愛情表現が普通じゃない


今日最後の患者のカルテを手にしたナナバは、その名前を確認して僅かに嬉しそうに口元を綻ばせた。
コンコン、と控えめなノックの後、真っ白い扉が静かに開いた。

「失礼します」

いつもお決まりの様に、ペコリと礼儀正しく頭を下げる姿に、フフッとナナバは柔らかく笑んだ。

「こんばんは、マホちゃん。調子はどう?」

月に1度の診察は毎回その言葉から始まる。
診察椅子に腰を下ろしながら答えるマホの言葉も大体いつも同じだった。

「あ、大丈夫です。またお薬だけ貰えたら……」

ナナバが見る限り、初診の頃に比べてマホの表情は随分穏やかになった様に思う。
それでも毎月、1ダース分の薬はしっかり飲み切ってしまっているので、全く大丈夫とは言い切れないのだが……。

「リヴァイとは、どう?」

それを聞けば、いつもマホは分かり易い程に頬を染めて、ブンブンと首を振る。

「べ、別に何も……」

ここまで嘘が下手な子も珍しい、と、思わず笑いそうになるのを堪えて、ナナバはサラサラとカルテに文字を走らせる。

「今日診察に来る事は、リヴァイは知ってる?」

“別に何も”と言ったのなら、この問いにも首を振るのが当然なのだが、馬鹿正直で単純なマホの性格では、そこまで上手にシラを切れるわけもなかった。

「あ、前回の診察の時、リヴァイ先生に伝えて無かった事が不服そうだったので、クリニックに着く前にスマホに連絡を……」

チラリとナナバは腕時計を確認した。
今日の心療内科は患者が多かった事もあって、いつもよりも随分時間が押している。
おそらくもう、婦人科も内科も患者は捌けているだろう。だとすれば、リヴァイが自分のスマートフォンを確認するのも時間の問題だ。
どうやら全身全霊でリヴァイが好きらしい目の前の患者に、ナナバは苦笑した。

「マホちゃんの事を邪険にしたり、連絡が無いと拗ねたり、リヴァイにも困ったもんだね」
「えっ!?違います!!いっつも困らせてるのは私で……」

必死でリヴァイを庇うマホの姿は、正に恋する乙女といったところで、ナナバはそんな彼女を可愛いと思うと同時に、リヴァイという人間の面倒臭さを実感せずにはいられなかった。

「まぁ、マホちゃんがそれで幸せなら良いんだけど……」

しみじみとそう呟いた直後、診察室の真っ白いドアがスーッと滑らかに開いた。
ビクッと肩を跳ねさせて、ドアの方を振り返ったマホとは対照的に、ナナバは予想していたと言わんばかりの冷静な顔で、侵入者を見遣った。
急いで来たのだろうか、ネクタイは緩めているのに白衣のままで、スマートフォンを片手に持ち、グレーの瞳をギラつかせた顔はどうみても険しい。

「リヴァイ先生!!」
「リヴァイ、お疲れ様」

マホとナナバの重なった声を宛てられて、チッと舌打ちをすると、リヴァイは徐に腕を伸ばし、ガッとマホの頭を掴んだ。

「いっ……リヴァイ先生っ!?」
「リヴァイ!」

大して力が入って無いのは見れば分かったが、それでもいきなり女の子にしていい事じゃないだろう、と腰を浮かせたナナバを「邪魔するな」と言わんばかりに睨み付けて、リヴァイはすぐにマホへと冷たい眼を向けた。

「おいてめぇ。何で今日診察に来てやがる?」
「えっ……すみません。丁度休みだしって思って……」

そう説明するマホの頭を掴んでいた手を、リヴァイがパッと離せば、クラリとマホの体は傾き、そうなる事が分かっていたのか、瞬時に彼女の肩に回った手によって、ボフンとリヴァイの胸に頭が預けられた。
その一連の流れを傍観していたナナバは、2人の間を漂う優しい空気に触れて、ほぉ……と、小さく息を漏らした。

「あ、リヴァイ先生、すみません。目眩が……」
「『目眩が』じゃねぇよ。生理中は大人しく家で寝てろと、前に言ったよな?」
「でも、今日はまだマシで……」
「死人みたいな顔色して何言ってやがる」

そう言った後、リヴァイは、放心した顔でこちらを見ていたナナバを怪訝そうに睨んだ。

「おい、ナナバ。お前も何で気付かねぇんだ。明らかにいつもより青白い顔になってるだろぅが」
「や……あのね、リヴァイ。待って。マホちゃんは元々色白だし、大体私は“いつも”って言える程頻繁にマホちゃんと会ってるわけでも無いから……」

顔色が悪いなんて、言われてみればといった程度にしか分からないし、そもそもマホの立ち居振舞いにもおかしな点など見当たらなかった。きっとそれは、婦人科医という事を抜きにしても、リヴァイにしか分からない微妙な変化なのだろうが、当のリヴァイはまるでそれが当たり前だといった態度を示したまま、マホに言う

「歩いて来たのか、お前」
「はい」
「帰りはタクシーで帰れ」
「えっ……そんな、勿体無い……」
「途中で倒れて運ばれてぇのか。俺の指示に従え」
「あ…………えっと、その……」

何か言いたげに露骨にモジモジしだしたマホを見遣って、リヴァイは面倒臭そうに溜息を吐いた。

「タクシーの中でぶっ倒れても面倒だしな……アパートまでは付いて行ってやる」

その言葉を待っていたかの様に、パァッと今日一番に顔を輝かすマホを見て、そんなマホを冷ややかに睨むリヴァイを見て、ナナバは(これが一番の薬だな)としみじみ思うのだった。

だけどそれにしても、『心配だから送って行く』と素直に言ってあげれば良いのに……

同僚の不器用な愛情表現に呆れるものの、そんな彼の普通じゃない愛情を受けている張本人は、溜息が出るほどに幸せそうに笑っているのだから、これはこれでアリなのかもしれない、と、2人を包む優しい空気にナナバは安心した様に笑った。

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