなかなか面白いけどね」
 
 そんなことを言いながらバッグから取り出したのは風呂敷包みのお重だ。雰囲気が出るかと思って、と降谷さんが買ってきた、どちらも京の老舗のもの。
 木製漆塗りの三段のうち、一段の半分のおかずとおにぎりはオレも作ったが、残りは全部降谷さんだ。オレの作った卵焼きやアスパラガスの肉巻きなんかと比べると作りの繊細さも彩りも圧倒的に違う。
 かぶ、ふき、たけのこ、せり、しいたけ、たらの芽、つくし、菜の花、ひじきにニシンに桜えび。食材も春っぽい。上品で体に良さそうで、そこらで買う弁当より美味しそうだ。更にはスープジャーに味噌汁まで。
 お重を並べ、それぞれ手に持つのは紙でなく重箱と同じ漆塗りの取り皿に、艶やかな塗り箸。
 降谷さんはちょっと――いや、一部のもの関してはだいぶ、凝り性なところがある。

「いただきます」

 そう手を合わせると、降谷さんが自分の取り皿を置き、赤井さんの皿を取り上げておにぎりやおかずを載せ始める。
 こうして外や宿なんかで食事を一緒にするようになって分かったことだが、赤井さんは一人分の膳で出されたものを平らげることは出来ても、大皿を目の前に“好きなものをどうぞ”なんて言われても選べない。それを想定してか、豆類なんかは既に小さな器に入れられている。
 次はオレが取ってやろう、と思いながらも、ニシンの煮付けを口へ運ぶ。味がしっかり染みて舌へ広がる。鼻腔を擽るのは昆布の香り。

「やっぱさすが降谷さん。美味しいです」
「そうだろ。今度作り方教えようか」
「ぜひ。前に教えてもらった酢豚も好評でしたよ」
「ちゃんと出来たのかな」
「……大体は」

 若干失敗してしまったのはお見通しのようだ。降谷さんはくすりと笑って、赤井さんの顔を覗く。

「今度作ってもらいましょうね」
「……」

 起き出してきたスコッチには、いつもよりずっといい、本マグロのキャットフードを皿に出してやる。赤井さんの膝から飛び降りて、随分上機嫌で飛びついた。これにはスコッチも満足らしい。

 料理をつつきながら降谷さんが取り出したのは、知人にもらったのだという梅酒だ。普段飲まないからこういう時に消費しないと、と言って、またちょっと洒落たグラスを三つ取り出す。

「赤井さんも?」
「たまにはね」

 降谷さんはオレに渡したグラスと、自分の持つグラスにそれぞれ六分ほどを注いだ。最後の一つをオレに渡して、目元を和らげ赤井さんに語りかける。

「ねえ、綺麗でしょう。満開ですよ。美しい花を見ながら飲む酒は格別です。そうでしょう」

 そうして瓶を傾け、オレたちのものの半分ほどの量を、オレの持つもう一つのグラスに注いだ。

「赤井さん」

 グラスを差し出せば、赤井さんは取り皿を置き、ゆっくりと右腕を上げてグラスを掴んだ。
 それから、ほんの少しだけ、目を細めて、


「――ありがとう」


 と。確かにそう言った。
 久しぶりに聞いた、オレへのことば。
 オレが渡したものを受け取って、オレの目を見て、オレだけに向けたことば。

 呼びかけようとした声は出なかった。
 ひゅっと、頭も心も追いつかないまま、空気だけが漏れた。

 赤井さんは、ゆるりと首を回し、目を見開く降谷さんの方へと視線を移して、それから頭上の桜を見上げる。


「ああ、きれいだ――」


 頬を微かに緩めて、眩しそうに。

 少しして、グラスの中身を一口含み飲み込んだ後は、もう何を話しかけても返してくれず、もとの調子に戻ってしまった。
 首も俯けて桜には目もくれず、ただ、膝に戻った猫をぼんやりと眺めていた。なあ、と、猫の小さな鳴き声がやけに響いて聞こえた気がする。

 グラスを取り落として零してしまった梅酒を慌てて拭き上げ、もう一杯注いで飲んだけれど、さっぱり味がわからなかった。なんだかしょっぱいような気もして。桜も滲んでよく見えない。
 そんなオレを、降谷さんはからかったりはしなかった。降谷さんだって一杯駄目にしていたし――赤井さんが見つめた先の桜を見上げていたのだ。
 酒にも料理にも口を付けず、目に焼き付けるように、じっと。

 花見は静かに終わった。
 胸を締め付けるような、溢れかえっていっぱいになりそうな、名を付けきれない気持ちを残して。



リクエスト - Cageで会話できるようになる話 / 謎の匿名Xさま、海さま
ありがとうございます



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