ぐるぐる眼鏡 | ナノ
短くてもどかしくて大切

科学班は多忙だ。同時に、エクソシストも多忙である。

静的な多忙を極める科学班に対し、エクソシストは、動的な多忙を極める。

机の上にかじりつき、世界中から集められるデータ解析や情報の整理、イノセンス加工、武器開発、通信機などの機械開発など、科学班員はそれぞれの専門分野ごとに多岐にわたる業務を担っている。

エクソシストは、世界各国を飛び回り、イノセンスの可能性高し、とされた奇怪現象を調査し、イノセンス回収の任務を遂行する。これを第一の任務としながら、AKUMAの動きが怪しい場所へ足を運び、千年伯爵側の動きも追っている。他にも、以前あったように、元帥護衛などの任務も担う。

教団に帰還している時間は、任務で教団を留守にする時間に比べると圧倒的に少ないのが現状である。

そのような状況で、もちろん、私が神田ユウと会える時間というのも限られている。

その時間はもちろん貴重で、改めて恋人となってからは、より貴重なものとなったのも事実だ。

ただ、私には優先順位があるのも事実で、神田ユウを始めとしたエクソシストのために働く時間は、神田ユウと同等、またはそれ以上に重きを置くべきものであるのだった。

「戻った」

「おかえりなさい、神田ユウ」

「……戻ったっつってんだろ」

「はい、お待ちしていました」

「一ヶ月かかった」

「無事で、良かったです。報告書はすでに提出しましたか?」

「それも終わらせた……急ぎで」

神田ユウは約1ヶ月の長期任務にあたっていた。これには少し私の采配が関わっている。当初は遅くとも2週間で片がつくと思われた任務だったが、神田ユウと行動をともにしたファインダーが悪かった。相性の悪さが浮き彫りになり、イノセンス探索に手間取ったのである。しまいには、奇怪現象はイノセンスとは無関係であり、ほぼ任務期間中はAKUMAを掃討することになったのだった。

ようやく奇怪現象とイノセンスとの関与度の低さが立証できて、つい先程、神田ユウは帰ってきたばかりというわけである。

「長旅でおつかれでしょうから、まずは休息をとってはいかがでしょう」

私はもちろん神田ユウの考えていることに鈍感であるというわけではない。神田ユウが長期任務から帰ってきて、遠回しに伝えていることがあることも百も承知である。しかしながら神田ユウが帰ってきた時間は少しタイミングが悪かった。私はちょうど、神田ユウの次の任務先の調査をしていた。

神田ユウの帰還が決まってから、私は休日を手配した。順調に神田ユウが移動すればいつ教団へ帰還するのかしっかりと計算したのだ。それは明日のことだったので、休日は明日にすることにしていたのだ。
要するに、神田ユウの帰還が早すぎたのである。おそらく無茶をして帰ってきたのだろう。

「少し、仕事休めるか」

「今、ちょうど重要なことをしてて。今日は早めに終わる予定ですから、お待ちいただくことできますか」

「……今、が、いい」

「……でも、」

私は自分の手元にある資料に目を落とす。この資料は、今日中には処理しなければならない物であり、次の神田ユウの任務先に関わりがあるものだったため、丁寧に処理し、考えうる危険を全て洗い出そうと考えていた。また、今度こそ手間取らないよう、最大限配慮しようと決めていたのである。

「……ならいい」

伝えようとする前に、神田ユウは不機嫌そうに、去っていった。

「……いいの? キラ」

ジョニー・ギルが、私達の一連の会話を観察し、気遣わしげに声をかけてくる。

「少し、よろしくはないですね。しかし、重要な仕事もあるのも事実なのです」

「でも神田、たぶんキラにあいたくて帰ってきたんでしょ?」

「そうですね。しかし、この仕事は神田ユウに関わっていたので、集中して取り組むべきものでしたし。明日は、休日でしたから」

「その休日のこと、神田に言った?」

「……いいえ」

「それ、あとで言ったほうがいいよ。神田のために休日つくったって」

ジョニー・ギルの言うことは確かに一理あった。

「……そうですね、本日の勤務時間が終わってから、伝えに行くことにします」

素直にジョニー・ギルの助言に従うことを決めつつ、私は目の前の仕事に取り掛かった。

明日の休日のために、そして、明日に疲れを残さないために、これまで少しずつ仕事の量を調節してきたのである。無茶をせず、淡々とこなしていけば、今日は、いつも自らが定める定時よりも2時間も早く仕事を終わることができる予定である。

