C-8

 ――離れていると、人って変わっちゃうのかな。

 なんでもないような風を装って発せられた言葉で胸が痛い。
 それはあながち間違っちゃいない。オレの体は、十七歳の高校生だったそれから見る影もなく変わり果ててしまった。けれど、心まで変わったつもりなんてないのに。
 蘭はコナンが新一だったら、なんて言うが、“コナン”の言葉は届かない。この高い声では気休めにはなっても、こいつの見当違いな憂慮をこれっぽっちも拭ってやれない。それがもどかしくて歯がゆくて堪らなかった。元の姿に戻りたい。オレが新一なんだと打ち明けてしまいたい。
 そのどちらも出来ずただただ唇を噛んで情けなく手を引かれている中、ふと視界に映ったのは向かいから歩いてくる見覚えのある姿。

 ――あの男。
 NYでオレたちに銃を向け、バスジャックに乗り合わせ、ジェイムズさんの誘拐の際にも姿を見せた男。灰原はバスジャックのみならず、あの男が車で通りかかった時にも反応を示していた。警戒するべき相手だ。
 何かしら仕掛けてくるつもりかと思って身構えたのに、男はタバコをふかしながら、こちらを確かにちらと見たにも関わらず、そのまますれ違って歩き去ろうとする。
 むしろその背に声をかけたのは蘭だった。蘭姉ちゃん、とオレの制止も聞かずに。

「――あの!」

 男は足を止めてゆっくりと振り返り、静かに蘭とオレとを見やった。

「あの……ニューヨークで会った方ですよね?」
「……」
「人違いだったらすみません……」
「……間違えてはいない」
「よかった、お礼を言いたかったんです。あの時はありがとうございました」

 頭を下げる蘭に、男は咥えていたタバコを手に持ち、少しの間を置いて口を開いた。

「いや、無事だったならいい……恋人は元気か」

 ――ぽろり、と。
 下を向いたからか男の言葉を受けてか、蘭の瞳からこぼれ落ちたそれにぎょっとする。
 確かに潤んではいたけど、こいつ、今。それに恋人って。もしかしてオレのことかと慌てる。蘭は何を話していたんだ。


 顔を俯かせたまま震えた声で、蘭は男に、あいつ帰ってこないんです、と言う。

「あいつ、推理オタクで、事件があるとすぐ飛んで行っちゃうんです。私を置いて。そういうやつだっていうのは、もう身にしみて分かってるし、それがあいつの良いところでもあるから、いいんです。それに、いつか必ず、死んでも戻ってくるから待ってて欲しいって、言ってくれたんです。だからずっと、でも……」

 涙を流す蘭に、男はやや面食らったようにしていた。
 その瞳にはいつもの鋭さがない。蘭に手を伸ばそうとして掌を見ると、引っ込めてポケットに入れてしまう。もう一方の手でタバコに口をつけ、じりじりとその先を燃やし、煙を吐く。

「…………男は馬鹿で単純なんだ」

 声色ににじむのは、困ったような、呆れたような、自嘲するようなもの。あの冷淡さは鳴りを潜めている。それを聞いた蘭が顔を上げた。

「女性の繊細な心の機微など察してやれないし、はっきり態度と言葉にしてやらなければ分からない、加えて平気な顔して大丈夫だと言われればそのまま鵜呑みにしてしまう。質が悪いことに、ずっとそうであるとも」
「……あなたも?」
「俺もだ。言われたよ、“物分りのいい女をしていると男はすぐに調子に乗る”、ついでに“無粋で野暮な男”だとね。挙句振られた」
「うそ……」

 若干眉尻を下げた男に、蘭がちいさく笑う。

「一度目の前で盛大に泣いてやったほうがいい。つらくて不安なんだということを教えてやれ。それでも分からないというなら、そのときは一発思い切り殴ってやればいいんだ。君にはその権利がある」
「……そうでしょうか……」

 こいつは銃を向けてきた。殺気は凄まじく、オレたちだってもろとも殺すとでも言いたげだった。瞳は昏く鋭く、射殺すようなそれには身が竦む。声も言葉も冷淡で、慈しみなど知らない顔をしていた。殴り倒す動作は早かった。あの銃を蹴飛ばさなかった。灰原はひどく怯えた。狼狽え、震えて、呼吸を乱し、冷や汗をかいていた。そばを通っただけで。車を走らせるその一瞬ですら。なのに。それなのに目の前のこいつは。

「なんなら父親に懲らしめてもらえ」
「……私のほうが強いかも……」
「なに?」

 ――蘭を見下ろすそいつは、まるでただの男だ。
 女の子を慰めるのに苦心する男。殺気も威圧感も剣呑さも感じられず、逆に薄っすらと浮かべる笑みは柔らかい。
 蘭も、男をこれっぽっちも危険なやつだとは思っていない様子で、むしろ幾ばくかの信頼すら見えて、それらにひどく困惑する。

 こいつは、この男は――何なんだ?


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