▽ 言葉1
誰かの心を思いやるのは果てしない暗闇への冒険だ。相手の言葉の端に潜む感情を小さな明かりに変えて、自分の周りだけを照らして相手の暗闇の中を探る、果てしない冒険。
娟はアルトの心の中を知るためにアルトからの言葉が欲しかった。なんでもいい。拙くていいからヒントが欲しかったのだ。アルトに姉弟が嫌だといわせたものが一体何なのか、娟は知りたかった。辛そうにしていたアルトに寄り添いたかった。しかしアルトは何の言葉も娟に与えず、娟を遠ざけた。娟を、暗闇の中に置き去りにした。
何も見えない暗闇は、娟に嘆きにも似た怒りを連れてきて彼女の体をおかしくした。胃がひねられたような感覚と、体が燃え上がるように熱を上げていく感覚が彼女を現在苦しめている。
アルトの部屋から出た娟は、それらを吐き出してしまいたくて、教団の外へ出ようとしていた。人がいつもいない森の中で叫びたかったのだ。それは娟が今まで一度もしたことのないことだった。内気な娟は怒るよりも縮こまるばかりでほとんど怒りを感じたことがない。そもそも声を出して他の誰かに聞かれたら惹きつけてしまうから、そんなことは決してできなかった。
今こうして叫びたいと思っているのは、おそらく群青色のイヤリングのおかげだけではない。リナリーのように娟に耳を傾けてくれる人がアルト以外にも増えたからだ。教団の人たちは皆、娟が雪女だからと言って忌避しない。
できるだけ森の奥まで走っていたら、娟はいつのまにか教団の敷地の端までたどり着いた。目の前にあるのは崖だ。娟はそこで叫んだ。
「アルトの、アルトの馬鹿ーー!!」
叫んだ方向に何かあるわけでもなく、彼女の声はただ消えていった。
娟は大きく息を吸い込んで吐き出した。自分の溜飲が下がって、娟はどっと疲れを感じた。娟は一旦その場に座り込んで休む。崖から足を投げ出すのは怖くて、彼女は近くの木の根まで下がった。
怒りの後に残った悲しみをじわじわと自覚し始めて娟は涙が出そうになるのを堪えるように目を閉じた。しばらく沈むように木の根にもたれていたかった。
「かぼせぇ声。」
後ろから声が聞こえて娟は心臓が止まるかと思った。木にもたれかけていた体を起こして、娟は飛び上がる。後ろを振り返ると神田がいた。
「ど、どうして。」
娟は驚きと先ほどの娟の声を聞かれたことで挙動不審気味になった。
「ここはお前の私有地じゃねぇだろ。」
といって鞘から抜かれた状態の六幻を肩に担いだ神田。神田はエクソシストが着る団服を着ておらず薄手でノースリーブのタートルネックを着ていた。何度か神田と修練場であった時に神田が来ていたものだ。どうやら神田は森で鍛錬していたようだ。
「邪魔して、ごめんなさい。」
神田は鍛錬している時に静かさを好むことを娟は知っている。修練場で座禅を組む神田の姿を見たことがあるからだ。
「か細い声くらいで邪魔されるかよ。」
神田はそういって六幻を鞘に収めた。それから娟のいる木の根に腰を下ろす。
先ほどの言葉は神田の優しさなのだろう。娟は前回の任務で神田なりの優しさに触れたおかげで、少しひねくれた言葉の真意を理解できるようになっていた。
娟はそっと座り直す。神田は娟と同じ木の根に腰を下ろしているけれど、娟が右に首をひねらなければ見えないところに座っている。
神田は娟の近くに座ったからといって何かを喋るわけでも、すぐに立ち去るわけでもなかった。休憩するつもりだったのかどうかは娟には判断しようがない。
とりあえず娟は心を落ち着けたくて口も目も閉じ聴覚だけを敏感にさせた。
木のさざめきと鳥の鳴き声に耳を傾ける時間が二人に訪れた。
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