私の代わりに泣く人がいる
※単行本21巻のネタバレ要素があります※
その日、鐘の音を聞いた私は午後になって仕事道具を担いでドアを開けた。 間借りしている家の主人が丁度外に出て来て、私を見て驚いた顔をみせてきた。
「マホ?まさか、店を開けるつもりかい!?今日は酷い天気だよ。誰も客は来ないんと思うよ。アンタも大人しく家にいた方が良いと思うけどねぇ」
朝から雨が降っていて、昼過ぎからは風も強くなり、家主の言うように家にいるのが賢明だろう。 それでも私は、あの鐘の音を聞いた日は休むわけにはいかないのだ。 家主から映る心の顔からも、本当に私を心配してくれてるのだろう事は伝わるけれど、その忠告を受け入れる事は出来なかった。
「店を開けないと……」 「マホ?聞いてるのかい!?」 「私の代わりに、泣く人がいるから」 「えぇっ何だって??」
家主の静止を振り切って、私は豪雨の中レインコートを被っていつもの場所まで向かった。
カラネス区の中心街の路地裏。建物と建物の間の細い通路は、上手い具合に屋根が出来ていて雨は凌げるがやはり風は強く、時折どこから飛んできたのか、破れた新聞紙や割れた木箱が転がり込んでくる。いつもよりスペースを狭めて身体を抱え込むようにして座っている私以外、路地裏には誰もおらず、その時が来るまで風の音を聞きながらソッと目を閉じた。
来た……
風の音と、飛ばされ転がされる紙や木の音に混じって、カツ、カツ、と確かにこたらに近付いてくる足音だ。 鐘の音が聞こえた日は必ず現れて、冷たい表情の裏で抱え切れないような悲しみを持ったあの人の音だ。 泣けないあの人の代わりに私はキャンバスの中にあの人の悲しみを描く。そうしなければあの人は……
カツ、と目の前で立ち止まった足音に、私はゆっくりと顔を上げた。 ズクンッと、鋭利な刃物で深く突き刺されるような傷みに襲われて、私は思わず胸を抑えた。
「よく……開けてるな。こんな、ひでぇ天気なのに……」
そう皮肉めいて言ってみせるこの人の顔は、笑ってみせてるようだけど、悲惨な程に引き攣っていて裏の顔を見なくとも胸を軋ませる。それに……
「酷い、怪我……」
まだ新しいのだと分かる生傷が痛々しく顔に模様を作っていた。 調査兵団の兵士長と同じ名を持つその人は、深くは語らず、それでも堪えきれない思いを掃出すように、独り言のように言う。
「俺の選択が、大事な人間を失くした。俺が、奴の死を選んだんだ」
悲しみと惜しみと後悔と自責と……入り混じりすぎた感情が、彼の心に深く暗く重い穴を開けていく。 それが少しだけでも埋めれるならば、少しだけでも救えるならば、私は嵐が来ても筆を取る。 そうしないとこの人は、私の代わりに泣くのだから。
「……相変わらず酷ぇ顔だ」
キャンバスに描かれたら顔見て、その人はそう言って笑った。
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