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王都、ミットラスの貴族街に佇む立派なチャペルの庭先で、マホは自分の顏がすっぽりと入りそうな木の箱を抱え、入口の豪奢に飾られた白い扉が開くのをまだかまだかと待っていた。
後ろに纏めただけの髪、着古したシャツとズボンという飾り気の欠片も無いマホの出で立ちでは、手に抱えた道具が無ければ貴族街に入る事も許されなかったかもしれない。住宅街の中だというのに、鳥の囀りと馬車の走る音が行き交う程度の静けさで、息をする事も許されないんじゃないかという強迫観念に襲われる。

何度来ても、この街の雰囲気は慣れないな……。

そう、ぼんやりと思っていたら、突然にカランカランとチャペルの鐘が賑やかしく響き出し、白い扉が嬉しそうに開いた。
コロコロと鈴が鳴る様な上品な笑い声に囲まれて、純白のドレスに陽の光を目一杯に浴びせ眩いばかりの輝きを放った若い女性と、その隣にパリッとしたタキシード姿のやはり若い男性が、周りに応える様に幸せそうな笑顔を振りまきながら、庭へと続く階段を花吹雪に囲まれながらゆっくりと、降りてくるのを見計らって、マホは箱を抱え直し、定位置へと向かった。
美しい新緑の芝がどこまでも広がっている庭の一角に、真っ白い2人掛けの椅子が置かれており、そのバックには腕の良い庭職人が施したのであろう、綺麗なハート形に刈り取られたバラの木が、赤色の花を幾つも咲かせていた。その香りに導かれる様に、純白のドレスとタキシードの男女は、2人掛けの椅子へと寄り添いながら腰掛ける。
マホは自分の定位置―…椅子に座る男女の正面5b程先に立ち、設置していた三脚台の上に木箱を乗せた。丸い筒状の突起が付いている面を男女の方に向ける様にして、銀板を箱の中へと填め込み、筒を介して男女の姿が板に映る様にと慎重に調整を繰り返す。
その時間も惜しくないといった感じで男女は仲睦まじく囁き合い、マホの背後には2人を見守る様にズラリと如何にも富裕層な紳士淑女が並んでいる。
空までが2人を祝福する様にカラりと晴れ渡り、一点の曇りも無い。
1人小さく頷いて、マホは2人に片手を上げて合図を送る。それに気付き2人はマホの方を見てニコリと微笑んだ。
カタン、と音がして、幸せに溢れかえった一時が木箱の中へと収められた。

ストヘス区の南端、ローゼに通じる壁門に一番近い町は、ウォールシーナ内である事を忘れてしまいそうな程に寂れていて、立ち並ぶ家々もどれもこれも古びていて、修繕をする気も無いといった様子で壁が剥がれている家もある。下町の雰囲気をまざまざと見せつけているような、そんな町にマホは住んでいる。
周りの家々と同じ様な灰色の壁の平屋だが、屋根だけは他の家とは違い夕日を集めた様なオレンジ色をしていて、逆に異彩を放っていた。

酸い匂いが立ち込める狭い暗室の中で、徐々に印画紙に浮かび上がってくる潜像をぼんやりとマホは眺めている。
天気が良かった事もあってか、最近では一番の出来では無いだろうかと思えるぐらい、くっきりと綺麗に幸せそうな男女の姿がモノクロで映し出されて、はぁ……と甘い溜息がマホの口から漏れた。

