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「変だなぁとは思ってたんですよね。本当はずっと。仕事が忙しいからって言われると、将来のためだって言われると、何も言えないじゃないですか。だから、これで良いんだって、私は文句言っちゃ駄目だってずっと……」
騙し騙しブロックを積み上げていたタワーが、一気に崩れ落ちていく、そんな感覚はショックというよりも寧ろ清々しい方が大きかった。
「おい、大丈夫か?」
心配してくれている上司の声に申し訳ないと思ってしまうほど、マホの心はスッキリとしていた。
「リヴァイ部長、私、自分でも最低だと思うんですけど、今、ちょっとホッとしてるんです」
「ホッとしてる?」
マホの表情を見てみると、その言葉は強がりでも無さそうだった。
「結婚に関する不満とか、転勤の事もそうなんですけど、リヴァイ部長が『ちゃんと相手と話せ』って言ってくれても、勇気が無くて何も言えなかったんです。彼が私との結婚で一生懸命になってくれているんだって思えば思うほど、私は何も言い出せなかったんです。オカシイって思っても変だって思っても、気付かないフリで自分を騙してた気がするんです」
「……やっぱりお前は危なっかしいやつだな」
その言葉にマホは、はにかんだ笑顔を零した。
「目が覚めたってのとはちょっと違うのかもしれないですけど、今ならちゃんと彼に自分の気持ちを言えそうな気がします」
「なら今すぐあの店に入って全部ぶちまけてくるか」
「さ、流石にそれは、お店にも迷惑なので。でも、ちゃんと会って話します。忙しいって言われても諦めずに」
両手で軽く握り拳を作ってみせるマホの瞳は力強く居酒屋の方を見据えていた。
そんな彼女のバッグから、スマートフォンがピコンと反応しする。「すみませんちょっと」とリヴァイに断ってからスマートフォンを取り出して画面を確認するなり、マホは目を見開いてリヴァイを見る。
リヴァイはというと、自分のスマートフォンをポケットに仕舞いながらついでのように言う。
「お前が婚約者とどうしていくかにしろ、持ってて損は無い。まぁお守り代わりだ」
「いつの間に……でも、有難うございます」
スマートフォンの画面をもう一度確認して、マホはリヴァイに向かって大きく頭を下げた。顔を上げた時、リヴァイが歩調をつめていたのかさっきよりも近い距離で互いの瞳がぶつかった。
それは、上司と部下という間柄にしては近いといえるほどの距離で、その気恥ずかしさから後退しようとした、マホの手首をグッとリヴァイが掴んだ。
肩に手を置かれた時も、そうだった。
その手から伝わる温もりは、普段の彼が見せる厳しい姿とは裏腹にひどく優しいものだった。
可能ならばその手に、寄り添いたいと思ってしまうほどに……
掴まれた手首を、マホが嫌がる素振りを見せなかったからか、リヴァイはそのままマホの手の平を包む。絡めた指をキュゥと密着させるように握っても、マホはそれを嫌がりはしなかった。
「会社としてもお前に辞められちゃ困るというのは勿論だが、そんなもんは抜きで俺個人としての意見だが……」
不安と期待が入り混じった瞳で見つめてくるマホから逃げるように彼女の手を引っ張ると、腕の中へと抱き寄せた。
少し赤くなっているマホの耳元に続きの言葉が放たれる。
「あんな男、さっさと別れろ」
「あ……」
ドクンと強い衝撃が、マホの胸に走った。
直後にリヴァイの手によって体が引き離される。再び至近距離で見た顏はいつも通りのポーカーフェイスではあったが、決して合わせようとしない視線は彼の余裕の無さを表しているようだった。
随分と遠い昔に忘れてしまったような、甘酸っぱくなるような気持ちにもう一度触れたような、温かくて優しくなる、そんな気持ちがマホの心を満たしていた。
「はっ!?結婚を考え直したいってどういうことだよ?」
マホがタローと話が出来たのは翌日だった。
仕事があると言っていたタローだったが「大事な話がある」というマホに何かを感じたのか、すぐに会う事を了承した。
タローの自宅の近くの喫茶店には、明らかに納得がいかないというタローの声が響いていた。
「昨日、母さんから聞いたけど、転勤に付いて来るのがそんなに嫌なのか?あのさ、マホ。俺が何の為に転勤を受け入れて何の為に休み無しで働いてるか分かってる?全部、2人の未来の為だろ?それが不満って言われちゃぁ俺、どうしたら良いわけ?」
ハァっと大袈裟なほどの溜息を吐いて、タローはまだ熱いだろうコーヒーを勢いよく飲んでいる。
「私も、ようやく自分で企画した仕事を任せてもらえるところで、まだ頑張りたいし……そうやって考えると、タローくんの思うような奥さんには私はなれないと思うの」
「そんなの勝手すぎるだろ。もし結婚を取りやめたいっていうなら、婚約破棄で慰謝料請求させてもらうからな」
そう言って睨み付けてくるタローに対して、マホは手に持っていたスマートフォンを画面が見えるようにして彼に向けた。それまで息巻いていたタローの顏が分かり易いぐらいに狼狽えだした。
「な……こ、これ、何でっ」
画面に映っていたのは、つい昨日に撮影された画像で、腕を組んで密着して笑い合っているタローと女性の姿だった。
「タローくん、仕事っていってたけど本当は違うよね」
「ち、違う、誤解なんだよ、これは」
「怒ってるわけじゃなくて、ただもう、タローくんとの未来は考えられない」
これまで自己主張をする事が殆ど無かったマホがハッキリとそう告げたからか、自分に分が悪いと思ったからか、タローはそれ以上は抵抗することなく、2人の婚約は解消された。
タローと別れた後で、マホはスマートフォンを眺めながら難しい顏でウーンと唸っている。
画面には上司であるリヴァイの電話番号が表示されていて、発信ボタンに触れる直前で指を止めている。
昨日、タローの浮気現場を共に見ていたのはリヴァイであり、“持ってて損はない”と、浮気の証拠写真を撮ってくれたのもリヴァイだ。
出張の時も、退職の件の時も、昨日も、マホの話を聞いてくれていた。
いや、難しいことを抜きにして、マホの中でリヴァイの存在が大きくなっているのは、昨日の出来事で充分認識していた。
だから、こそだ。
タローと別れた事をリヴァイに今すぐ伝えるべきかどうかで悩むのだ。
関係としては上司と部下だ。明日職場で、退職の取り下げを伝えると同時に婚約解消を伝えればそれで済む話だともいえる。
もしも今、リヴァイにいち早く報告したとして、リヴァイはどう思うのか。
婚約者と別れた直後にすぐに別の男になびいているなどと思われたら、それこそ恥ずかしくて生きていけない。
「でも、実際そうなのか……」
なびくつもりなど勿論無いが、リヴァイのことを特別に思ってしまっているのは事実だ。
出張の夜に見た夢からずっと誤魔化し続けていた気持ちは、昨日に一気に花開いたのだ。
恋なんて結局、そういうものなのだ。
こうだからこう、と理由を付けてするものではないのだから。
発信ボタンを押そうかどうしようか……と未だに悩んでいるマホのスマートフォンが突然震える。焦って取り落としかけたスマートフォンを握り直し、確認した画面はリヴァイからの着信を告げていた。
ドクン、ドクン……と、高鳴る胸が「いけ!」とマホの指を促した。
小さく震える指が、通話ボタンに触れた。
「……はい」
今にも泣きそうに緊張したマホの顏が幸せそうに微笑まれるのは、それから10分後のことだった。
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