07

 二十九歳アルバイターはなかなか多忙だ。
 そりゃあそうだ、バイトだけでなくおまわりさんとネズミさん役も演っているのだ、むしろよく回せているものだと感心する。
 深夜や早朝に帰ったり、逆に出ていったり、数日空けることもザラだ。工藤邸に遊びに来るような暇をどこから捻り出したのか首を傾げたくなるほど忙しない。
 そんな彼に比べて俺は換金したほうがマシなほど時間が有り余っているので、代わりに掃除や洗濯なんかをしている。
 料理も最近は俺がやることが多くなってきた。安室透的に言えばじわじわ上達しているらしい。一応食う度飛んでくるアドバイス通りにはしているからか。

 しかし、大人二人が暮らすのにちょうど、あるいはやや狭いと感じるような1LDKの部屋は、工藤邸より遥かに掃除しやすくすぐに終わってしまう。排水溝もコンロもレンジフードも家電類も窓もベランダもピカピカだ。
 洗濯も、二人分なんて大した量でもないし、なんならシーツも布団も枕も干してしまえる。調理だってそこまで時間がかかることもない。特に安室透が帰ってこない日なんか作らなくてもいいしな。
 一通りのことをし終えるのは工藤邸にいた頃より随分早く、クエスト持ってお茶しに来る人妻も遊びにやってきて菓子をねだる子どももいないし、あちらのように図書室もないため、かなり時間を持て余してしまう。
 ちなみに安室透の蔵書には家事関連とアッパー系自己啓発本がやたらと多かった。
 あまり読み癖のようなものは付いていないから一回読んだっきりか積ん読なのかもしれない。だがヤケも見られない。恥ずかしい本を処分して他所向きに拵えたとかだったりしてな。
 別に読むなというならそっとしておくからムーでも大白蓮華でもLOでも薄い本でも好きに置いていてくれて構わないんだが。

 今日も今日とて慌ただしく出ていった安室透を見送り、洗濯をしようとしたところ、安室透のパーカーのポケットの中に小さな紙を見つけた。
 印字のなされた細長いそれは、クリーニングのタグだ。
 日付は一昨日。ここ一週間ほどは一日以上空けたりはしていない。少なくともこの家にある衣服は安室透のものまで把握しているが、彼が着たもの以外なくなっていないし、行きと同じ服で帰ってきたはずだ。
 お洒落心なのかそういう取り決めかは知らんが、この部屋のドアノブを握るとき、安室透はいつもカジュアルな服装をしている。わざわざ着替えるのは面倒じゃないのかね。
 洗濯機を回して干し、掃除をし終わって、今日は作らなくていいと言われたから夕食の仕込みもなく、やることがなくなってしまった。
 大抵の本も既に読んでしまったし、残りは時々タバコを吸いつつぼんやりして過ごした。ううん、ヒモのきもち。
 タバコは吸ってもいいがホープはやめろというのが安室透の注文だ。匂いがきついのが嫌なのかと甘くて軽めだというものを選んだが、何も言われないので実のところはよく分からん。

 そうこうしているうちに日が傾き、安室透からメールが届く。
 本文にはカエルの絵文字ひとつ。今から帰ってくるとな。二十九にして早くもオヤジギャグ。


「ただいま、沖矢さん」
「おかえりなさい」

 いつも帰宅後さっさと部屋着に着替える安室透が、上着もそのまま俺の座るソファの隣に腰を下ろし、ふとあのタグを思い出す。

「安室さん」
「うん?」
「ワイシャツ程度ならアイロンしますけど」

 きょとんとした顔に外れたかと思ったが、安室透はすぐにやや考え込むようにして、少しの間のあと口を開いた。

「……お願いしようかな」

 アイロン自体はあって、安室透はたびたび外着のシワ伸ばしなんかに使っている。下手くそにされたくないというなら完全に余計なお世話にはなるが、それだけ忙しいんだからクリーニング屋に通う手間も時間も惜しいほどだろう。

「クリーニングも出して受け取るぐらいなら出来ますよ」

 加えて提案してみると、安室透はなんとも間の抜けて妙な顔をした。

「どうしたんです」
「いや……あなたがそんなこと言うと……」

 もぞもぞと零し、口もとを抑え震えたかと思えば、吹き出して笑い始める。安室透のツボは謎だ。
 安室透は一頻り笑い、まだなんだか噛み殺すようにしながらも首を縦に振ってみせた。

「うん――うん、いいですね、悪くないです。次から頼みます」
「はい」
「そうだ、今日の晩御飯ですけど、すき焼きにしましょう」

 準備してください、と続けられ、てっきり今から買い物に行くのかと思ったが、食べに行くということだったらしい。
 一度作ると何かしら食材の余りが出るもんで、それを使うために次を作ってを繰り返していて、なんだかんだデリバリーも外食もしたことがなかった。
 たまにはいいだろうという言葉に頷くと、先程のが尾を引いているのか、安室透はまた小さく笑った。


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