仮病
**「そうだ嫌いなはずだった。お前が好きにさせたんだ」の続きっぽいです。**
社会の荒波に散々もまれ、全てを投げ出したくて、勤めていた会社に辞表を叩き付けたのが半年ぐらい前。 それからは正に悠々自適に怠惰な生活で、元々出不精なのも手伝って殆ど家からは出なくなった。 食事だって限界までお腹が空いたら食べる、といった程度で、ニートになってから半年、少しずつ貯金を食い潰しながらもまだもうしばらくはこの生活は続けられそうなぐらいには余裕がある。 まぁつまり、社会人になってから初めて、時間に追われる事も無く、自由な1人暮らしLifeを私は満喫していた。 朝起きる時間もさる事ながら、眠たくなったら寝るというのが、私には何ともいえない贅沢だった。 その、平和で自由な生活に暗雲が立ち込めだしたのは、つい先日からで……
ピンポーン……
夜の7時。鳴り響いたインターホンに私はピクッと肩を震わせた。 無視する事は出来る。だが、無視したところで、インターホンがまた鳴り出す事は目に見えていた。 仕方なく渋々と、モニターホンの前に立って、そこに映りこんでいる人物の姿にガクッと肩を落として通話ボタンを押した。
「お……疲れ様です。リヴァイさん」 『……腹減った』
モニターに映り込んでいる顔は、空腹には見えない程涼しい表情だが、これが彼の通常モードだ。
リヴァイさん。 私の隣の部屋に住んでいる、所謂お隣さんだ。 その彼が何故私の部屋のインターホンを鳴らし、当たり前の様の『腹減った』と食事の催促ともとれる事をしてくるかというと、1度、私が彼を食事に招待するという事をしてしまったからだ。 別に私だってしたくてしたわけじゃない。 以前に騒音でリヴァイさんに少なからず迷惑をかけていたし、会話の流れで『俺の分も飯を作れ』と言ってきたリヴァイさんにお詫びのつもりで1度、ニートの底力を振り絞って食事を作っただけだ。 それなのに諭吉を3枚押し付けられて、『毎日作れ』とリヴァイさんは無理な命令を下してきたのだ。 勿論、即お断りして、渡された諭吉も突き返したのだが、受け取ってもらえず結局、3枚のお札を置いたままリヴァイさんは自分の部屋に戻ってしまった。 そして当たり前の様に次の日、部屋のインターホンが鳴らされる。
「作れません」 「そうか。なら今日はいい。明日作れ」 「だから、無理ですって!あとお金、持って帰って下さい」 「それはお前に渡したものだ。もう俺の金じゃない」
そんなやり取りが毎度繰り広げられ、今日で5日目である。
いい加減毎回同じ会話を繰り返すのも面倒なのだが、リヴァイさんはそうでもないのだろうか。 このまま本当に毎日このやり取りを繰り返し、気付けば1年とか経ったらどうしよう……そんなの考えるだけでおぞましい。 けれど余りに突っ撥ねてしまうと、お隣さんという立場上、色々苦しい。 グルグルと考えが巡る脳内から、慌てて引っ張りだした言葉をモニターホンのスピーカーにぶつけていた。
「あ、あの、ちょっと風邪を引いてまして」 『……風邪?』 「は、はい!私、風邪引くとかなり長引くので!安静にしておきたいので、その……出来れば、しばらくソッとしておいていただけると……」
その場凌ぎすぎるとは思う。でも、リヴァイさんも社会人のいい大人なんだし、遠回しに嫌がってる事にいい加減気付くはずだ。もし気付いててこの態度なら、もうただの嫌がらせでしかない。 ビクビクとしながらモニターの中のリヴァイさんの顏を見ていたけど、やはり彼はいつも通りのポーカーフェイスで、静かにこう言い放った。
『分かった。寝とけ』 「はっ……はい!!」
