五万打 | ナノ
包み込んで鉄火肌2


寒気のする噂が看護婦から伝わってきた。
神田さんが、担当医を口説いているという噂である。
担当医はもちろん男だ。
守備範囲の広さと、早く病室から抜け出そうとする意地に呆れるばかりだ。たった一週間を、なぜ我慢できないのか。
担当医の彼は、私に担当を変わってくれと迫った。

「どうにか、変わってくれませんか」

「あと三日ですけど、それくらいも耐えれませんか」

「無理です。私にはあんなのこれ以上聞いてられません」

どれほど甘ったるい言葉をかけられているのかわからなかったが、彼の顔はひどく疲れきっていた。

「神田さんの怪我はどうですか」

「もう怪我は動いても支障がありません。傷口は完全にふさがっていて、任務も本当は出向けます」

「じゃあもう、病室に縛り付けるのはやめましょう」

「えっ、いいんですか」

「いいもなにも、一週間を言い出したのは先生のほうですよ? 本当は先生が決断してもいいのに」

「ああ、そうでした。なんだか混乱しちゃって」

二人して小さく笑う。

「それじゃあいってきます」

担当医の彼はすぐに退室許可をだしにいった。
見送りながらほっとしていた。またしばらくは平穏がやってくる。平穏をこれほどありがたいと思ったのは初めてな気がする。神田さんに煩わされずにすむことは、平穏そのものだった。

しかし、平穏は戻らなかった。

「なまえ先生、大変です。神田さんが」

看護婦さんがあわてて診察室に駆け込んできた。
まさかまた問題が起こるとは思わず、げんなりした気持ちで病室へ向かう。
神田さんにあてがわれたのは六人用の病室だ。現在神田さん以外に三人ファインダーが病室にいる。
病室の中は静かで、死すら感じ取れるほど冷たい空気だった。ファインダーたちは、おびえて、布団の中で体を丸めていた。

左最奥で担当医が神田さんに胸倉をつかまれ、締め上げられていた。

「いい加減にして」

私はすぐに神田さんを蹴飛ばした。ベッドを背にしていたので、神田さんはベッドへ倒れこんだ。
担当医は苦しそうに堰を吐き出して、大きく息を吸っていた。

「ありがとうございます」

息絶え絶えの礼は彼のひ弱さを強調していて、呆れた。
私は目線だけでそれに答え、ベッドの上で倒れこむ男を冷ややかに見下ろした。

「今度は、なんですか。一週間も我慢できないようだから彼が期間を短くしたというのに、まだ不満が? 確かにエクソシストはこの教団の要です。でもだからといって全ての我がままを聞いてもらえると思ったら大間違いですよ」

「こいつがいつまでたってもお前を説得しねぇで、しかもそのまま病室から追い出そうとするから、こんなことになってんだろ」

ベッドからおきながら、拗ねた様子で神田さんが口答えした。

「説得? なんのです」

目線を隣の男に戻すと、気まずそうにそらされた。

「あの……ずっと、担当医を代われと言われてて。でもなまえ先生、神田君の話題になると頑なだったでしょう。だからなかなか、強く言い出し辛くて。勇気をだして言ってみたら、先生、もう神田君を縛り付けるのはやめようといってくれたので、これ幸い、と思ったんですが……」

まさかずっと担当医を代われと要求され続けていたのか。私はめまいを覚えるほどあきれ果てた。
口説いているとかそういう噂はだいぶ尾ひれがついていたようだ。

「でも、担当医を代わるなんて、意味がわかりません。エクソシストを治療するなら、腕のいい医師のほうがいい。なのにわざわざ私に替えようとするなんて」

「いい加減にしろ」

先程の私の言葉をそっくりそのまま返され、胸倉をつかんで引き寄せられた。
目の前に存在自体が凶器の男の顔がある。私の心を深く抉って、我が物にしようとする男の顔だ。
私は自分の心がいいように振り回され、傷つくのが嫌で逃げてきたのに、近くで覗き込まされた目はいともたやすく私の心を檻に閉じ込めた。

「分かってるくせに、いつまでも逃げやがって」

肩を押し、振り切ろうとしたが、すぐ引き寄せられる。顔を背け、暴れるとようやく離れた。

「私はあんたみたいに、傲慢で、自分の命すら尊ばない奴に心を砕きたくない」

言葉の裏には、願いがこもっていた。
この男にどうにか気づいて欲しかった。私の恋心だけじゃない。どれだけ自分が仲間から、教団から大切にされているか気づいて欲しかった。そして、自分を大切にすることで、その気持ちに真摯に向き合って欲しかった。
そうでなければ、いくらこの男から好意を寄せられていても傷ついて、傷ついてボロボロになるだけ。それが嫌で避けていた。

「だいっ嫌い」

ぽろりと、右目から涙がこぼれた。とめる暇もなく一瞬のうちにあふれて、ころころと転がり落ちていった。
ぎょっとしたのは、私も、二人の男も同じだった。
涙はその一粒だけで止まった。でもいたたまれなくなって、逃げ出したくなった。

許さなかったのは、神田さんだった。
私を抱き上げると、そのまま人気の無いところまで連れて行った。

下ろされ、抱きしめられ、どうあがいても逃がしてはくれなかった。

「どうすればいい。どうすれば、俺はお前に好かれんだよ」

肩にうずめられた口から聞こえてきた声は切実そのものだった。

「……自分が他人に望むとき、その望みは自分にも向かなくてはいけないんですよ」

神田さんが、首に唇を押し当てた。首筋に熱い吐息を感じて、自分の体温が上がるのを感じながら私は続けた。

「好かれたいなら、自分を好きに。……自分を大切にしてください。そうすれば私は、あなたを全力で大切にします」

神田さんは私の顔を覗き込んだ。唇を引き結び、眉間にシワを寄せていたが、瞳には切ない光がともっていた。

目を閉じる。熱い吐息が唇にかかって、唇が触れた。

今まで守ろうとしていた心を、今は喜んで差し出した。触れる唇伝いに、吸い取られてすぐに全てが神田さんのものになった。
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