五万打 | ナノ
種々甘味


一応先生という立場なのに、どうも俺はなまえを姉に持つこいつ、剣吾になめられている。
長年思ってきた相手がなまえだということを知られたせいだ。

「先生最近姉ちゃんとどう?」

休憩時間を取ると、いつも寄ってこられて毎度のことなまえについて尋ねられる。姉の恋愛事情に興味があるなんて、こいつも相当シスコンだ。確か前に、なまえが「反抗期で親にはつっけんどんなくせに私だけに懐いてくれる」と嬉しそうに話していた。姉弟そろって愛が強い。

「お前の姉貴の肌具合見ればわかるだろ。」

なまえは調子がいいと、本当に肌の色つやがよくなる。一番いいときだと、化粧をしていなくても、頬がほんのり淡く色づいて、より一層艶やかになる。

「最近姉ちゃんほんときれいだよね、・・・って先生、それのろけ?」

「ばっ・・・馬鹿言え。おら、休憩する気ないなら地稽古すんぞ。」

「ラッキー!」

最初からこれを狙っていたくせに、と心の中で悪態をつきつつ、俺は竹刀を取る。
残りの休憩時間、地稽古を行った。なまえがよく努力しているとほめちぎっているように、この道場の中でも剣吾の腕は抜きんでている。休憩時間後に全体でも地稽古をさせたが、剣吾はよく他の生徒たちを引っ張っていた。
もし学校に剣道部があったなら、そこでも頭角を現すに違いない。

「お疲れ様でーす。」

稽古時間が終わると、道場にいつものようになまえが迎えに来た。剣吾に手を振ると、俺のもとへいそいそとやってくる。

「神田先生お疲れ様。」

「ああ。」

夜九時に終わるので、なまえは仕事の終わる時間によって服装が違う。ラフな格好ですっぴんで来ることもあれば、会社の制服を着て、薄く化粧を施した状態でくることもある。付き合う前からそんな感じだ。付き合った直後などはわざわざある程度身なりを整えてきてくれたりもしたが、正直言って、すっぴんのなまえの方が自然体で好きなので、気にする必要はないと伝えた。
今日のなまえは、すっぴんだ。

「ねえ神田先生、今度の土曜ひま?」

「ああ、そうだな。」

「それじゃあ一緒に、ちょっとお買い物しない?」

「買い物・・・」

「あっ、もちろんウィンドウショッピングとかそんなんじゃないよ。ちゃんと目的のある買い物。終わったら、どこかでちょっとお茶して帰れればいいなって。」

俺はもちろん頷いた。

「よかった。それじゃあ土曜日。一時くらいにここ集合ね。」

午前中はちょっと用事があるから、と苦笑して、なまえはぱぱっと予定を決定させた。

「姉ちゃん帰ろー。」

タイミングを見計らったかのように剣吾が出てきた。なまえは先に車に行ってて、といって俺に向き直る。

「じゃあね、神田先生。」

俺の腕に手をかけ、素早く頬にキスをしてなまえは帰っていった。ぱっと顔を背けてしまったが、一瞬見えた表情が恥ずかしそうで、引き止めて抱きしめたくなった。

なまえが化粧をしていたなら口紅が少しくらい残っただろうに、と家に帰ったあとで鏡を見てなんだか残念になった。けれど、頬にキスをされた時に擦れた頬がスベスベで、やっぱりなまえのすっぴんはいいなとも思うのであった。



*



なまえとのデートは、するたびになまえの知らなかった一面が垣間見える。
小学校の時に過ごした時間は密だったが、それでも一緒に過ごさなかった時間の方が多く、知らないことはたくさんある。それはもちろんなまえだって同じで、なまえは自分が知らなかったことを知ると、「また一個」といって嬉しそうに笑う。かわいくてそんなときはつい引き寄せてしまう。

「あ、また神田先生が早い!」

待ち合わせ場所にくる時間は、いつも俺の方が早めだ。なまえは悔しそうにする。
万が一なまえの方が早くきて変な男に絡まれでもしたら、俺が傷害事件を起こしそうなので早めに来るのだ。

