不意打ち
初めてエレンと話した日から、今までずっと不思議だった。
エレンには周りに大勢の仲間がいる。ミカサやアルミンとかは、きっとエレンが一番話しやすくて、信頼している相手だ。そんな話しやすい相手がいるのに、どうして話しかけづらそうな私に話しかけてくるのだろう。
私はエレンのおかげで、前よりは人と話すのも、視線を合わせるのも、苦手ではなくなった。エレンが短い会話で私をならしてくれているおかげだ。
もしかするとエレンは、私のことを気遣って話しかけてくれていたのかもしれない。私がエレン以外とも話せるようにするために。この間は、私が食事を食べづらそうにしていたのを気づいて、ジャンに言ってくれたし。
「あ、なまえ。」
考え事をしながら黙々と雑巾がけをしていると、エレンが私を呼んだ。
「そこ、もう俺が拭いたから。」
「あ、うん。」
私は雑巾がけをしていった方向を転換させた。
今、エレンと廊下を掃除しているのだけれど、両端から中央に向けて、二人とも進んでいたのだ。
「ねえ、エレン。」
「なんだ?」
「もし、私のことを気遣って、話しかけてくれるのだったら、私はもう大丈夫だよ。」
こんなこと言うのは、なんだか自意識過剰な気がしたが、もし気遣ってくれているのだったら嫌だと思ったのだ。エレンは巨人化の力で成し遂げなければならないことがあるのだ。私がエレンの邪魔をするわけにはいかないし。
「は?」
エレンは、いったい何を言っているのだといった感じで、こちらを向いた。
「えっと・・・違うなら、別にいいのだけど。」
「ああ、違う。」
「そ、そうなんだ・・・」
私は、やっぱり自分が自意識過剰だったと分かって、少し恥ずかしくなった。
エレンは雑巾がけを念入りに、これでもかってぐらいに一生懸命しながら、口を開いた。
「あのさ、俺、お前に笑ってほしいって思ってるんだよ。」
「私に・・・?」
「お前どんなことがあっても全然笑わないだろ。というか、喜怒哀楽とか、知らねぇって感じでさ。」
「そうかな。一応、感情はあるつもりなんだけど・・・緊張とか、したりするし。」
「それがあんまし顔にでねぇだろ?」
「そうなの、かも。」
「だから笑ってほしいんだよ。そうだ、一回顔だけでも作ってみろよ。こうやって。」
エレンは、そういって、にいっと笑った。
「ほら。」
私は、エレンに促されて、頬を引きつらせてみた。
「・・・な、なんか違うな。」
エレンは、私の表情を見て、自分の頬を引きつらせていた。
「ちょっといいか。」
エレンが、手を少し払って、私の両頬に手を添えた。指先が、耳に当たって少しくすぐったかった。
それからぐぐ、っと頬を一度持ち上げようとする。なかなかうまく私が笑顔にならないらしく、一生懸命なのだが。
「エレン、耳がくすぐったい。」
「え?」
頬を持ち上げられることよりも、耳がくすぐったくて、私はそちらに気が行った。
「あ、そうか!」
エレンは、私の発言に何のヒントを得たのか分からなかったけれど、急に耳をくすぐり始めた。
「く、くすぐったいって、エレンっ。」
くすぐったさに身を捩っていると急に、ぱっ、とエレンの手が離れた。
「急に、くすぐらな・・・」
いつの間にか目を閉じていたので、目を開けつつエレンに文句を言ったのだけれど、エレンの表情に驚いて、私は固まった。
「え、エレン?どうしたの?」
エレンは、手で自分の顔を覆っていた。耳が赤かった。
「なんでもない・・・」
弱々しげな声でつぶやくエレン。なんでもなさそうには見えないのに。
「きゅっ、急にくすぐって悪かった。そうじに戻るぞ!」
といいながら真っ赤な顔でまた雑巾がけを再開させたエレンは、どうもおかしかった。
不意打ち
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