サッとリヴァイさんの姿がモニター画面から消えるのを確認して、私はホッと安堵の溜息を洩らした。 リヴァイさんが完全に諦めてくれたかどうかは分からないけれど、とりあえず一時的でも解放されたのだ……と、この時私は本気でそう思って、気分良くベッドにダイブして読み掛けの漫画に手を伸ばしていた。 再び、インターホンが鳴ったのはそれから僅か30分後だった。 もう条件反射になっているのか、その音にビクっと体を跳ねさせて、恐る恐るモニターを確認したら、ついさっき去って行ったはずのリヴァイさんの顏が映っていた。
「あの……何ですか」 『開けろ』 「私、風邪って……」 『風邪ならロクな物も食べてねぇだろ。買ってきたから開けろ』
私の平穏がガタガタと音を立てて崩れていく。 スピーカーの向こうから聞こえる、ザー……という風の音がやけに煩い。 罪悪感と焦燥感で胸と胃がキリキリと痛い。 きっとリヴァイさんは、普通に本当に私の風邪を心配してくれているんだろう。 彼の中に嫌がらせの気持ちが無いのは、ポーカーフェイスの顏からでも分かった。 気ままな生活が快適すぎてピンピンしている私は、どう見たって風邪の人には見えないだろう。しかもベッドの上には読み散らかした漫画が散乱している。 だけど今更「仮病でしたすみません」なんて言えるはずがない。
「あ……えっと、私今、すっぴんだし髪もグシャグシャで」 『何言ってる。お前いつも化粧っ気なんて無ぇだろうが。髪が爆発してるのも前に見てる』
失礼な言われようだが、とにかくリヴァイさんは私が玄関の扉を開けるまで解放する気は無いんだろう。 こうなったら最後の手段だ、と私は冷蔵庫から取り出した冷えピタをおもむろに額に貼り付けて、マスクも装着して、雰囲気風邪を精一杯アピールしながら玄関の扉を数センチ開けた……瞬間、外からガッと扉を掴まれて、スルリとリヴァイさんは簡単に玄関口に足を踏み入れてきた。 リヴァイさんが入って来た事で慌てふためいた所為で、グラッとよろめいた体は彼の強靭な腕でガシッと支えられた。 リヴァイさんの珍しく驚いた顏がすぐ目の前にあって、その距離の近さに恥ずかしさでカッと全身が熱くなった。
「あ、あの、すみません!あの……」 「お前、耳まで赤いぞ。そんなに熱があるのか」
熱なんて全く無い。全く無いが、もう後には引けず、否定も肯定もせず、マスクの下でわざとらしい咳をしてみたら、ヒョイとリヴァイさんに身体を担ぎ上げられた。
「リヴァイさん!?」
突然すぎて彼の名を呼ぶ事だけで精一杯の私に、リヴァイさんは落ち着いた口調で言う。
「ベッドまで運んでやる。ジッとしてろ」
違う……風邪なんて引いてない。 喉まで出かかった言葉は、そこで引っ掛って外には出て来てくれなかった。 軽々と私を担ぎ上げたリヴァイさんは、そのまま部屋に上がってしまったので、もう私は成す術もなく彼の肩の荷物に成り下がっていた。
「おい……てめぇ。風邪なのに漫画なんて読んでんじゃねぇよ。馬鹿野郎」
ベッドの上に散らばった漫画本にチッと舌打ちをして、リヴァイさんは素早くそれらを纏めると、スッキリしたベッドの上に優しく私を寝かせてくれた。
ああ、やっぱりリヴァイさんは悪い人じゃない。 チクリと傷む良心の呵責に耐え切れず、本当の事を言おうと私は鼻先まで布団を被りながら、ボソボソと呟いた。
「リヴァイさん、あの、私……」 「どうせ何も食ってねぇんだろう。食えるなら食え」
買い物袋をガサガサ漁ってたリヴァイさんが、私の言葉を遮る形でそんな事を言いだしたから、せっかくの勇気もしょんぼりと肩を落として去って行ってしまった。
「すみま……せん」
その謝罪の言葉の真意は、リヴァイさんは分かってないだろう。けれど、一応は謝れたという事だけでも、少しだけ胸の痛みが和らいだ。
彼が買って来てくれたおおよそ病人に食べさせるチョイスじゃないだろう寿司の盛り合わせを綺麗に食べ終えて、私は(また今度、お詫びに夕食を作ろう)と思うのだった。
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