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 “ホントにいたよ、レナちゃん!”
 爆発的に勢いが増したのは、恐らくそんな、シンプルながらも興奮の隠しきれない一文からだ。書き込み制限数を超えるごとにナンバリングされ作り足されているらしい、彼女の近況やらを語るためのスレッドの、いくつか前のナンバーの中盤あたりにあった書き込みである。
 ネットの情報とは馬鹿に出来ないもので、それを掴んで信じ、あるいは真偽を確かめようとしたパパラッチや過激なファンが、面会を装って病院内に入り込み、水無伶奈の病室を探り当ててしまったのだ。目的を同じとする見知らぬ人間たちが多数撚り合わさり、奇しくも人海戦術の体をなしてしまったらしい。
 そしてその情報が拡散され、マスコミが流れ込んできた、というのがこの状況の経緯である。言ってみれば単純なものだ。
 近頃他に大きな話題もないのか、ニュースでは彼女についてを取り上げた特集と、例のコメント映像ばかりが繰り返し流されている。
 病院側からある程度の規制を敷いたらしいものの、群がる人間はむしろ当初より増えていて、院内にはピンピンした人間が溢れかえっていた。
 もはや火付け役はその熱に当たってもいないというのに鎮まる気配を見せない。一度燃え上がってしまえば、火種が何であったかというのは些細な問題であるようだ。

 ――あの掲示板に例の一石を投じた張本人であるネット時代の申し子本堂瑛祐は、増員組から割いた数人とともに、現在東都郊外の宿泊施設にいる。
 楠田のドナドナをしても余るくらい多めに増員してもらったのはそのためでもある。
 保護と監視という名目で軟禁じみた生活になってはいるものの、本人も承知の上でのことだ。報告によると、夢に向かってがんばるのだと息巻き、机にかじりついて勉強しているのだそうだ。

『やっぱり僕、お受け出来ません』

 その顔を再び見たのは、彼が姉との話を終えてからわりとすぐだった。
 護衛につけていた捜査官経由で連絡を付けてきて、前回よりも随分うまいこと院内に潜り込み、俺が一人になるタイミングを狙ってやって来たのである。

『何もプログラムの開始から一生隠れ潜み暮らさなければならないというわけじゃない』
『……将来、エージェントになりたいんです』
『証人保護を受けながら捜査官になった者もいる。ジョディ・スターリング捜査官。きみも見たろう? 俺たちの仲間の一人、金髪の女性だ』
『……あの人も?』
『ああ、もとは事件被害者の小さな少女だった。それが今では優秀な捜査官として、時には潜入も行いながら、凶悪な犯罪者共を炙り捕らえ、素晴らしい成果を上げている』
『でも、――僕はCIAに入りたいんです』

 多少躊躇う様にしたものの、本堂瑛祐はしっかりと目を合わせてそう言い放った。
 本堂瑛海とは協力関係を結んだとはいえ、FBIである俺にストレートに告げるあたり、それなりに強く意志が固まり、同時にこちらへの誠意も持っていたのだろう。
 だからといって流石にじゃあ好きにしろあばよとはいかないし、頭から抑えつけたくらいで曲がるまい。

『保護を受けるということは、決してきみの夢が潰えるのとイコールじゃない。物事をどう見るかという問題だ。人生のうちの短くはない期間における自由の喪失と捉えるのも一つの見方ではあるが――安全というのは得るのに殊の外労力と運が必要だ。貰えるのなら貰っておいたほうが損がない。正直に言ってきみはこれから身の危険に晒される可能性が普通の人間よりも遥かにあるし、いまのきみ一人ではそれに対処しきることは難しい。全く出来得ないということでもないだろうが、最低限の暮らしを確保するだけに翻弄して、牙を研ぐ暇も取れずその気力すら失うのは馬鹿らしいだろう。受け身も取れない未熟なうちに負った怪我が生涯に響くことは珍しくない』

 実のところ本堂瑛祐は、彼自身の意志は全く考慮されていない取引での材料なのだ。
 キールが潜入しているうちに好き勝手やって何かあった場合関係の悪化どころかそれ以上のことが起きかねないので、余計なことせず大人しくしておいてほしいというのが本音なのだが。
 まあでも馬鹿正直にそんなこと言わないほうが良いというのは俺でも分かる。
 本堂瑛祐は、俺の言葉に静かに耳を傾けていた。じっとこちらを捉える視線は、どこか見極めようとするかのようでもある。恐らく当人も察していないということはないだろう。

『そして、時間というのは有限で、替えが効かずしかも高い。生命の保証された環境であれば、そうでない場合よりも遥かに多くの時間と心血とを、より次元の高い物事を為すための拵えに注ぐことが出来る』
『……つまり、僕の目的のために使っていいってことですか?』
『生憎俺自身はそうと胸を張って言えるわけじゃないが、好例はこの目でいくらも見てきている。その上で、目的のためには利用できるものは何でも利用するのも、優秀なエージェントに必要な技能と精神だと思うが』

 そう、時には信心深く慈悲深き司教から食器や燭台はおろか娘のハートまで盗むことも必要なのである。いや智えもんこと先生には本当に悪いと思っている。反省はちょっとしかしていない。

『どちらにせよ、きみにそれだけの力があるのならば、結果は変わらない』

 いかにもそれらしい態度で堂々と話せば聞き手はその内容に価値を感じやすいという。

『――あるはずだ、きみはイーサン本堂の息子であり、本堂瑛海の弟だ』

 ダメ押しにその心を刺激されそうな名を出してみれば、少年は凛とした表情で頷いた。


 ――という、真面目な捜査官の前ではあまり声を大きくして言えないちょっとした一件があって、彼は今自分磨きに勤しんでいるのである。
 まだまだ未来ある少年だ。まあもし思い通りにいかずとも無駄にはなるまい。少なくともその死には大きな損害が絡み、それを嘆く人間もいる。
 生きているだけの価値がある人間なのだ。


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