何て言って許そうか
「……聞きました。調査兵団に、誘われたって」
元気無く肩を落としてやって来たマホからいきなりそう切り出され、リヴァイは何となく言葉を奪われた気分で仕方なく奥歯を噛み締めた。
「本当に、行くんですか?」
キュッとリヴァイの服の袖を掴んで見上げてきたマホの瞳は、不安そうに潤んでいた。
「…………ああ」 「死んじゃうかも、しれないのに……」 「そんなもん、地下街(ここ)だって同じだ」
壁の外でも中でも、死と隣り合わせの日常はいつもリヴァイを取り巻いていて、それに変わりはない。 けれども少し心残りを感じてしまうのは、目の前にいる瞳を潤ませた、馬鹿なほどに純粋な少女の行く末をすぐ側で見守れなくなるからだろうか。
「確かにそうかもしれないですけど、リヴァイ先生は地下街じゃ最強だって言われてるし……」 「なら、地上でも最強でいれば良いだけだ。それよりもお前は自分の心配をしろ」
リヴァイがそう言うと、マホは少しだけ嬉しそうに胸をはった。
「あの、私、まだ少し先にはなるんですけど、母親とまた一緒に住めるかもしれないんです!」 「母親?」 「はい!実は先日、母が訪ねてきてくれて、あれから良い人に出逢えたらしくその男性と結婚してシガンシナに住むらしいんです。それで、私とも一緒に暮したいって言ってくれて……」 「………そりゃまた、随分と都合の良い話だな」 「それでも、私は嬉しいんです」
やっぱりコイツは馬鹿だ……と思いながらも、それに便乗してリヴァイもまた、都合の良い話をする。
「なら俺も、保証もねぇ約束をしてもいいか」 「約束、ですか?」
不思議そうに小首を傾げるマホの頭を両手でガシ、と掴むと、その額にコツンとリヴァイは自分の額をぶつけた。 気丈に振る舞おうとしているのか、その口調はいつもよりも随分と素っ気ないものだった。
「地下街でもシガンシナでもいい。いつか迎えに行く。だから、馬鹿なままで、待ってろ」 「え、待ってろって……」
よっぽど意外だったらしく瞳を見開いてポカンとするマホの反応に、今更ながら羞恥心が襲ってきて、リヴァイはパッとマホから離れるとクルリと背中を向けた。
「……言ってみただけだ。気にするな」
惚れた腫れたの事は正直リヴァイもよく分かっておらず、ただ、その声が、その表情が、その身体が、もうこの手を離れてしまうと思うと、何故か惜しいと感じてしまうのだ。 それが子供の駄々のようだとしても、手放したくないと、思ってしまうのだ。 慕われて、必要とされて、懐かれて、けれどもその実、その居心地を失くしたくないと思っていたのは、リヴァイ自身だった。 ボフ、と背中に柔らかな温もりがぶつかってきて、クルリと首元に巻き付いてきた腕に思わずリヴァイは手を重ねていた。
「気にします!!リヴァイ先生が来てくれるなら、私はずっと待てるんです!シガンシナに行ったら手紙送りますから!だから……」
ギュッとリヴァイの首元に回した腕に力を入れて、彼の耳元に囁くようにマホは言う。
「絶対、死なないで下さい。死んだら、許しませんから……」 「ああ」 「もし死んだりしたら、来世でいっぱい文句言いますから……」 「耳元でピーピー煩ぇよ、お前は……」
言ってリヴァイは顔を後ろに向けて、すぐ側にあったその唇に誓うようにキスをした。
それから間も無くリヴァイは地下街を出て、調査兵団の兵士になった。 マホとはそれっきりで、手紙も風の噂も聞く事な無かった。 シガンシナ区の門から壁外調査に出発する時は、不自然に思われない程度に群衆に視線を向けてみたが、そこからはマホの姿を見つける事が出来なかった。 “いつか迎えに行く” と、口にした言葉に嘘は無い。 その時が来ればきっと、互いに探さずともまた巡り会えるのだと、何故かリヴァイの中で確信めいた自信があったのだ。
「リヴァイ。君宛てに手紙が届いていたよ」
壁外調査から戻ったその日、兵団本部に留まっていた兵士から薄い封筒を手渡された。リヴァイが調査兵団に入ってから1年、初めての自分宛ての手紙だった。 早く風呂に入って身体を休めたいと思っていた気持ちはあっという間に彼方へ吹き飛んで、差出人の名前を確認した瞬間、リヴァイは自室へ戻る時間も惜しいかのように廊下を進みながら手紙の封を切っていた。 中には2枚の便箋が入っていて、そこに綴られた小さくて子供っぽい文字を読もうとした時、緊急を告げる鐘の音が本部内に響き渡った。 バタバタと慌ただしく走る足音が近づいて来て、リヴァイはその方へと顔を向ける。 近くに居た兵達も何事かと目を見張り、慌てた様子で走って来た兵士は皆の視線を一身に浴びながら、半ば叫ぶような声で言った。
「し、シガンシナ区が巨人に襲われた!街は壊滅状態、現在駐屯兵団によって人民の避難と巨人への攻撃が続けられているが死傷者が多数いる模様。動ける者は急ぎ、シガンシナへ向かえ!!」
空から舞い降りてきた羽のように、リヴァイの手から離れた2枚の便箋がハラヒラと地面に落ちて行った。
『リヴァイ先生、こんにちは。私の事を覚えてますか?実はもう3ヶ月前にシガンシナに移ってたんですが、なかなか手紙を出す時間がなくてやっと書く事が出来ました。リヴァイ先生が調査兵団で活躍しているという噂は地下街に居た時からよく耳にしてました。シガンシナに来たら、調査兵団が此処を通る時に姿が見れるかなと思っていたんですが、家のお手伝いに追われていつも見に行けなくて、けど、街の人の話でリヴァイ先生の事を聞く度、幸せな気持ちになってます。最後に会った日、リヴァイ先生が「迎えに行く」と言ってくれた事は、今でもハッキリ覚えてます。もしかしたらリヴァイ先生にとっては大した事のない言葉で、もうとっくに忘れているかもしれないけど、それでも私はあの日からずっと幸せです。いつかまた、リヴァイ先生に逢える日を楽しみにして、これからも兵士としての活躍をお祈りしてます。どうかお元気で。 マホ』
生存者のリストを確認していたエルヴィンは、神妙そうに眉を下げ、目の前に立つリヴァイをチラリと見下ろした。
「やはり、マホという名の女性は生存者の中には含まれていないようだ」
ピクりと僅かに眉を寄せて、リヴァイは目を伏せる。
「そうか」
泣く事も怒る事も嘆く事も叫ぶ事もせず、ただそう 返しただけの声は空っぽで、エルヴィンは人形のように無表情なリヴァイの肩にソッと手を置いた。
「リヴァイ。お前は調査兵団に必要な人間だ。大切な人や仲間もこれからも沢山失っていくだろう。それでも前に進まなくてはいけない。それが私達の使命だ」 「……分かってる」
“絶対死なないで下さい。死んだら許しませんから” その言葉が、つい昨日の事のようにリヴァイの耳に真新しく響いていた。
死なない。死ぬものか。と彼は、しっかりと己の胸に誓い、この世界で闘い続ける。もうこの世にいない、大切な存在に来世でまた出逢った時、何て言って許そうかと、そんな事を考えながら…… -end-
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