何て言って許そうか


三重の壁の中央。
王族と上位貴族、そしてそれらに従事する者達だけが住む事を許された都。その地下に、陽の光も入らず、朝も夜も存在しないかの様な薄暗い街があった。
世捨て人、ゴロツキ、身寄りの無い子供、売春業者など、様々な人間が地下街で暮らしていたが、いずれも地上に住めない者達であって、上に広がる安全と安泰の地とは真逆の明日の約束さえ保証の無い世界がそこにはあった。


「全く!使えない娘だね!客を怒らせてどうするんだい!?」

耳をつんざくような金切声と共に、乱暴に開いた扉から1人の少女がポイと弾き出された。
地上では雪が散らついている冷たい夜だ。
白い絹のローブを羽織っただけの少女は、その下に何も着ていないのか、はだけた合わせ目からは生々しい素肌がチラチラと覗き、裸足のつま先は既に寒そうに赤くなっている。通りを歩く者達は皆驚いたように一度は少女を見たが、弾き出されて出て来た建物が娼館だと気付くと腑に落ちたように歩き去って行った。

「おい、リヴァイ。俺たちも行こうぜ」

皆が我関せずと通り過ぎて行く中で、ただ1人、少女に視線を向けたままだった男に連れの男が呼びかけている。

「……ああ」

気の抜けたような返事を男がした時、娼館の扉の奥からまた金切声が飛んで来た。

「アンタが居ても仕事が出来ないんだ!その辺で客引きでもしてな!!」

明らかに邪険にされている悪態だが、少女は嫌な顔1つせず、ただただ申し訳無さそうに

「すいません」

と呟いたその声は、随分とあどけなく感じられた。
気持ちを切り替えようとしたのか、少女は一度大きく深呼吸してから、観察するように周囲を見回した。
それは、偶然では無く必然だった。周囲の人間が我関せずとソソクサと歩き去っていく中で、その場を動こうともせずに少女を見つめる男と、バチっと目が合った。
光を見つけたかのようにこちらに向かってくる少女に、男の隣に居た連れが焦ったように言う。

「おいリヴァイ、あの女こっちに来てるぞ。面倒に巻き込まれる前にさっさと行こうぜ」

リヴァイと呼ばれる男はそれでも動こうとせず、とうとう少女が目の前までやって来た。
連れの男はもう知らないと言いたげに、額に手の平を置いて首を振っており、周囲の人々は若干興味有り気にしながら歩いていた。
ジッと鋭い瞳で睨み付けるリヴァイに、少女は怯える様子も無く切り出した。

「あのぅ、お兄さん、良かったらどうですか?良い娘が揃ってますよ!」

マニュアル染みた台詞を吐く少女に、眉1つ動かさずリヴァイは無表情に言い放った。

「お前は、何故今追い出されてたんだ?」
「えっ!?」

まさかそんな質問をされると思ってなかったのか、少女は目をパチクリとさせていたが、次第に寒さが体に堪えてきたのか、ブルルッと身震いした。
そんな少女に、リヴァイは自然な所作で羽織っていたジャケットを脱ぎ、それを肩に掛けてやった。

「あ……」

そう小さく発したきり、何を言えばいいのか分からないらしく押し黙った少女に、リヴァイは静かに言う。

「お前の事情は知らねぇが、この寒空にその薄着じゃ見てる方が寒くなる。お前自身、呑気に風邪を引ける立場じゃねぇんだろう」

そこまでしてやる必要は無かったかもしれない。
この少女が寒そうにしていようが、風邪を引こうが、リヴァイには関係の無い事で、力の無い者は生きて行けないというのがこの地下街でのルールだ。
それでも何故か、リヴァイには目の前の少女を無視する事が出来なかった。
“良い事”をしたつもりも、“見返り”を求めるつもりもなく、ただ思いの儘にとった行動だ。もう気は済んだと立ち去ろうとしたリヴァイだったが、少女の顔にギョッとして踏み出しかけた足を留めた。
助けを求めるように連れの男を見るも、男は(俺は知らねぇよ)とでも言いたげに、クルッとリヴァイに背を向けて片手でヒラヒラと追い払う仕草をしてみせた。
チッと小さく舌打ちして、再びリヴァイは少女に向き直った。

