// きみとぼくとそれからついに語られなかった夜の話



 駅から離れた住宅街の一角で、髭のおじさんが一人でやってる喫茶店。日替わりケーキは美味しいけどコーヒーは特別おいしいってわけじゃない。レビューに星五つでそう書いてある。高評価はのは、席に座れたら幾らでも長居していいからと、コーヒーおかわり無料。儲ける気が感じられない。
 元々はここで姉がバイトしていた。授かり婚で急に辞めることになり、可哀想なことに弟の俺に白羽の矢が立った。姉が日常的に製菓学校に通っている弟がいると喋っていたらしく話は早かった。形ばかりの短い面接の最後に、ミホークさんは神妙な面持ちで、お前は本当にケーキが作れるのかと聞いてきた。俄には信じ難いという目をしていた。美術館に飾ってある絵や、触れると起動する携帯端末のように、それが人の手によって一から作られる過程が想像できないような高次元な事象群に、ケーキは属しているらしかった。簡単なのなら、混ぜて焼くと出来ますよ。髭のイケてるおじさんがそんなふうに言うのがなんだか可愛くて、最初に会ったときをよく思い出した。
 週に三回ほど会う歳の離れたミホークさんは、休みの日には借りてる畑で野菜作っていたり地域の剣道クラブの先生をしてたりと、自分の好きなことをして過ごしている。いつも余裕があるように見えて、忙しいんだか暇なんだか。俺が作ったケーキは、売れ残ってればミホークさんが食べれるので、ケーキセット売れるなといつも思ってるそうだ。絶対ちゃんと売ったほうがいいよ。今までに会ったことのない人でゆっくりと確実に、惹かれていった。

 最後のシフトの日の閉店後に告白した。来年から就職活動が始まるからと理由をつけて、早くこの苦しい気持ちに見切りをつけたかった。完全に拒絶される可能性のほうが遥かに高い。なのになぜ、どうして、誰かを好きになる。ただ人を好きになるだけで苦しくなるというのに。
 基本タチだけど、ミホークさんにはむしろ抱かれたい。流石にそこはいきなり直接口に出すのは恥ずかしいのでオブラートに包んだ。
「返事が必要か」
 伝えるだけ伝えて逃げようとしていたので、ミホークさんの問いかけに振り返ってしまった。だってどちらかと言うとかなり前向きな部類の返事だ。
「あ、ど、うにかなりたいわけじゃなく、いえ、お返事、もらえるなら、嬉しいです、いつでも」
 今更何かを取り繕う嘘を吐いてもしかたない。どうにかなりたい。貴方にとって少しだけ特別なままでいたい。貴方が望む限りで。
「そうか」
 そう言って一拍置いたあとに、少し試してもいいか、と言った。

「ふむ、わからんな」
 手を握られたり、髪に触れたり、肩に触れられたりして、最後にはしてもいいか聞かれた上で正面からギュッとされた。ふんわりじゃなくて結構力強かった。ヤバい。なんなの?なにこれ?ちょっと嬉しいけど、俺は試されてるわけだから、じっとしてなきゃいけない。体が離されると、流れるようにもう一度片方の手を取られる。掌をあわせるようにしてから強くも弱くもない力で握手して停止。
 体の中で真っ白な緊張と祈りのような期待がひしめき合ってる。さっきまでいた少しの諦めは息絶えた。へへ、だって結果負けたとしても、試したいって思わせた。どこまで試します?もう勝ちだ俺の。
「嬉しいものか」
 いつの間にか鋭い視線が手からこちらへ向いていた。嬉しいか、結構難しい質問だな。ふわついててよくわからない。俺は手を握り返してないまま。まだミホークさんは俺の手を解放しない。少し乾いていて、肌が綺麗だ。あとミホークさん髭と眉間で誤魔化してるけど結構幼い顔してるんだよね。
「うん」
 あ、しまった、うんとか言ってしまった。ミホークさんの眉が少しだけ上がった。
「そうか」
 言葉遣いは怒られなかった。もう雇用主ではないからかも。ねぇ今逃したら、俺の焼いたタルトもう食べれないですよ。数年後には何処かのホテルの製菓部で、貴方じゃない人の顔思い浮かべながら働いてます。そんなのいやでしょ?
「店長はどうですか、何か気付きがあったりとか」
「特に嫌悪感は無いが、最近は異性とも」
 ミホークさんの視線がコートを置いてるカウンターにとんと落ち、急に話が途切れた。軽くしゃがんで太腿の裏あたりを片腕でぐっと持ち上げられてカウンター席のテーブルへ持ち上げられる。
「んぇ、わ、ま、じか」
 慌ててバランス取ろうとミホークさんの肩に片手をついた。さっきまでレジ閉めしてたレジの横の席にお行儀悪く腰掛けさせられる。そうしてカウンターに両手をついて、俺の顔を下から舐めるように見上げて口角をあげた。何かしら得心したらしい。
「なるほど」
「何がです」
 あーあ何今の。勝てると思っても隙をみせると流される。大人こわ。
 ジムフレックスのオックスフォードシャツの釦を押さえないほどの力で、ミホークさんの指が俺の心臓の上に置かれる。ゆっくりとお腹のほうに降りて、また心臓の上まで戻る。呼吸すると動く自分の体が、既に自分のものではないような感覚がする。心臓の上を通過して第一釦の上に指が届いたところで、その手を捕まえた。
「貴方なら、何でも試していいですが、これ以上は俺一生貴方の体オカズにしますよ」
 雄出して挑発すると、珈琲を何杯頼んでも見ることができない顔で、構わんぞ、と不適に笑う。




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