私の脳と体はその時刻に向けて、働き続けていた。いや、それよりも早く回転を続けていた。

頭の片隅には、先程のイライラしていた神田ユウがちらつく。あのとき、やはり仕事を一度おいたほうがよかっただろうか、と考え始めると、罪悪感からか、目の前の仕事に焦りが生じる。そのせいか、なんだか空回りしつつ仕事を終えた。

結果、予定より、1時間ほど早く、今日中に行うべきことは終わった。

「……」

少し、疲れた。いや、だいぶ疲れた。脳を使いすぎて終わった瞬間、体の力が抜けた。
しかし、これで早く神田ユウと会えるということを喜んでいる自分も存在した。

「あ、キラ今日はもうおわり? おつかれさま」

「はい。それでは、失礼します」

立ち上がった私に、ジョニー・ギルがねぎらいの言葉をかける。
私は丁寧に挨拶をして、そのまま神田ユウの部屋へ向かった。

ノックを3回。返事はなかった。

もう一度ノックを3回。返事がない。

どうやら、神田ユウはいないようであった。もしくは、睡眠中で起きられないか。

任務期間中は、眠りが浅くなることはままあることだ。いつAKUMAに襲われるか分からない状況でおちおち寝ていられるわけもない。睡眠中であるならば、ここは休ませるべきであろう。

私の頭の中では、そのように思考が進んでいた。

しかしなぜだか手は勝手にドアノブに向かっていて。本当はいないのかもしれないし、鍵がかかっているかもしれないのに、その取っ手を回していた。

鍵は不用心にも、開いていた。

そして、部屋には神田ユウがいた。ベッドに腰掛け入ってくる私をちらりと一瞥し、そっぽをむいた。

「……」

いったいなんと声をかけたら良いのか。
明らかに機嫌を悪くしてしまい会話をする気のない人間を前に、第一声として発すべき言葉を今まで絞り出す必要のなかった私は戸惑った。
そもそも今まで、他人とこのように負の感情を見せ合う関係で会ったことがあるだろうか。知的探求ばかりに熱中し、他人との関わりが最小限だった私にとって、他者のことを考え始めるようになったのは教団に入ってからの方が圧倒的に多かったのである。
考えた末、思いついたのは、勤務中のジョニー・ギルのアドバイスである。

「私の計算上、神田ユウが通常通りに帰還すれば、明日が神田ユウの帰還日でした」

「悪かったな早くて」

順を追って説明するべく、ことの経緯を話し出そうとしたのだが、この出だしは神田ユウを非難しているように聞こえたらしく、残念ながら神経を逆撫でしてしまったようだった。

「明日の帰還に合わせて、神田ユウとの時間を捻出できるよう、明日私は休日を計画しておりました。本日もいつもの定時より3時間早く1日のタスクを終了させました」

「そうかよ」

しっかりと説明したはずだが溜飲は下がらないらしい。
人の怒りを鎮めるには謝罪が一番ということだろうか。

「申し訳ありませんでした」

「……」

ついぞ、反応がなくなる。
いよいよ、これ以上何を言ったらいいのかわからない。謝罪も、努力したことも伝えた。それではいったい何が欠けているのか。
私としては最大限の歩み寄りをしたつもりである。ジョニー・ギルのアドバイスも実行し、自身で考えた謝罪の言葉も添えた。さて今度はいったい何が足りないというのか。

いよいよわからなくなった私は、直接聞くことにした。

「神田ユウの機嫌は、どうやったら良くなるのでしょうか」

「……」

知るか、とでも言っていそうな表情だけ向けられる。私は神田ユウがいったい何を伝えたいのか分からず当惑する。私にこれ以上どのように対応しろというのか。
せっかく、時間を捻出したというのに。
これでは近づくことも許されていない。

先程少し無理をした分、疲れも相まって私は気分の落ち込みを感じ、静かに一歩下がった。ドアを開けて中をのぞいているだけだったためすぐにドアを閉めれる位置だ。

「明日、出直します」

「!!」

私は今日は諦め自室に帰ることにした。眠れるだろうか。眠れなかったらまた仕事に戻ればいいか。なんてことを考えながらドアを閉める。

とぼとぼと、自室へと帰る。

紙類や衣服が散らばる部屋へ到着し、神田ユウが任務に出ていたときいつも行うように、ベッドに一人丸まった。

いつもなら、規則正しく眠れるはずが、今日はうまく寝付けず、しばらく寝返りを何度も繰り返した。

なぜか、目尻に涙が溜まった。胸のあたりがきゅうきゅうと絞られるような感覚がした。

しばらくすると、今度はなんだかじっとしていられなくて、枕を叩いた。拳を握って、ストレートを何度か叩き込んだ。

喉の奥から変な感覚がこみ上げてきて、吐き出すように声を出したかったが、理性が勝ちださなかった。代わりに、また枕を叩いて、その後枕に顔をうずめた。

(こんなにも、なぜ私は感情が乱れているのだろう。これは悲しさなのか、怒りなのか、それとも悔しさなのか)

