09

「今このタイミングじゃ、本当はこうやってここに来ることはまずいんだろうけど。一度だけでいいから、どうしても会いたい、お前が潜入捜査を終えたら教えてくれって、無理を承知で頼み込んでたんだ。こんなに早いとは思ってもいなかったよ」

 その約束さえしてくれれば何から何まで話すし、すべての条件に従うと死ぬ気で拝んだのに、なんだか言い損だ。そう言って笑うのは、茶髪の襟足が肩に届くほどのミディアムヘアに、グリーンの瞳をした日系の男。
 組織もガバガバならFBIもガバガバじゃねえか。しかし、そうでもなければマッチョによる老人声掛け事案も起きてないか。

「きっと全部終わってからだと思ってたから、心の準備が全然できてなかった。それに、ここまで来るのにかなり面倒で大変な手順を踏むことになって、既にちょっとくたびれ……」

 つらつら話す男の、その声はどこか聞き覚えがあるようなないような。
 記憶を探るよう視線をずらした俺を見て、男は笑みを固まらせた。

「……おいおい、あれだけのことやって助けた相手を忘れるか、普通」

 男は頭をかいて、横髪を耳にかけた。その耳輪は不自然に欠けた形をしている。ああ、たしか。

「スコッチ」
「そうだ。今はそのコードネームはもちろん、親がつけたものからだってかけ離れた名前だけどな」

 元スコッチは肩を竦めるものの、名は教えないし、俺も聞かない。日本国籍だった頃の名前はFBI経由で知ったはずだが、それも何だったか。
 正直完全に存在を忘れていた。そもそもが大して覚え込んだ顔ではなかったから、髪型と髪色を変え、髭をそって少し肌色が違うだけで全くわからなかった。造形も違うんだろうか。カラコンとはまたオーバーテクノロジーな。

「組織が相手では多少変えたくらいじゃアメリカにいても辿りつかれる恐れがあるからな、ちょっとした整形までしたよ」
「なるほど、よくやるものだ」
「お前がすぐに分からないなら多少は安心か」
「それはどうかな」

 俺の頭と目がポンコツなだけだと思うぞ。

「時間は大丈夫か?」
「ああ、今は受け持ちがないから」

 だからこそこの場を用意されたんだろうが、元スコッチは少し安堵したように息を漏らしたのち、備え付けの椅子に座る。俺もそれに倣い、机を挟んだ向かい側に座った。なんか面接みたいだ。

「なにがあったんだ? お前ならうまく立ち回ってボスまで食い込むと思ってたよ」
「そこまでの器量はなかったようだ」
「うそつけ」
「ジンと仕事をするところまでは漕ぎ着けたんだが」
「ほらみろ。そりゃあすごいよ。あいつはボスから直接命令を受けていたらしいじゃないか」
「捕まえようとしたらバレて撃たれてしまった」
「なに? 具合は」
「もうほぼ治った」

 お前、結構むちゃするよなあ、と呆れ気味に言われてしまった。拳銃自殺しようとしたやつが言うことじゃないな。

「……無事で良かったよ」
「それはありがとう」
「俺だけのうのうと生きて、お前が死んだんじゃ寝覚めが悪い」
「もう自殺しようなんて思うなよ」
「しない。思わない。今はな」

 元スコッチは乾いた笑いをもらして、まるで祈るように手を組み、肘を机につけた。すっと、こちらへ向けるまなざしに真摯さが宿る。

「――あれからずっと、苦しかったよ。失敗してしまった、だめだった、迷惑をかけてしまった、助けられてしまった、死ねなかった、家族はどうなっただろうか、仲間はどうなっただろう、組織は今度はなにをやるんだ、同僚を渦中に置いたまま、自分は多少の情報と引き換えに、安全な場所で、他国の金で生きている、その間にも俺が生き延びた代わりに死んでいく誰かがいるんじゃないか――死ねなかった、どうして死なせてくれなかった。そう、思った」

 先程までの笑顔は虚勢か、今首を振るその力はひどく弱々しかった。

「でも、生きるしかない。生きて生かされたんだから、生かされてるぶんのことをするしかない。恨めしがるのはお門違いだ。お前は、俺もそうであったよう使命のために、同志として、それ以前に人間として俺の命を拾い上げた。それは救いで、正しい行為だ」
「…………そうかな」
「だってそうだろう。俺が制裁を受ければお前にもあいつにも疑いがかかり、仕事に支障をきたす、そこから二人の命の危険に、ひいては二人どころではない国の危機にも繋がりかねなかったんだ、それに」
「俺は」

 彼が俯きかけていた顔を上げ、こちらを見てくる。

「俺は、何も考えていなかった。ただそのときたまたま、止めたくなっただけだ」

 その瞳に映るのは、敬服の念。おかしい。更には肩の荷が下りたような安堵、歓喜。俺と似た、けれど確実に違う作り物のグリーンの虹彩が場違いに眩しくて、とてもじゃないが目を合わせられなかった。
 そんなはずはないのに、口内にじゃりじゃりとした感触と、苦みが広がっていく気がする。
 ――何を言ってるんだろう、こいつは。いや、俺は。
 たかだか夢の出来事だ。きっと次のシーンでは、跡形もなくなっている亡霊に過ぎないというのに。

 急に姿勢を正して、彼は机に打ち付けるんじゃないかという勢いで頭を下げた。

「本当にありがとう。日本を離れて、制約も多い生活だけど。死なずにすんだのは、良かったよ」
「世間では死んだことになってるぞ」
「茶化すなよ」
「茶化したつもりはないんだが」
「……それに、制裁を受けずとも、あの場で俺が自死していたら、もっと歪んでいた何かがあったかもしれない。それをまだ知らずにいられるのは、可能性を潰してくれたお前のおかげなんだ、きっと」

 苦しそうな表情はいつのまにか和らいでいた。安いやつだ。安い命だ。安っぽい夢だ。なんて安っぽい自分なんだ。こんな温い世界が、現実であってたまるものか。



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