「何で泣いてるんだよ、お前……」

ジャケットを掛けられた肩をヒックヒックと上下させている少女の瞳からはキラキラの涙が零れ落ちていた。

「すいませんっ、こんな風に優しくされたの、久しぶりで、嬉しくて……」
「優しくしたつもりはねぇよ。その上着も盗品だ」
「でも、嬉しいです。あの……」

おずおずと縋るように見つめてくる少女の瞳に、今更ながら嫌な予感がして、パッと隣に視線をやるも既にそこには連れの姿は無かった。
少女の白くて細い手が、リヴァイの服の袖をキュッと掴んだ。

「あの!!お願いです!私の頼みを聞いてくれませんか!?」

切羽詰まったその声が冷えた空気にキィィンと響いた。


連れには置いて行かれ、少女には懐かれ、どうにも面倒な事になってしまっている状況に、リヴァイはウンザリしたが、そもそもの原因は少女にジャケットを差し出した自分自身だ。
金にならない面倒事は御免だが縋る少女を無視する事は出来ず、仕方なくと近くの隠れ家に少女を招いた。
隠れ家、とは言ってもリヴァイが率いる盗賊団の中で勝手にそう命名しているだけで、崩れかかった廃屋だ。地下街を駆け巡り、時に同業者や憲兵に追われる立場ではアジト以外にもこうした隠れ家を幾つか保有する必要があったのだ。
薄暗く狭い廃屋は、それでも定期的に掃除はされているらしく、ボロではあっても汚れは無かった。
小さなテーブルに彼女を誘導して、リヴァイは室内に幾つか置かれていた瓶を物色しては、ハァと遣る瀬無い溜息を吐き、その中から1本手に取って棚から取り出したグラスに注いだ。
狭い室内はテーブルの上のロウソクの火1つだけで充分明かりには困らなかった。
トン、と少女の目の前に液体の注がれたグラスを置いて、リヴァイはドサッと対面に座った。

「酒しか無かった。呑めるか」

物珍しそうにキョロキョロしていた少女は、その声に慌てたように首を振った。

「あ、大丈夫です!すみません」

その大丈夫がどういう意味なのか、少女はグラスに手を付けようとはせず、リヴァイも別にそれを気にするでもなく自分のグラスの酒を煽った。
少女はリヴァイを見つめて姿勢を正すと、スゥと息を吸い込んでから真剣な顔で言う。

「あの、さっき、お連れの方に『リヴァイ』って呼ばれてましたが、それが貴方のお名前ですか?」
「……ああ」
「あ、私はマホって言います!それであの、リヴァイさんにお願いが……」

言って、勿体ぶるように口籠るマホを、リヴァイは面倒臭そうに睨み付けた。

「いいからさっさと話せ。ここまできたんだ、よっぽどじゃねぇ限りは聞いてやる」

その言葉に安心したのか、マホは少しだけ顔を綻ばし、ハッキリとこう告げた。

「私と、セックスして下さい!!」

勢いあまったのか椅子から腰を上げ机に半身を乗り出しながら頭を下げてきたせいで、ロウソクの火がそれに煽られ儚げに揺れた。サラリと流れる彼女の髪は火の側で今にも燃えそうに散らついている。
リヴァイの手に持たれていたグラスがトンとテーブルに置かれた。
数秒の間の後、先に口を開いたのは、リヴァイだった。

