真剣に落ち込んだ日
訓練の合間のティータイム―といっても、紅茶で一息つくだけのささやかな時間だが―、ペトラ含む数人が兵士からおしゃべり好きな女子の顔に戻り、楽しげに会話している声が、近くにいたリヴァイの耳にも自然に入って来た。
「ねぇねぇ知ってる?最近厩舎の周りに住み着いている野良猫ちゃんがいるの!」 「ああ!私も見た!小さい黒猫でしょ?凄く人懐っこいよね」 「この間、お肉の端きれあげたら、凄く喜んで食べてたわ!可愛いよね」
『厩舎』というキーワードで、リヴァイの視線は少し離れた場所で1人ポツンと突っ立ってるマホの方を向いた。 ここのところ、殆ど毎日夜に厩舎に行っていたが、リヴァイはその野良猫とやらを1度も見た事が無かった。
アイツは、知ってるだろうか?
女子達のおしゃべりにも加わらず、その会話の内容にも興味すら示してなさそうな雰囲気のマホからは、その真偽は読み取れなかった。
その夜、夕食のおかずにあった、ちんみりした肉を少しだけ残してリヴァイは厩舎へと向かった。馬を驚かしてしまうからと普段から静かに歩いているが、今日はそれ以上に気を遣って抜き足差し足で進んでいた。 ぼぅやりとしたランタンの光で、微かに明るくなった厩舎の通路の一カ所、こんもりと黒い塊が見えて、ハッとリヴァイは足を止めた。 毛づくろいの最中なのだろうか、首を懸命に動かして自分の背中の方を舐めているその物体を、馬達も特に警戒する様子無く見守っていた。 ゴソリ、とリヴァイがジャケットの内ポケットに忍ばせていた袋を取り出した音に、ピクッと毛づくろいを止めて、キラリと光る瞳がジッとリヴァイを捉えた。
“凄く人懐っこい”
と、昼間ペトラ達が言っていた事を思い出して、リヴァイは袋から小さく千切られた肉を取り出して、一歩一歩と近付いて行く。 そんなリヴァイを睨み付けていた瞳がカッと見開いたかと思うと、座っていた腰を上げて、ピンと立たせた尻尾を膨らませ、背中の毛も逆立てて、前脚は爪を立てて地面に食い込ませて、露骨な警戒を見せ始めて、ピク、とリヴァイも眉を寄せる。
「おい、猫……」 「フーッフ―ッ!!!」
明らかにリヴァイの存在を拒絶する態度で、威嚇の唸りを上げだした猫を見て、リヴァイはキツネにつままれた様な顔でポカンとしていた。 それでも諦められない様子で、もう1歩、近付けば「シャーッ!!!」という最上級の威嚇が返ってきて、流石にリヴァイもそれ以上は近付く勇気は無く、手の上の小さな肉片を苦々しい顏で見下ろした。
「……何でだよ」
やるせない声を零した時、「ウニャッ」と突然猫が愛らしい声を上げだした。 慌てて再び猫の方に視線をやれば、猫はリヴァイの後方を見ていて、嬉しそうにピンと尻尾を立たせると、ピョンッと飛び上がる様にしてこちらに走ってきた。 勿論リヴァイの前を愛想無しで走り抜け、その姿を目で追いかけて後ろを見たリヴァイの視界に、不思議そうに佇むマホの姿が入ってきた。
「どうしたんですかリヴァイ兵士長」
言いながら、足元に寄ってきた猫を慣れた様子でヒョイとマホは抱き上げている。 猫も嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らし、スリスリとマホの胸に頬を摺り寄せた。
「おい、その猫……」 「……少し前から居ついてるんです。人懐っこいでしょ?」 「いや……そう、か?」
先程の自分への態度を見ていると、とても人懐っこいとは思えなかったが、今マホに抱かれている猫は明らかに人懐っこい可愛らしい黒猫の姿だった。 フイ、とマホの視線がリヴァイの手元を辿った。
「それ、肉?ですか?あ、もしかしてこの子に?」 「……ああ」 「そうですか。じゃぁ早くあげて下さい。お腹空いてると思うんで」
マホの言葉に、少し躊躇いの顏を見せたリヴァイだったが、彼女の腕の中でゴロゴロしている黒猫からは警戒心が微塵も感じられず、安心した様子でマホの方へと歩いていく。
「シャーッ!!!」
ご機嫌良くマホに抱かれていた猫は、リヴァイがもう手の届く距離まで来た瞬間に、歯を剥きだしてリヴァイに向かって、再び威嚇の声を上げた。
「……え?」
その猫の様子に驚いた顏をして、マホはリヴァイと猫を交互に見遣る。そして、その原因を探る様な不審な目付きで、リヴァイをジトリと見つめる。
「リヴァイ兵士長、この子に何かしたんですか?」 「してねぇよ。姿を見たのも今が初めてだ」 「だって、こんなに怒るなんておかしいです。とっても人懐っこい猫なのに……」 「……俺が知るか」
冷たく言いつつ、その灰色の目は絶望に打ちひしがれた人の様に憂いを帯びている。
「もしかして、リヴァイ兵士長って猫好きなんですか」 「……そんなんじゃねぇよ」 「だって、わざわざお肉まで取っておいて、細かく切ってるし……。ちょっとそれ貸して下さい」
言って、マホがリヴァイに向かって広げた手の平を伸ばすので、どうせ自分の手の中にあってもゴミになるだけだと諦めた様子で、彼女の手に肉片を乗せた。 すると、突然黒猫は鼻をヒクヒクしだして、「ニャァン……」と可愛らしく媚びた声を上げだした。 優しく黒猫を見つめながら、マホは肉片の乗った手の平を猫の鼻先まで近付けた。 クンクン、とその肉片を嗅いだかと思うと、まるで当たり前の様に、猫はそれをむしゃむしゃと食べだした。 訝しげに眉を寄せていたリヴァイだったが、余りに美味しそう肉を食べている猫を見て、眉間の皺を解き、普段は見せない様な優しげな表情を猫に向けていた。
「……やっぱり猫が好きなんですね」 「煩ぇぞ。別にそんなんじゃねぇよ」 「あ、食べ終わった後はご機嫌なので、撫でてみたらどうですか?」
マホの手の平の肉を全て平らげ、目を細めて顏を洗いだす猫の姿はやはり愛らしく、それに誘われる様にリヴァイはソッと猫の小さな額に手を伸ばした。
「ッ!!ウゥゥ〜〜〜!!」
瞬間に、目を光らせ唸り出す猫に、リヴァイは伸びた手は所在無げに下に降ろした。
「……やっぱり何かしたんじゃないですか?」 「だからしてねぇよ……」
寂しげに肩を落とすリヴァイの姿に、マホは喉奥から込み上げてくる笑いを必死で堪えるのだった。
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