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「ウェディングケーキはこれが良いわ!ね、そうしましょう!」

真横から発せられるテンションの高い声にいい加減うんざりとしながらも、意見を言うのも面倒でまともにサンプル写真に目も通さぬまま、マホは小さく頷いた。
向かい合ったプランナーはマホの顔をチラリと見て、同情混じりの苦笑を浮かべ遠慮がちに言う。

「マホさんは他にご希望はありませんか?」

それに応えるのも、やはりマホでは無かった。

「これが良いわよね?マホさん。息子もきっとこれが良いって言うわ。ね?これで決まり!」

マホはというと、諦め切った表情で口元に僅かな笑みを作っただけだった。

その後、「お茶でもしまょう」という誘いを「約束があるので」と断って、マホは一軒の家を訪れていた。
動きづらそうな大きなお腹で出迎えた主は、マホの表情を見て全てを悟ったように溜息を吐いた。


「ごめんね、マリー。いきなり来ちゃって」

通されたリビングで身を小さくしてソファに腰掛けるマホに苦笑して、マリーは手土産にと渡されたお菓子にパクついた。

「んーん。今日は子供達はパパと動物園に行ってるから、時間もあるし大丈夫よ。で?すっごい疲れた顔してるけど、結婚式の打ち合わせだったんだっけ?」
「うん……彼のお母さんと一緒にね」

なるほどね……と、マリーは合点がいったといったように頷いた。

マホとマリーは高校の頃からの友人だった。
自己主張が苦手なマホと、しっかりと自分を持っているマリー。性格でいうと正反対ともいえるが、マホはマリーの意志の強さが好きで、憧れにも近い感情を抱いていた。
そんなマリーが結婚をしたのは、大学を卒業してすぐの事だった。当時、アルバイトをしていた飲み屋の客の男と恋仲になり、その男の子供を身籠った事が分かったのは、大学4年の秋の事だった。
既に内定が決まっていた会社を蹴って家庭に入ると決めたマリーを、下世話ながらマホは大丈夫だろうかと心配もしていた。
けれどそんなマホの心配をヨソに、マリーは可愛い女の子を出産し、その翌年にも女の子を産み、今は3人目の子をお腹に宿している。
「今度は男の子なんだ」と、話してくれた時のマリーの顔は、溜息が出るほど幸せそうだった。

妻となり母となったマリーと社会人となり仕事に奔走するマホの世界はまるで違ったが、それでも2人は何かあればこんな風に会っている。
幸せな結婚生活を送っているマリーを見てきたからか、マホもいつしか結婚への憧れが強くなっていた。
そんなマホにも春がやって来たのは1年前。
所謂合コンで現在の恋人、タローと出逢った。
近頃は女性任せにする男性が多いといわれているが、タローはリードして引っ張ってくれる人で、自己主張する事が苦手なマホにはとても魅力的に見えたのだ。
付き合った当初は毎週のようにデートを重ねていたが、タローの仕事が次第に忙しくなり、半年が過ぎた頃には月に1〜2度会えるだけになっていたが、そんな関係でもタローは未来を見据えていたのか、交際10ヶ月目に、マホは彼からプロポーズを受けたのだ。
結婚適齢期といわらる年代に差し掛かっている事、なかなか会えないながらもタローが結婚を考えてくれていた事、そしてなにより、タローからプロポーズをしくれた事がマホにはとても嬉しくて、2つ返事で受け入れたのだった。

憧れの結婚、新婚生活、これから待ち受ける幸せにワクワクとしていた日々が微妙にズレだしたのはつい1ヶ月ほど前。
結婚式の打ち合わせにタローと一緒にタローの母親も来て、マホが何も言わないのをいい事にタローとタローの母親の意見でプランが決められて行った。そして、タローが一緒に来たのは最初だけで、その後からは仕事が休めないからというタローの代わりに彼の母親と一緒に打ち合わせに行かされるようになった。自分の意見をハッキリと通すタローの母親と何も言えないマホという組み合わせでは、殆どがタローの母親提案のプランが通されていき、マホの思い描く結婚式はそこにな無かった。
マホの性格ではタローの母親に意見をする事も出来ず、タローと話そうにも彼とはもう1ヶ月会っていない。


「マリーはさ……不安とか、無かった?」

ハーブティを一口、そう尋ねるマホの寂しそうな顔にマリーは首を傾げた。

「不安?」
「うん……。この人と結婚していいのか、とか。上手く結婚生活が送れるのか、とか……」

モソモソと自信無さげに話すマホに、マリーは自身を思い出しているのか遠い目をした。

「私はできちゃった婚だったからね。他に選択肢は考えられなかったんだけど……でも、自分が母親になるっていう事への不安はあったけど、夫との結婚には不安は無かったと思うよ」
「不安は、無かった、の?」
「うん。まぁ惚気てんなって思うかもだけど、愛されてるって自信があったからね。若気の至りってやつもあるけど……でも、今でも愛されてるって思ってるし、結婚して後悔した事は1度も無いよ」

そうキッパリと言ったマリーの肩越しに、壁に飾られた家族写真が見える。
マリーの夫は数回しか見た事は無い。10歳年上で薄っすらと顎髭を生やているうえに寡黙で、どことなく怖いイメージがあったが、マリーの言葉と飾られた家族写真を見れば、妻を愛し家族を愛しているのだという事はすぐに分かった。
自分も、タローと結婚をすればそう思えるのだろうか。微かな希望を掴むように、膝の上に置いていた手をギュッと握るマホに、マリーは少し表情を強張らせた。