一人心のなかで、暴れ狂う情動の分析を試みる。抑えなければ。感情の波のせいで、体まで変な影響を受けている。

(私だって会いたかった。しかし仕事をおろそかにしたら、ちゃんと現場のサポートをしなければ、神田ユウに二度と会えなくなってしまうかもしれない。どちらを優先すべきだったのか。伝えなかったからいけなかったのだろうか。あの場所で、私は仕事を放り出すべきだったのか。……謝ったけれど許してもらえなかった。明日はどうしよう。会ってくれるのだろうか)

考えも気持ちもまとまらず、いよいよ私は考えるのを放棄した。疲れている。そもそも脳の処理機能が低下しているからこうなっているのである。眠れなくてもまずは寝るべきだ。

以前、医療班から受け取った、睡眠薬を服用した。

改めて、ベッドに身を沈めながら、余計なことを考えないように、素数を数えながら目をつむった。


*

眠りに落ちて、何時間経ったのかわからない。体に熱がこもっているような感覚が不快で、意識が浮上した。
体を洗い流したりもせず、服もそのままにベッドに潜り込んだため、体が少しベタベタとしていた。
体がベタベタとしている分に関しては大したことはなかったが、暑さばかりは寝苦しくなってしまう。眠りをこのまま続行するためにも、上までかけていた掛け布団をずらそうとした。
ここで、うまく体が動かないことに気づいた。
全体的に体が重たい。腕も上がらない。寝返り等も打てない。そもそも、背後から誰かが私を抱きしめていた。

寝ぼけていてきちんと理解していなかったが、どうやら、いつの間にか神田ユウが部屋に忍び込み勝手に添い寝していたらしい。

「起きたのか」

掛け布団をずらそうとしていた私の僅かな動きに、神田ユウが目を覚ます。
神田ユウは背後から抱きしめる腕を緩めてくれ、私は掛け布団をずらしてようやく熱を逃した。

「……不法侵入ですね」

鍵をかけ忘れていた自分自身のことを棚に上げ、勝手に布団に潜り込んできたことを非難する。
神田ユウは後ろから私の腕のあたりを撫でるだけで、何も答えなかった。

「悪かった」

神田ユウが謝る。

「お互い様です」

私は許しを与える。

「あの、わかってほしいことがあって」

私は、神田ユウのほうに体を向け、胸板に顔を寄せた。

「私は、神田ユウが、みんなが無事に帰還してもらえるようにと思っています。仕事も楽しい。しかしそれ以上に重要性を理解しているから、どうしても、その……」

「ああ」

「先程は、特に神田ユウの任務先の調査をしていました。次こそは、つつがなく終わるようにと集中したかったのです」

「ああ」

「だから、あなたのことをないがしろにしようとしたわけでは」

「わかってる」

神田ユウから額に唇をおとされる。まぶた、頬、とだんだん降りていき、唇に降りた。
丁寧に唇が合わされ、柔らかな吐息が行き交う。久しぶりの触れ合いは、先程までの申し訳無さや、突き放された悲しさ、許された安堵、全てをないまぜに溶かして、心の奥に、愛しさになって注がれていく。

「次の俺の任務は?」

「予定では、明後日、早朝出発です」

この期日は少し手を加え、ギリギリまで伸ばしたからこその結果だ。自分のわがままを混ぜてしまったことには罪悪感を感じつつ、それでもこの短い時間が長く続くようにと手が動いた。自分の判断で、もしかしたら人命が損なわれてしまうかもしれないと思うと、恐ろしい。逃れられない恐ろしさを、私が伸ばしてしまった時間を、神田ユウがいつもカバーしていることを、私は知っている。

「なら今は、寝る。明日な」

神田ユウはそういって、しっかりと私を抱き込んで、寝入ろうとする。

「少し、熱いです」

苦情を訴えると神田ユウは無言で掛け布団にパタパタと空気を入れた。掛け布団はずらして熱が逃げるようにしただろう、という意思表示である。
抱き込むのはやめる気はないその意思が少しおかしいような、愛おしいような心持ちで、ちょっとの暑さには耐えその日は眠ったのだった。

次の日の朝は、神田ユウにしっかりお風呂に追いやられ、準備をしてからともに過ごすことになった。

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