「気にするな。」

「気にするとかそういうんじゃなくって、神田先生美形だから・・・」

女性にナンパされたらいやなの、と言外に伝えるなまえ。もじもじと服の裾を引っ張る。なんていじらしいのだろう。

俺は服の裾を引っ張るなまえの手を取った。

「いいから、どこに行きたいんだ今日は。」

「っ、あ、そうだ。あの、こんな日まで申し訳ないんだけどね、実は竹刀の手入れするための道具とか買えたらって。」

「わかった。」

「いいの?」

「いや、そもそもだめな理由ねぇだろ?」

「また弟かって、怒られるかと・・・」

なまえは安堵と照れくささを併せ持つ笑顔を見せる。

「小学校のころから、剣吾一筋だったのに、今更いうか。」

「えっ、うそ!?」

「本当。」

俺はなまえに聞かせてやった。
生まれたばかりの弟がいて、すごくかわいくて仕方がない、といつも弟のことを話していたこと。時々、両親が弟に構ってばかりでさみしいと言いつつ、でも弟がいるからいいと言って、なんだか矛盾したことを言っていたこと。

「うわー・・・そうだったんだ・・・」

顔を覆い隠すなまえ。今だって同じようなものなのに今更恥ずかしがったって。でもそういうところがすぐさま俺のツボを押す。

「あっ、おい、」

顔を覆っていて目の前が見えていなかったので、電柱にぶつかりそうになったなまえを引き寄せる。

「あ、ありがと神田先生・・・あーもう、私何やってるんだ・・・」

なまえはぶつかりそうになった電柱を見、俺を見上げ、脱力するように俺の胸に額を付けた。ドクリと心臓がなった。ポーカーフェイスを貫く。

「い、いくぞ。」

「うん。」

俺はなまえを引き寄せたのを利用して、またするりと手をつなぐことに成功させた。なまえが俺を見上げて照れくさそうだが嬉しそうに笑うので、またぐっと来た。


*



「あ。」

「あ。」

「あれ?」

の三拍子。まさか姉弟とはこれほどまでに意思が通ずるものなのだろうか。
剣道用品を扱う店は確かにここしかない。しかしながら、同じ日の同じ時間帯に剣吾と出くわしてしまうなんて、思いもしなかった。
剣吾は俺たちと出くわしてなんだか間が悪そうにしている。

