恋愛初心者


「マホ?」

石造りの廊下を不安気な足取りで進む後ろ姿に、ハンジは思わず声を掛けた。
素直に振り返ったマホは、やはり顔に不安の色を浮かべていて、トタトタとハンジの方へと踵を返して歩いてきた。

「どうしたの?迷子の子供みたいな顔して?」

マホが調査兵団にやって来て早半年。流石に迷子ではないだろうと思いながらそう問えば、マホはバツが悪そうに視線を泳がせた。

「えっ……。まさか、本当に迷子!?」

眼鏡越しの瞳を驚いた様にパチクリさせるハンジに、マホは「うぅ……」と小さく呻いた。

「マホ?」

彼女の教育はリヴァイが一任しているが、こういう時に面倒を見てやるぐらいは良いだろう。
“何故すぐに俺を呼ばない”と凄んでくる姿を想像して肩を竦めるハンジを、ぼんやりと見上げてマホは小さな声で呟いた。

「迷子、じゃない。リヴァイを探してただけ」
「リヴァイを?今は哨戒に行ってると思うけど、急ぎの用?」

すると、マホは困った様に眉を下げてプルプルと首を振った。

「知ってる……。少し前にリヴァイは部屋に来て、そう言っていた。でももしかしたら、まだ、居るかと思った」
「それで……何でリヴァイを探してるの?」

当然のハンジの質問に、マホは困った顔のまま、自分の左胸に手を当てた。

「……分から、ない」
「えっ!?」
「少し前まで一緒に居た。部屋を出る時は、抱き締めてくれて、キスもした……」
「お、おぅ……」

どうやら2人は恋仲らしい、というのは聞いてはいたが、まさかその実態を聞かされるとは思いもせず、引き攣った笑いで応対する事でハンジは精一杯だった。
何が嬉しくて同僚の生々しい恋愛事情を聞かなければならないのだろう……。
しかしマホは至極真面目な顔のままで続ける。

「それなのに、リヴァイが出て行って、数分もしないうちに、また、リヴァイに会いたくなる」
「……それで、リヴァイを探してたの?」
「自分でも、変だとは思う。でも、会えないと思ったら胸がザワザワする」
「よっぽど、リヴァイの事が好きなんだね」

しみじみとハンジが言えば、マホはポッと頬を赤らめた。
その新鮮な反応が、恋愛に初心なマホをそのまんま映し出している様で、フフッと可笑しそうにハンジは笑った。
マホとリヴァイの関係。それは、ハンジから見れば不思議な状況だ。
そもそものきっかけは、マホがリヴァイを殺すという目的の為に本部へと侵入したところからで。あっさりと捕まったマホは、その後リヴァイ自らの手で、凌辱を受けた。
ハンジが見たのは事が終わってからの光景だったが、引き裂かれたシャツに露わになった素肌、虚ろな瞳で身体に体液を浴びせられていたマホの姿は、同性としては心が痛くなるほどに哀れだった。
そういう状況で出会っているのに、今のマホは、全くそんな事は知らないといった様子で純真無垢なのだから、もしかしたらあの時にマホは1度死んで、生まれ変わったんじゃないかとすら思える。

結果としては、良かったのかな……

モジモジとしているマホの頭をポンポンとハンジは叩いた。

「きっとね。マホが会いたいと思ってるなら、リヴァイもそうじゃないかな。きっと、急いで終わらせて帰ってくるだろうから、マホは大人しく待っててあげて……そうだな、リヴァイが帰ってきた時に、言ってあげな。『会いたかった。おかえり』って!!」


哨戒を終えて、本部に戻ったリヴァイはその足で真っ直ぐマホの部屋を目指していた。
馬を走らせて帰路に着いていた時から、無性にマホに会いたいと思っていた。
数時間離れるだけでも会いたい気持ちが募るなんて、リヴァイからしたら初めてでどうにも不思議な感覚だった。
マホの部屋の前、コンコンとノックをすれば待っていたかの様にすぐに扉が開いた。
数時間前と同じ顔がそこにある事に、ひどく安心感が襲ってくる。
今すぐ抱き締めてやりたいと思うものの、ギリギリで保った抑止力で何とかその気持ちを押さえ込んだ。

「大人しく待ってたか?」

意識した冷静な口調でそう聞けば、マホは小さな手でリヴァイのジャケットの袖をキュと掴んだ。
そんな些細な仕草でも、ドクン、とリヴァイの心臓は高鳴る。
全く邪気の無い表情で、マホはリヴァイの顔を上目遣いに見上げ、たどたどしい口調でこう、言った。

「リヴァイ、おかえりなさい……。会いたかった……」

リヴァイの中で不安定ながらも聳えていた牙城が、ガラガラと音を立てて崩れていった。

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