キスマーク


パシュッ……パシュッ……と、訓練中の森の中には軽快な音が響いている。
全く危なげない様子で木々の間を素早く飛び回っていた兵士の内、1人の姿勢がガクッと傾いた。木に刺さらずにカツンッと弾かれたアンカーが、ヤル気を失くして下へと落下していき、傾いた体勢のまま、兵士も一緒に落ちて行く。

「マホ!!大丈夫!?」

落下の衝撃が落ち着いた時、追ってきてくれたらしいハンジが声が上から降ってきて、マホは慌てて彼女に無事を伝えるべく声を出しながら起き上った。

「ハンジさん。すみません、大丈ぶっ……!!!!!!!」

焦りから出た余裕の無さの表われだろうか、喋ってる途中で派手に舌を噛み、その鋭い痛みは落下の衝撃以上で、マホを両手で口を抑えながらヘナヘナとその場にしゃがみ込んだ。

「マホ!!どうしたの!?立てない!?すぐ医務室に―…ッ」

シュタンッと地面に降りて素早く駆け寄ってくるハンジに、涙目のマホがようやく事情を説明出来たのはそれから5分後だった。


その日の夜、無理矢理ハンジから手渡された彼女特製の薬とやらが入っている怪しげな小瓶を机の上に置いたまま、マホはフゥと草臥れた溜息を吐いた。
これまでも怪我をした時にハンジに怪しい薬を塗られたりする事はあったが、今回に関してはどうしても使う気にはなれない。何せ怪我の箇所は口内……舌だ。
「患部に直接付けて〜〜……」などと、ハンジは言ったが、そんな怪しい薬を口の中にいれれるわけがない。
それでもハンジの好意を無下には出来ず(プラスしつこすぎて)、小瓶だけは受け取ってしまったのだ。
その小瓶よりも奥、机の上に綺麗に並んだ瓶をチラリと見て、マホはさっきよりも重く溜息を吐いた。
どうしても口にいれたくない怪しげな薬とは正反対、今すぐ口に放り込みたくて仕方がないお菓子が瓶の中で早く出してくれと言わんばかりに輝いている。
クッキーも、マカロンも、チョコレートも、焼き菓子も、キャンディーも、どれもこれもマホの心を踊らせる物ばかりなのに、目の前に並んでいるのに、口に運べないなんてどんな拷問だろうか。
特別に用意してもらった夕飯のパン粥を食べた後、クッキーを食べようと1度は試みたものの、舌の炎症が悲鳴をあげて齧った一口は水で喉に流し込んだ。
そんな状態でお菓子を食べ続けても、幸せな気分になれるはずがないし、第一お菓子に失礼だ、と、マホは渋々ながら、今日の自分に『菓子禁止令』を言い渡したのだ。
きっと明日になったら幾分痛みも和らいでいるだろう、なら今日はさっさと寝てしまうのが身の為だ。
そう考えて、スゴスゴとベッドに移動した時、ドンドンと乱暴なノック音が部屋に響き、ベッドに腰掛けたままマホは反射的にピンと姿勢を正した。
応答などしなくとも勝手に扉は開き、当然の様に入って来た人物をマホは、ほんの少しだけ意外そうにしながらも黙って見つめていた。
元より彼が部屋に来るのは日常的であって、何もおかしな事では無い。ただ今朝から会議でシーナに行っていたので、戻ってくるのは明日だろうと思っていた。だから自分の訓練中のミスもその後に起こった二次災害も知られる事は無く済んだと思っていたのだが、まさかの帰宅だ。

「何だ。意外そうな面しやがって」
「おかえり、なさい。リヴァイさん……」

かろうじて違和感無く発せた言葉に、少しだけホッとしているマホの目の前に、キラキラとピンク色に輝いた棒付きキャンディーがヌッと差し出された。その手元を辿れば、随分とご満悦そうな顔がマホをしっかりと見ている。

「お前がいつも買いに行ってる菓子屋の新作だ。たまたま通りかかったからついでに買ってきた」

おそらくそれは“たまたま”ではないはずだ。付き合いも長くなれば不器用なリヴァイの愛情など、マホには手に取る様に分かった。
これがいつもだったら、躊躇も無く口を開けてそのキャンディーを咥えただろう。
当然そうなるべきだとリヴァイも思っていたのだろう、彼の満悦顏が怪訝そうに歪んだ。

「何だ。いらねぇのか」

リヴァイからしてみれば、従順なはずだったペットが急にソッポを向いた様な感覚なのだろう。
飼い主の機嫌を損ねるわけにはいかないと、マホも慌てて、痛む舌を酷使しながら弁明する。

「ち、違うんですっ……あの、舌が……」
「舌……?」
「あの、今日の訓練中に、立体機動のミスで着地に失敗して……」
「は?おい、怪我したのかお前……」

途端に顔色を変えるリヴァイに、ブンブンとマホは大きく首を横に振った。

「い……いえ、その……」

強引で独占欲が激しい故に、彼の心配性は絶大だ。
だから黙っておきたかったのだが、この状況では誤魔化せるはずもなく(そもそも彼女にそんな技量は無い)、今日の訓練中の事を言葉に詰まりながらも説明するマホを見ていたリヴァイの心配を含んだ瞳は、徐々に白けた眼に変わって行った。

「……じゃぁ何だ。あれか。しょうもないミスをして立体機動の着地にミスったが怪我は無く、慌てて喋ろうとして舌を噛んだのか……?」

簡単に説明されてしまうと、とんでもない間抜けに聞こえて、マホはシュンと肩を竦めた。
そんなマホの様子に、面白いおもちゃを見つけた様にリヴァイはニヤリと不敵に笑った。
ピンク色の棒付きキャンディを、机の上のキャンディの詰まった瓶の中にポトリと落として、リヴァイは両手でマホの頬を包んだ。

「リヴァイさん……あの、キスとかもその……」
「ああ。全く残念な話だな。朝っぱらからクソ怠い会議の為に早起きをしてシーナまで出向いて、それでもその日の内に帰ろうと必死で馬を走らせたのに、キスの褒美もねぇとはな……」
「すみま……せん」
「そう思うなら、キスさせろ」
「でも、舌が痛くて……」

困った様に眉を下げて口ごもるマホに意地悪な笑みを見せたまま、リヴァイは彼女の白い首筋に強く吸い付いた。
無言の抗議、無言の証明……後に残るのは、甘酸っぱいキャンディの様な色をした、首筋に浮かぶ紅い印―。

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