06

 工藤邸が改修工事を行うらしい。やはりそろそろ必要だったか。
 申し訳ないがその間邸から出ていて欲しい、と言われて承諾し、ホテルに行こうと荷物をまとめて玄関を開けたところ。

「やあ、どうも。迎えに来ましたよ、沖矢さん」

 扉の向こうに立っていたのは、今日も今日とて着る人間を選びそうな紫色のシャツを纏った、二十九歳アルバイターなフレンズ。
 彼はにっこり笑って手を上げ、さも当然のように俺の荷物の一つを持って、そのまま門前に停めたFDまでさっさと歩き出した。後部座席へ荷物を載せ、俺にもそうして助手席に乗るよう言う。

「あの……」
「はい? 明日でしたよね、工事」

 どうやらマブのコナン君から話を聞いたようだ。

「僕も車は持ってますので、送迎は不要です」
「あ、すみませんが、駐車場は一つしか契約してないので、置いてってください」
「……契約?」
「僕のマンション、そんなに多くないんですよ」

 さあ乗って乗って、と腕をひっぱり押し込まれ、しばらくのドライブの後到着したのは、ホテルなどではなく、本当に何の変哲もないマンションだった。冗談じゃなかったようである。
 何でもない顔をして俺の荷物を持ち、止める声も聞かずすたすたと歩いていく安室透を追いかけていったら、あっという間に部屋についてしまった。
 スニーカーや革靴、傘、玄関マットなんかが目に入る。
 明らかに住人がいて生活している。場所を知り鍵をもっているあたりどう考えても間違いなく発言通り安室透のものだ。

「なぜ……」
「ホテル暮らしなんてもったいないでしょう。結構長いようですし、ばかになりませんよ」
「こんなことをしてやる義理はないはずです」
「そりゃないですけど。義理はね。善意ですよ、善意。困ってる友人を助けるのは当たり前ですからね」

 ユージン? オレゴン州でなく?
 いつの間にお友達になったんだ俺たちは。しかも別に大して困ってない。むしろその発言に困る始末だ。
 困惑する俺をよそに、安室透は、この靴箱使っていいですからね、なんて言った後、さっさと靴を脱いで上がり廊下の先へ行ってしまう。
 付いていって足を踏み入れた、リビングに使っているらしい部屋は、一人暮らしにしては多少余裕がある程度の広さだ。服同様お洒落に飾ってそうなイメージだったが、必要な家具が揃えられているだけで、装飾の気はあまり強くない。どことなく物足りなさや寂しさすら感じる。意外だ。

「さっきから思ってましたけど荷物少なくないですか?」

 安室透が腰に手を当て立ち、足元のキャリーとボストンバッグを見下ろす。
 まあそうだろう、ほとんどが有希子さんに買ってもらった服だ。あとはパソコンといくつかの貴重品ぐらい。悲しいけど全部燃えちゃったのよね。ついでに居候の分際であれこれ買って巣作りするわけにもいかんしな。
 そういえばあのセキュリティボックスも一応持っていくかと思って探したのだがどこにも見当たらなかった。別にいるもんでもないからいいんだが、この持ち物の少なさで失くしてしまうのも一種の才能じゃなかろうか。

「まあ、追々増やせばいいですかね。基本的にこの家のものは何でも触って使ってもらって構いません。ただ、ベッドは一つしかないので、客用の布団と交代でお願いします。布団に慣れないならベッドを買ってきてもいいですよ」
「ずっと布団でも大丈夫ですが」
「好きなんですか?」
「いえ」
「じゃあ交代」

 それからざっとものの置き場を教えてくれ、タオルからシャンプーから本当に何でも勝手に使えと言った。挙句パソコンまで。なるほど正真正銘“安室透”の部屋であるらしい。当たり前か。

「……よろしくお願いします」
「こちらこそ」

 頭を下げるだけのつもりが、差し出されて握手をしてしまった。
 ……普通の、柔らかくもない、ややかさついた男の手だ。



 ――パン!


 と、急に鳴ったもんだから、思わず体がビクついた。

 目を開けると、薄暗い中、安室透が俺に向かって手を合わせていた。悪いがまだ仏さんには遠いぞ。
 視線を巡らし、その背後に天井が見え、今日ベッドを使うことになった彼が、俺が転がる布団の方へ身を乗り出しているのだと分かった。
 単に横になっていたつもりが、いつの間にか意識が飛んでいたようだ。

「あの、どうしたんですか」
「すみません、虫が飛んでて」

 軽い調子で謝って、安室透は拝んでいた掌をぱっと離し、そのまま体を支えるのに使った。取り逃したらしい。羽音などは聞こえないが、どこかにとまってしまったのだろうか。
 目が覚めちゃいましたね、と安室透がけろりと笑う。

「ああ、そうだ、ちょっと一杯付き合ってくれません?」
「いいですけど……」
「お詫びに美味しいやつ開けますから」

 寝酒はあんまりよくないぞ。肝臓強いさんに敢えて言いはしないが。


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