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 それからバーボンさんは、顔見知りらしき人物に声をかけられたり、一方的に認知していたらしい人物に声をかけたりを繰り返し、たくさんの人と和やかに会話を弾ませながらフロアのあちこちを練り歩いた。
 とんでもないコミュ力である。飲み会でお酌まわりも出来ずに誰もいない卓の隅で飲んだことなどなさそうだ。通夜のような空気によって変わる酒の味を知るまい。私だって流石にいつもそうとは言えないが、メンツによってはかなりだいぶこの世は地獄ですというセリフを言葉面そのまま頷きたくなるような百二十分があった。出来れば二度とあのような思いはしたくないし、美味しい酒が飲みたい。
 そんなことを考えていたら、視界にひょいと、逆三角形の形に底から縁が広がる洒落たグラスが現れた。中には薄く緑がかった白い液体。

「どうぞ」

 思考がそのまま操作に反映されて注文といった入力扱いにされてしまったのだろうか。
 しかしグラスを差し出してきたのは、給仕するよりもされる側っぽい身なりと雰囲気をした壮年の男性だ。強い意思が宿っていそうな瞳は、しっかりばっちり私を捉えていて、別の誰かへのものと言うふうでもない。

「馬は好きかな?」

 問いとともに、もうひと押しとばかりに、グラスを私の胸元へぐっと近づけてくる。つい受け取ってしまいかけたところで、褐色の手がスッと横からステムをつまみ奪っていった。

「仕立てがうまくいきすぎましたかね」
「ああ、きみ」
「こう見えて、実はまだまだあどけない子どもなんです。ご容赦ください」

 珍しく、にこやかな表情とほんのり噛み合わない比較的無機質さの混じる声でそう言いながら、バーボンさんは私から奪ったグラスの中身をひと息に飲み干してしまった。そのままプロージットとでも唱えて床に叩きつけそうな勢いである。実際は寄ってきた給仕さんのトレイの上に乗せただけだったけども。
 こう見えてもなにも鏡でみた限りどこからどう見たって子どもだと思うのだけれど、このアバター向けでないセリフが修正されずに出てしまったり本来はこのタイミングで起きるイベントではないのに始まっちゃったりしたんだろうか。
 バーボンさんと男性は、これまた和やかそうに少しの間会話を交わした。二人の会話というていのようなので当たり前っちゃ当たり前なのだが、私の理解を待つことなく確認する素振りすら見せずにつらつらと語っていくので内容はさっぱり掴めなかった。人名や地名らしきものや研究だの神だの天使だのといった謎のすこしふしぎファンタジーっぽいものも混じっているような気がしたけど木の精風の精かもしれない。
 二人は一通り話し終えると、じゃあまた、と言って各々別の場所へ向かって歩き出した。バーボンさんに手を引かれて歩きつつちらりと見遣れば、男性が振り返っていて目が合う。手を振ってみたけれどとんでもなく真顔。ある程度離れて接触を終了したと判断されると若干モーションが簡略化されるらしい。まあプレイヤーが見ないだろうところを作り込んでも仕方がないもんね。


 これまた豪奢なテーブルに配置良くずらりと並ぶ料理のうち、どういう基準での選考なのか間の一、二個を飛ばしながら大皿からちまちまと取り分けて盛った皿を私に与え、それを私が食べている間、バーボンさんは相変わらず色んな人と精力的に交流を続けた。ちなみにご飯はどれもこれもお上品ではあるけどもバーボンさんの作るもののほうが美味しかった。対比によって好意を膨らませようという魂胆だろうか、そうはいかない好き。生き物全てに通ずるところ、うまいメシをくれる存在に懐く。
 そして、ちょうど私が食べ切ったころ、失礼、なんて言って人の輪から離れて壁際に寄り、バーボンさんはポケットから出したスマホを凝視し目を見開いた。それから視線のみでさっと会場を見渡すようにし、静かにスマホを懐へしまい直す。

「帰りますよ」
「ばーぼん、ごはん」
「食べ足りないんですか?」
「ばーぼん」
「もしかして僕? ……いりません。家でゆっくり摂りますよ。あなたも足りないならその時に。さあ」

 来た時よりもほんのり強い力で手を引かれて、ずんずんと進み、フロアから出て、エレベーターへ乗り込み、独特の浮遊感を味わって下へ。一度通った筋とは逆へ、薄暗い方、人気の少ない方へ。エントランスではなく、地下らしき階だ。

「……!」

 廊下の途中、ぴたりと立ち止まったバーボンさんがまたスマホを取り出して見つめ、私の手を離した。屈んで肩に両手を置き、顔を覗き込むような姿勢で、真剣な面持ち。

「このまままっすぐ、あそこへ行ってください。ポルシェ――ええと、黒い小さな車がいますので、それに――」
「くるま」
「いえ、向こうから来るはずです。帽子とサングラスをつけた黒い格好の大きい男が来て、ウォッカ≠セと名乗ったら、付いていって。その男は僕、バーボン≠ェ分かるはずですから。いいですね? ウォッカ=v
「くろい、うぉっか」
「そう」
「ばーぼん」
「僕は行けない。……後でまた必ず帰ってきますから。なるべく急いで。早く」

 頷いて、指をさされた廊下の奥、おそらく突き当りのガラス戸の先の方を目指して私が歩きはじめると、背後から、走る練習をしておくべきでしたかね、なんてバーボンさんの声が聞こえた。なるほど走って行ってほしいレベルで急いでいるらしい。よし来た任せろ。子どものサッカーでしごかれ鍛えられた俺の黄金の足が唸るーッと駆け出す。ちょっとコケかけたのは秘密。


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