09

 ふ、と。
 浮上した意識に、気を失っていたのを知る。
 少し離れた場所に人の気配がある。ふわりと漂ってくるのは、ずっとずっと昔にかいだような、懐かしい匂いだった。
 何が懐かしいのかもわからないのに――どこかに帰りたくなった。
 帰る場所もないというのに。


 ……しっかり覚醒してくると、J-POPみたいなおセンチな気分になっている自分に気づいて猛烈に恥ずかしくなった。しかも夢の中で覚醒というのもおかしな話だ。そんな変な状況だから変な考えが出てくるんだろう。怖い怖い。

 もぞりと寝返りをうった瞬間、最近聞き慣れてきた声が飛んできた。

「目が覚めましたか」

 ぱたぱたと足音がして、彼が近寄ってくるのを感じ、目を開く。

「なんでわかったかって? 死んだように寝てましたからね」
「そうか……」

 ふん、と笑う彼は黒いエプロン姿で、右手にはミトンをつけていた。うちにスリッパなんてなかったはずだから、どれもこれも買ってきたものらしい。人の金で。
 ベッドから降りてよくよく見てみると部屋の中は大分様変わりしていた。
 目視できていた床の埃は一切なく、部屋の隅に置いていた酒瓶はどこかになくなっていて、テーブルの上はすっきりと片付いて洒落たクロスがかかっているし、シンプルで曲線の美しい椅子がひとつ増えており、あちこちに置いていた衣類は恐らくごうごうと鳴っている洗濯機に入れられている。
 何もなかったはずのシンク周りにはキッチンツールフックや壁棚、調味料ケース、水切りやフタ付きのゴミ箱などが増えており、それらにフライ返しや鍋やフライパンといった調理器具と、食器類が収納されていた。
 コンロの上には土鍋が湯気を立てている。
 俺の視線を追ったバーボンは、どうだと言わんばかりの顔だ。

「一通りのものは買っておきましたよ」
「……俺は、料理なんてできないんだが」
「しないだけでしょう。なんでも無いよりマシといいます。何も無ければ料理以前に道具を揃える手間が煩わしくて面倒になる。けれどひとまず道具さえあれば、気が向いたときに手を付けやすくなりますからね」

 そう言ってコンロの方へ向かうと、その中身をうちにはなかったはずの木製の器によそい、同じく木製のスプーンと一緒にテーブルの、これまたうちにはなかったはずのプレースマットの上に置く。椅子に座り見てみると、中身は雑炊のようだった。

「とりあえずあなた胃も荒れてそうですから、今日はこれだけ食べてください。今夜は酒を飲まないように」

 残りはとっておきますね。と、バーボンはタッパーに雑炊を詰め、冷めたら冷蔵庫に仕舞えと言い、土鍋とお玉を洗うとエプロンを畳んでテーブルに置く。
 その姿を眺めつつ、慣れた様子だなと感心しながら雑炊を掬い口に運ぶ。

「あ、ライ――」
「なんだ」
「…………いえ、……他にも3、4日ぶんの常備菜を作って冷蔵庫に入れてますから、お腹が減ったらどうぞ」
「あ、ああ……うまいな」
「それはどうも」

 それからバーボンはちょくちょく、送ったついでや休日にふらりとやってきては、ぶつくさと文句や小言を言いながら掃除や料理をするようになった。
 まるで上京した息子の面倒を見に来たオカンのようである。
 めちゃくちゃ怒られそうだから言わないけれど。



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