「とりあえず頭を上げろ。それからどうしたらそんなネジの外れた発想になったかを聞かせろ」

リヴァイの言葉にマホは素直に頭を上げて、チョコンと椅子に座り直した。
その表情はやはり真剣で、冗談を言っているようにはとても見えなかった。

「私、物心ついた頃からずっとお母さんと2人暮らしで、お母さんはずっと飲み屋で働いてたから殆ど家に居なかったんだけど、3ヶ月前からお母さん、家に帰って来なくなって、飲み屋のご主人に借りたお金も返してなくて……私はそのご主人の紹介で今のお店に雇われて……」

つまるところ母親に捨てられ借金の形に娼館に売られたのだろう。残酷な話ではあるが、地下街ではよくある事だ。
マホの話は続いた。

「別に、娼婦の仕事が嫌だとか、そういうわけじゃなくて、ただ私、身体が反応しないんです」
「反応?」
「はい。この仕事をするまでそういう経験が無かったので知らなかったんですが、男性に触られても何も、感じないんです」
「そんな事を俺に言われても、どうにも出来ねぇだろ」

呆れたように言って退けるリヴァイに、マホはフルフルと首を振ると、静かに席を立った。

「予感、がしたんです」
「予感?」

ペタペタと素足で床を歩きリヴァイの目の前まで来るとマホは、彼の右手を掴み徐に自分の胸に
触れさせた。

「っ……何してやがる、お前ー…」

簡単に振り解ける力ではあったが、あえてそうせずに胸に手を置かされたままリヴァイが問えば、フルルとマホが小さく身震いした。
一瞬、少女が大人へと姿を変えたような、そんな気がして不覚にもリヴァイは妙な胸の高鳴りを感じた。
少し伏せていたマホの瞳が、しっかりとリヴァイを捉え、ロウソクの炎のようにトロンと熱っぽく揺れた。

「ドキドキ、したんです。今こうして触れられただけでも、何か凄く変な気分になって……」

見た目はあどけない少女だった。いや、確かにさっきまでのマホは、見た目も中身も随分と幼く頼り無さげに見えた。だからリヴァイもつい、手を差し伸べてしまったのだ。
けれど何が彼女をそうさせたのか、今、リヴァイの目の前にいるマホからは、明らかに雌の匂いがしていた。
そして、リヴァイもまた健康的な成人男性であり、血気盛んな雄ならば目の前で求愛してくる雌から逃れる事など出来なかった。

それが、2人の出会いだった。



「リヴァイ先生!こんばんは!!」
「……おい、先生は止めろ。何度言えば分かる」

それから度々、マホは隠れ家を訪れるようになり、口では邪険にしながらもリヴァイも時間があればその隠れ家に居座る事が多くなった。
普段ならアジトにいるはずのリヴァイが頻繁にその場所に向かうようになれば、仲間達にもなんとなくその理由は予想がつくようで、その隠れ家には誰も近付くなというのが仲間内での暗黙のルールになっていた。
そんなボス思いの仲間達のおかげで、リヴァイはマホとの逢瀬を誰にも邪魔される事無く繰り返していた。
それは、初めて出逢った時に“身体が反応しない”と言っていたマホが、その言葉が嘘のようにリヴァイの腕の中で乱れた事と、見た目や言動の幼さとは裏腹に成熟していた彼女の身体にリヴァイも夢中になってしまった事と、何より2人共が“一度きり”で終わらせたくなかったのだ。
マホ曰く、あの日以降リヴァイとの事を思い出せば上手く仕事が出来るらしく、少しずつ馴染みの客も増えてきたらしい。その経緯もあって、マホはリヴァイの事を“先生”と親しみ込めて呼ぶのだが、それを毎度リヴァイは嫌そうにするのだった。

「だって、私はリヴァイ先生のおかげでちゃんと出来るんです」

と、屈託なく笑ってみせる彼女に呆れつつも、リヴァイ自身、この関係をさほど嫌だとは思っていなかった。
けれどもそれがいつまでも続くはずもなく、2人の出逢いから1年が経った頃、その不安定な関係に終わりが迫って来ていた。

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