J-9 |
トーヤは、あの柔らかい笑みをしなくなった。 当然だ、彼は私達に利益を説いたが、本当は“あの人”を迎えに行きたかったのだ。 彼はただ、「もう彼女の保護は不可能だ、それは除外しても支障がないから、妹の方に集中しよう」とだけ言って、あの日から拳銃を替えた。事情を伝えたジェイムズにかけあって、自分の持っていたコルトは処分し、シグを調達してもらったらしい。 彼が手を回したのか、“あの人”のことについての報道は一切なく、だからどういう最期だったのか、私たちには知り得なかった。 それから、しばらく自分がいなくても十分なほどの指示を下したのちに捜査を一時的に抜け、彼はその間ほとんど姿を見せなかった。 一度熱で倒れてから平然とした顔で捜査会議に戻ってきたけれど、ほとんど眠らずに“あの人”の妹を探し回っているようで、薄くなってきていたはずの隈はまたずいぶん濃くなっていた。きっと眠れないのはそれだけではないだろう。 私達に迷惑をかけたくないというのと、動けなくなるのが嫌なのか、食事や休息なんかはそれなりに気をつけるようになったみたいだったけれど。 掌で顔を覆ったあの時、もしかしたら泣いていたのかもしれない。 トーヤは魔女が通う病院へ、調査と称して受診に行った。 あの日から、それまでそんな癖はなかったはずなのに米神に手をやることが度々あったから、きっと頭痛か何かを訴えたのだと思っていたし、トーヤにそう聞けば是と返してきた。 それなのに、拠点の一室で机の上へぞんざいに放られていた薬袋は、頭痛薬とは違う、新出医師の人柄について聞いた話が本当ならばそう簡単に出したりはしないだろう類のものだった。つまり彼に必要な薬のはず。 しかしそれを、彼は一つたりと飲んでいない――。 私名義で借りた部屋のリビングで、ソファに横たわるトーヤの方から軽い電子音が鳴り響く。 彼の体に掛けたジャケットが震えていた。なぜかは分からないが、いつからかトーヤは、着信に常にバイブをつけるようになっている。 コールが途切れないうちに、素早くそっと携帯を取り出して通話ボタンを押す。仕事用のものだし、これはもうトーヤにも了承を得ていることだった。 「もしもし」 『赤……ジョディさん?』 「ごめんなさい、シュウ、今ようやく眠ったところなの」 『それは……すみません』 「いえ。代わりに私が聞くわ――」 私もそうだけれど、捜査官たちは彼に負い目を感じてしまっているし、トーヤもそんな彼らに申し訳なく思っているようで、しかも以前より雰囲気が近寄りがたくなっているから、彼らはあれからめっきり、捜査で必要な会話しかしていない。 妙にハマった変装姿にみんなで笑った日が、もうずいぶん遠く感じた。 近頃ようやく、私に対しては仕事以外の口数も増えてきて、この部屋で眠ったりもするようになったのだ。 正直、捜査官としても友人としても、あとは私達に任せて本国に戻り休養した方がいいと思っていたし、その言葉は彼に会うたび喉まで出かかっていた。 しかし彼は捜査に打ち込むことで精神のバランスを取っているように見えるのだ、ここでそれを取り上げてしまえば本当にダメになってしまうかも分からない。 事実捜査自体は問題なく、仕事の配分から各手配、捜索、偽装工作、機器類の調整に情報の洗い出しなど、むしろあれこれしっかりとやれているのだから、ひとまずはよく様子を伺いつつそのまま続けさせてあげよう――というのが、ジェイムズと話し合って出した結論だった。 万が一がないよう、とも頼まれている。もちろん、言われなくても。 通話を終え、そっと携帯を元に戻す。平時であれば気配に敏いほうである彼だが、今は少しの反応もない。その寝顔をじいと見つめる。 写真を見て息を呑んだ彼に、告げられなかった。 ダーツボードとは別に幾重にも重なりながら並んでいた写真たちの、その奥の奥。ひっそりと隠すように、ライフルを持つまだ髪の長いころのトーヤと、“あの人”を写したものの二枚があったということ。 特に“あの人”の写真には、何かが書き込まれて消された跡があり、彼のものよりもよれていた。 もしかしたら、魔女が――。 言えるはずがない。こんな、動き続けた末死んだように眠っては、ものの数時間で目を覚ましてしまう彼に。 助手席で目を閉じながらひどく小さな声で“悪夢だ”と呟いた彼に。 ――せめてこの僅かな時間だけでも、幸せな夢を見ていてほしいのだ。 |