「だから、マホ。よく考えてね?」
「え?」

たった今掴みかけた希望が、音もなく崩れ去っていく。

「マホが決める事だから余計な事は言わないつもりだったけど……話を聞いてる分には、結婚してからも向こう主体で全部決めそうだし。マホは確かにリードされる方が好きなのかもしれないけど、現に今、結婚式の打ち合わせに彼じゃなくて向こうの親が来る事には不満があるんでしょ?そういうの結婚してからもあると思うよ。その度我慢するの?それって、幸せな結婚とは違うと思うけど」


休日明けの昼下がり、マリーに言われた言葉を思い出してはマホは今日何度目になるか分からない溜息を吐いた。
マリーの言った事がこんなにも引っ掛かるのには、その日の夜のタローとのやり取りに大きな理由があった。
電話ではなくメッセージのやり取りだったが、会えなくて寂しいという事、来月のドレスの試着の時は一緒に来て欲しいという事を伝えることができた。
けれど、それに対してのタローの返事はマホの気持ちを浮上させるものでは無かった。

『今週は会える時間作るようにするよ。ドレスって俺あんまりよく分かんないから、一緒には行けるようにするけど母さんにも付いてきてもらおう。その方がマホも相談しやすいだろ?もし俺が無理だったら母さんと2人で行ってきて』

そのメッセージに悩んだ末にマホが送ったのは、YESと吹き出しのついたよく分からないキャラクターのスタンプだった。
YESな気持ちなんて無かった。けれどそれ以上に、伝えたい言葉が出てこなかった。
何を言ってもどう伝えても、きっと上手く伝わらない、それでも伝えようとする情熱や気力は元々持ち合わせていないのだ。

「……い。おい、聞いてるのか」

ポン、と肩を丸めた書類で軽く叩かれて、ハッとマホは我に返る。
慌てて振り向けば、マホの所属する部署の長、リヴァイの冷ややかな視線をぶつかった。

「すっすみません!!」

椅子から立ち上がり、体を2つ折にして頭を下げるマホに、半ば呆れた声でリヴァイは言う。

「悩み事か」
「いえ……その、すみません……」
「まぁいい。話がある。ちょっと来い」

言って、リヴァイはスタスタと部署を出て行くのでマホは慌てて彼の背中を追った。


何処に向かうのかと思えば、社内の自動販売機のある休憩スペースで、今の時間は他の社員の姿は無かった。
リヴァイは、自販機にお金を投入すると、温かいコーヒーを2つ購入し、1つをズイとマホに手渡した。

「あ……りがとうございます」

基本的にリヴァイは仕事には厳しく、時に部下に辛辣な言葉を投げる事もある。顔立ちは整っているものの、目付きが鋭いため悪人面と称され、その性格も相俟って、社内でも怖いと恐れられていた。
そんなリヴァイが、部下のマホにコーヒーを奢るというのは―いや、本当は部下思いであるというのも何となくは分かってはいたが―、余程切羽詰った表情をしていたのだろうか
、とマホは上司に気を遣わせてしまっている現状にひどく恐縮していた。
リヴァイは、眉間に皺を寄せたままでコーヒーを1口、2口と啜ると、マホがようやくコーヒーに口を付けたところで、意を決したように口を開いた。

「ネーム。お前、結婚をしても退職の意志は無いか?」
「……え?はい。もちろん」

そもそも、結婚=退職などという発想を持っていなかったため、リヴァイの質問を理解する事に少し時間がかかった。
マホの返答に、「ならいい」とボソリと呟くとリヴァイは手にしていた書類の束をマホに手渡した。

「あ、これ……」
「お前が夏に出した企画書だ。先日の会議でこの企画が通った」

書類に預けていた視線をバッとマホは上げた。さっきまでの落ち込んだ表情は色を無くし、瞳は期待を含んで爛々と輝いていた。

「来年度から本格的に始動する。その時はお前にプロジェクトリーダーを任せたいと思っている。問題無いか」
「はい!勿論です!ありがとうございます!!」

就職して数年、提出した企画が通った事は初めてで、リーダーを担う事も当然初めてだ。どうしたって頬が緩むのは抑えられなかった。

「早速の話になるが、明後日、俺と一緒に予定地の視察に行ってもらう。現地で一泊する出張になるが大丈夫か」
「はい!宜しくお願いします」

ワクワクと逸るような気持ちに、全身から力がみなぎってくるような、そんな感覚に支配されていた。
こういう時、その喜びを親しい誰かに伝えたいと思ってしまうものであり、今のマホにとっての“親しい誰か”は、婚約者であるタローしか考えられなかった。
早速その夜、メッセージのやり取りで伝えるも、タローの返事はマホの仕事での評価を喜ぶものでは無かった。

【出張って、絶対マホが行かないと駄目なの?明後日の夜に一緒に食事でもしようと思ってたのに】
[ごめんなさい。でも、私の企画が通ったのは初めてで、任せてもらえるならしっかりやりたくて……]
【マホが寂しいから早く会いたいって言ってたのに】
[それは、本当にごめんなさい]
【まあいいけど。マホは俺より仕事優先なんだな。結婚してからも仕事仕事で家事が疎かになるとかはやめてくれよ。もうすぐ妻になるって自覚もちゃんと持っててよ】
[うん。ごめんね]

まだ何も書かれていない、真新しい綺麗な紙が、一気にグシャグシャにされて丸められていくような、そんな夜だった。
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[mokuji]
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