王政が、知ろうとする事を禁じていた壁の外の世界や過去を綴った文献が、徐々に市民の手にも渡る様になり、その文献を頼りに写真機というものが発明されたのはごく最近の事で、マホはまだ数人しかいない写真家の1人だった。
といっても、マホが進んで写真に興味を持ったわけではなく、長年絵描きだった父が、世に写真機が発明された際に、その画期的な機械の虜になり、有り金をはたいて高価な写真機を購入したのだ。しかしそれが手元にきた直後に父は病に倒れ、殆ど写真機を触る事も出来ないまま、病床につきながらもマホにその使い方を叩き込んだ。
その父が、この世を去ったのが2年前で、マホが二十歳を迎えた時だった。
それからはマホは写真家として生計をたてて、1人では広すぎるぐらいの家で暮らしている。母は幼い頃にすでに亡くなっていた。
写真……といっても、まだまだ一般市民には肖像画が主流で、マホが請け負うのも貴族や兵団内任務ばかりだった。
何処にそんな金があるんだろう……と思うほどの大金を毎度の様に払われるが、効果な機械の維持や作業料で手元に残るお金は僅かだ。今よりも安い値で請け負ってしまえば、たちまち生活苦に陥るだろう。それはつまり、写真が庶民の手の届く場所に来るのはまだまだ先だという事を顕著に示していて、その大金を受け取る度に、マホは複雑な思いを抱くのだった。

いいなぁ……。

幸せそうな瞬間をクッキリと映しだしているモノクロ写真を見つめて、しみじみとマホは思う。
今まで何度撮影を依頼され、何度幸せそうな男女の姿を木箱に収めてきただろうか。
綺麗な額縁に入り本人達の手に渡ったその写真は、幸せの溢れる家にずっと飾られるのだろう。
そんな景色を想像しては、毎回マホは甘い溜息を漏らすのだ。
この仕事をするまでは、結婚式という物に興味を持った事も無かったが、何度もそんな場面を見ている所為か、いつしかマホにとっては飽くなき憧れになっていった。
だがしかしその度、そんな浮付いた事をとことん嫌いそうな恋人の顏が頭に浮かび、肩を落とすのだった。

乾いた写真を丁寧に保管し、かれこれ2時間近く籠りっぱなしだった暗室の扉を開けたマホは、明るい空間と清々しい空気に当てられたのか、一瞬クラリと傾きかけた。

「どれだけ籠ってんだよお前。このまま朝になるのかと思ったぞ」

聞き慣れた声にハッとして顏を上げれば、いつの間に来ていたのか、食卓に座った恋人が紅茶を飲みながら、呆れた顏でマホを見ていた。

「リヴァイ!いつ来たの!?」

パタパタと駆け寄れば、お預けというように手を突き出され、腕一本分の距離を保ってピタリと止まった。

「風呂に入って着替えて来い」

着古したシャツとズボンをドロドロにしているマホを、さも嫌そうに眉間に皺を寄せてリヴァイが言うので、「はぁい……」と子供みたいに呟くと、そそくさとマホは風呂場へと向かった。
一見冷たくされている様でも、家に来てくれた時は毎回風呂を沸かしてくれる事、そしておそらくマホが風呂から上がれば食事の用意をしてくれているだろう事はもはや日常的で、余り家庭的ではないマホにとっては勿体ないと思える程の優しい恋人なのだ。


「明日?」

夕飯時に、リヴァイが告げた言葉にマホは僅かに眉を顰めた。

「ああ。クソ眼鏡がどうしても明日の実験の記録写真を撮ってほしいらしい……が、何だ。予定があったか?」

兵団から依頼される撮影要請は、急である事が多い。特に恋人であるリヴァイが所属する調査兵団は、その急の具合が群を抜いて多い。
フォークでサラダの葉をつつきながら、マホは「んん……」と、ジジ臭い唸り声を出した。

「あのね、今日撮影した写真を、明日ご本人に届けようと思ってたの」
「終わってから行けば良いだろ」
「そうだけど……ハンジさんの話長いんだもん」

言って眉を寄せるマホを宥める様にリヴァイは言う。

「俺も一緒に居る。長くなりそうだったら終わらせるから安心しろ」

それなら……と頷きながらも、マホはまだ少しその顏に不安の色を浮かべていた。

「今日は、何処まで行ってたんだ」

話題を変えようと思ったのかそうリヴァイが聞いてくる。

「ミットラスにある貴族街だよ。結婚式の撮影だったんだ」

純白に包まれた幸せな空間を思い出しているのか、マホは嬉しそうに瞳を細めた。
リヴァイはと言うと、自分で聞いておきながらさほど興味は無いのか、もくもくとパンを咀嚼していたが、それには構わずマホは続ける。