「姉ちゃんたち、ここがデート先なの・・・」

剣吾は俺の方を残念そうに見つめる。いや、言いだしたのは俺じゃない、なまえだ、などとなまえを悪者にするようなことは言えない。

「剣吾、違うから!神田先生、私がここ行きたいって言ったからついてきてくれたの。」

なまえだったらそう言ってくれると思っていた。

「え、そうなの?」

「神田先生は剣吾の竹刀を手入れする道具を一緒に買いに来てくれたの。」

「うわー・・・」

今度はなまえが残念そうな視線にさらされる。

「俺がいいって言った。」

「・・・なんか、神田先生思ったより優しい。」

お前にそう評価されても全然嬉しくねぇ。というのはなまえの前なので一応抑えておく。

「で、お前もなんか買いに来たのか?」

「うん。姉ちゃんとおんなじ目的。」

以心伝心とはこのことか。この姉弟の間に俺が入る隙がよくあったものだ。

「あっ、それじゃあ・・・」

なまえがそれを聞いて、俺のことをちらりと見る。俺は小さく噴き出す。

「神田先生なんで笑うの!」

「いや・・・」

俺は慌てて笑みを隠しつつなまえに頷いた。

「とにかく俺は気にしない。」

なまえは俺の言葉に顔を明るくした。わかりやすい。

「先生・・・」

剣吾が俺に哀れみの目のようなものを向けてきた。「姉ちゃんに弱すぎ・・・」と言われている気がして、俺はその視線を見ないよう、なまえの隣に向かった。




*




店を出たあと、なまえは剣吾の腹が鳴る音を聞き、おやつ時だから何か甘いものを奢るといって俺たちのデートに同伴させた。
俺は剣吾が付いてこようが気にしない。というより、もともと買い物のあとは茶をする予定で、それはあまり俺の得意とするものではなかったので、剣吾が増えるのは大分ありがたかった。
カフェでは主になまえと剣吾が喋っていて、しゃべらなくていいのは楽だった。なまえはそういうところを分かってて、剣吾がいるのはいいことだと判断したのだろう。
大抵、なまえと二人きりの時にはお互い、ゆっくりと会話のキャッチボールをしていく。なまえは小学校の時に比べたら大分しゃべるようになったなどと言って、よくからかう。俺はそれにうすく笑う。そういうのが心地よかった。
今日は今日で、普段は俺に見せないような、姉として会話するなまえが見れてよかった。

「それじゃ、さすがにこれ以上デートの邪魔はできないから。」

といって、カフェで甘いものを食べた後は剣吾は帰っていった。

「それじゃあ、神田先生どこいこっか?お茶するまでは考えてたんだけど・・・先生はしたいことある?」

「・・・一つ、行きたいところが。」

「じゃあ、そこに行こう。歩いていける距離?」

「ああ。」

行き先を言わなくても、途中でなまえは気が付くだろう、と思って言わなかった。

なまえは目的地まであと少しというところで唐突に気が付いた。

「もしかして・・・!!」

飛び跳ねるように俺の腕に抱き着き、俺を見上げる。

「ああ。」

俺はなまえに頷いた。
それは、俺たちが短い間だけ一緒に過ごした小学校だった。

「通学路、覚えてたの?」

「いや、さすがに覚えてなかった。」

正門前に俺たちは立つ。もちろん固く閉ざされていて中には入れない。

「一周するか。」

「うん。」

小学校の中には入らず、俺たちはただぐるっと一周するだけした。フェンス越しに見える花壇を見て委員会が緑化委員だったとかという話をしたり、校舎を見上げてどのクラスに自分たちがいたかを確認したりした。

「神田先生って、五年生の時に転向してきて、三学期始まる前には転校したよね。思えば、小学校の時仲良かった他の友達よりすごく短い時間だったのに、私、なんでかずっと忘れられなかったなあ。」

「・・・俺もだ。」

「そうなの?嬉しい。」

ふふ、と満足そうに笑むなまえを見ていたら、もっと何かを伝えたくなる。なまえを喜ばせるような言葉を、もっと口に出したくなった。
しかし口下手な俺は、言葉にしようとしても何か気の利いた言葉が思い浮かぶわけではなく。結局、手がでてなまえを引き寄せ抱きしめた。

「先生、ここ人通るよ。」

と少し恥ずかしがりつつも、受け入れてくれるなまえ。

「好きだ。」

頭にキスを落として、言った。結局その言葉しか伝えられない。

「私もだよ。」

腕の中で少し身じろぎして、自分の心地よい位置を確保しながらなまえは言った。俺に心地よさそうにもたれかかっている。
なまえがそうしたことで、俺も心地よくなった。

今まで何人かの女と付き合ったことはあった。でも最終的に俺が思い浮かべた理想の女は、自分の中の矛盾さえ受け入れてしまえるほど寛容で、人を大切に思うことを知っている、なまえのように穏やかな女だ。一緒にいて、心地よいと思える女だ。

性格なんてまるで正反対だが、なぜか俺はなまえがいると一番しっくりくる。

少し体の間に隙間をあけて、なまえを見降ろした。こちらを見上げるなまえはにこにこと幸せそうにしている。

「ねえ神田先生、キス、してくれないの?」

素直なおねだりに俺は少し笑って、「する」といいキスした。

「明日、予定あるのか?」

「ないよ。だから、今日はお泊りでいい?」

「ああ。」

なまえは少し悪戯っぽさを演出しながら言ったが、俺が普通に返したものだから、その演出を崩し、ふふふと笑う。

「それじゃあ、行こっか。」

なまえから手を握られ、引っ張られるようにして俺は歩き出す。
前も、こんなことあったなと思いつつ、俺はそのちょっとした強引さに心地よさを感じて歩いた。
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