C-13

 屋上の扉を開けると、独特の香りが鼻をくすぐった。
 薄く漂う煙のもとを辿れば、すぐそばの壁に背をつけて座り込んだ赤井さんの姿があった。立てた膝に腕を置き、手先をだらりと垂らしている。
 
「病院だよ、ここ」

 そうだな、とだけ返ってくる。
 火を消す素振りもみせない男の、その隣にオレも倣うよう腰を下ろす。
 体育座りをするオレをちらりと見て、赤井さんは顔を背けて煙を吐いた。それでも結局は風で流れてくるのだけど、少し前までならやらなかったその小さな動作は、この人のオレに対する心情の変化を如実に表している。

「赤井さん、タバコ変えたの?」
「変えてない。……ただ、思い出すかと」
「何を?」
「彼女を」
「それってベルモット?」
「まさか。あの女はきっと殺しても死なない――なにを聞いたんだか知らないが、俺とあの女の間にきみが気にするようなことなど何もない」

 オレも本当にそうだと思って聞いたわけじゃない。この人が言っているのは恋人だったという灰原の姉のことだろう。ただ懸念を潰しておきたかっただけだ。

「じゃあ教えてもらってもいいよね」
「……守れもしない、くだらないヤクソクをしただけだ」
「どんな?」
「“女と酒に手を出さない”」

 ハハ、確かにくだらねー。しかもこの人には不似合いだ。そういう約束はおっちゃんにさせてやりたい、なんて思ったが。

「守れなかったんだ」
「ああ、まもれなかった」

 ――まもる気でやれば良かったのに。ばかな大人だろう、きみならこうはならない。
 その口ぶりからは、ただの言葉通りの約束ではないことが伺えた。多分あの疑惧は的外れだ。

「ねえ、このままじゃ赤井さん殺されちゃうよ」
「……ホォ、どうしてそう思う?」
「わかってるくせに」

 赤井さんは米神に手をやり、やや目を伏せている。
 以前もだった。そういう仕草をする時は特に、この人はやたらとオレを喋らせようとし、オレの声を聞きたがる。まるで何かを掻き消せとでもいうように――まるで寄る辺を探すかのように。
 ともかくお望み通りに話してやる。
 組織は可能であればキールを生きたまま取り戻そうとしてくる。彼女は幹部で、しかも苛烈な尋問に耐えスパイを返り討ちにしたとされる女だ。かつイーサン・本堂の娘でもある。餌であると同時に鉤なのだ。彼女は既に目覚めている。FBIの守りが崩されるのも時間の問題だ。どのみち戻るというのであれば糸を付けて返してやればいい。だが糸が付いていようといまいと、一度失敗した彼女は、それなりの態度を示すことを求められる。その標的となるのは――。
 そこまで聞いて、赤井さんは得心したように頷き、変わらぬ表情で言う。

 ――それで、俺はどう死ねばいい?

 あまりにも淡然としている。こうして殺人の告白をしたのか。きっとジェイムズさんは苦悩しただろう。

「赤井さんは自分が死んでも構わないって思ってる?」
「不必要ならばその限りじゃないが……」
「要不要じゃないよ」
「益と選択の問題だな」
「そうじゃなくて、それでいいの?」
「……何の因果か俺はFBIの所属ではあるが、ほかの立派な捜査官たちほどの遵法精神や高潔さがあるわけじゃない。だから状況を鑑みてやるべきとの判断に至ったのなら、それがいくら社会倫理から逸脱していようと、結果俺の死に繋がるものであろうとも、その点はさして考慮する要素にはならないとする。きみのおねがいを聞いたろう。俺の屍体ときみが取っておいてくれといったアレには有用性の差しかないんだ、利用価値があるというならうまく使えるきみに託すのも手だ」
「使うって……」
「さすがにきみのその体躯ひとつでは立ち行かないだろうから、ジェイムズや他の捜査官に渡りをつけておくべきか。どう言ったものか」

「――感情の話をしてるんだよ、赤井さんの!」

 ずっと宙を見ていた赤井さんが僅かに肩を跳ねさせ、首を動かしてオレの顔を見下ろし、緑の瞳をまたたかせた。
 響くと言っていた。張り上げればもっとだろう。

「生きたいと思わないの? 死にたくないとは? やりたいこと、やり残したこと、ほしいもの、手放したくないもの、会いたいひと、別れたくないひと、楽しみなこと、怖い、惜しいと思うこと――なにひとつないの?」

 赤井さんは困惑したように眉を寄せてしばらく口を噤み、それからゆっくりと、そんなもの分からない、と言う。

「…………ただ、あの子が気がかりだ、とは思う」
「“おねがい”されてるんでしょ」
「ああ、きっと」
「生きる理由があるってことだよ。ならこの状況における死の選択は最善じゃない。赤井さんの死体には価値がない、これっぽっちも。不必要だ。それでむざむざ殺されるというのは愚策だ」
「そうか……」
「使えと言うなら死なないで――生きたその耳でボクの言う事を聞いて」

 無骨な指に挟まれたタバコの先端が、じりじりと身を焦がし灰へと変わっていく。

「わかった」

 どこかふわりとした地につかない口調でそう返事をして、赤井さんはタバコを持たない方の手でオレの頭を撫でた。くしゃりくしゃりと、何かを確かめるように何度も。


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