「花嫁さん、すごく綺麗だったなぁ……とても幸せそうだったし……」

ほんのりと頬を染めてトロンとした顔で話すマホに対してリヴァイは何でも無いかのような口調で言う。

「お前もしたいのか」
「えっ!?」

リヴァイがそんな事を聞いてるのは意外だ、と言わんばかりに目を真ん丸くさせるマホを、感情の無さそうな冷たい灰色の瞳が捕える。

「結婚式ってやつを、したいのか」

したい、と即答すれば、一体自分の恋人はどんな反応をするのだろう。それを想像すると、嫌な恐怖心が芽生えてきて、ブンブンと慌てた様子でマホは首を横に振った。

「ち、違うよ!!」
「んなでけぇ声出さなくても聞こえるぞ」

勢い余って、思ったより大きな声を出してしまった事に、バツが悪そうにマホは口元を押さえた。
きっとリヴァイは分かってしまったに違いないとマホは思った。顔色1つ変えず黙々と食事を取る姿は、傍目には何も考えていないのかとすら思えるが、驚く程些細な事でもリヴァイはすぐに気が付く。そのリヴァイが、マホの慌てた声に何も思わないなんて事はまず有り得ない。
だが、それ以上に何も言わず、リヴァイは咀嚼を続けていた。

わざと、気付かないフリをしたのだろうか……

ポーカーフェイスの恋人をジッと見つめていても答えは分からなかった。
そうなるとマホは、自分の中にあるリヴァイに関する記録を引っ張り出して、その答えを導こうとする。
わざと気付かないフリをしたという事はつまり、「俺はしたくない」という気持ちが強いからだろうか。何も気付かない風にして事を済ませようと思っているのだろうか……。
そう仮説を立てれば直後、それは違うともう1人の自分が首を振る。
リヴァイだったらそんな回りくどい事なんてせずに、面と向かって「俺はしたくない」と言うはずだ。そもそもリヴァイには駆け引きみたいな事は似合わないのだから……。

そうやって色々と考えを巡らせてみても、結局大した事は浮かばず、マホだけは悶々とした気分を抱えたままで食事が終わった。


おそらく、世の中の男性のほとんどに当て嵌まる事だろうが、マホがリヴァイからの愛情を一番濃厚に感じられるのは、ベッドの中だった。
とはいっても愛の言葉を囁かれたりはしないが、キスの濃度だって日常的に交わすキスとは色が違う。そのリヴァイの腕の中で絶頂を迎える事が、マホはこの上ない喜びだった。

「マホ……」

情事が終わった後、リヴァイは毎回存在を確かめる様にマホの名を呼んで、ギュッと強く抱き締めてくる。
おそらく、リヴァイが“甘え”ともとれる行動をしてくる唯一の時だ。
サラリと彼の髪に指を絡めれば、真似をする様にリヴァイもマホの髪を指で絡め取る。

「次はいつ、泊まりにこれるのかな……?」

ポソリと独り言の様にマホが告げた言葉に、「さぁな…」という何とも味気ない声が返ってきた。
リヴァイが泊まりに来た次の日は、夜眠るのが憂鬱になる。
だだっ広い家の中で、孤独に埋もれて消えてしまうんじゃないかと怖くなる。

「寂しいな……」

滅多に吐かない弱音が、マホの口からポロッと零れる。
リヴァイが、マホを抱きしめたままグルッと身体を反転させて、マホの上に覆い被さった。

「珍しく素直だな。」
「いつも素直だよ……」

少し拗ねたのか唇を尖らせたマホに、チュッとリヴァイは口付けた。

「身体が寂しくならねぇように、もう1回シとくか」
「はっ!?」
「寂しいんだろ?」
「そ、そういう意味じゃなくてっ……」

モゴモゴと口籠るマホに意地悪く口角を上げて、リヴァイは何か言いたげに揺れているマホの唇に再び噛み付いた。

今が幸せじゃないといえば嘘になる。
リヴァイの腕の中で眠れる時なんて、世界中で一番幸せじゃないだろうかとすら思うのだ。
それでも、純白のドレスの誘惑がマホの心の片隅でヒラヒラと揺れているのだった。
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