満月が傾き始める程夜も遅い時間帯、緑に恵まれた朱雀の領土にある森の一つにて。静閑とした空間に、がさりがさりと草木をかき分ける音、ぱきぱきと落ちた枝を踏みつける音、そして僅かにがちゃがちゃと金属製の武具がたてる音がそれぞれ複数響き渡る。
歩を進めていたのは白虎の兵士達であった。10人程度の小規模な編成で、彼等は斥候を務めていた。近く予定されている白虎と朱雀のぶつかり合い、その為に彼らはこの森を抜けた先にある街を目指している最中である。夜の内に移動を済ませ情報収集を行う算段だった。
数メートル進んだところで隊は一度足を止めた。

『このまま真っ直ぐに進む』

先頭にいる小隊長が後ろの部下達へハンドサインを送る。森の中と言えど敵地である。彼等は慎重に、確実に任務を遂行していた。
がさりがさりと再び歩き始めたところで、ざあっと風が吹いた。至極平凡な一迅の風。それがきっかけだった。
ぴたりと小隊長が再び足を止めた。部下達も何事かと思い、合わせて立ち止まる。一切の動きを止めたことで自分達が立てていた音が消え、そこでようやく後ろにいた彼等にも察することが出来た。
笛の音が聞こえる。小さく遠く、それでいて存在を主張する音。
全員が顔を見合わせ頷き、音のする方へ歩みを進めた。笛の音は彼等を誘うように聞こえ続け、次第に大きくなっていく。奏でられているセレナーデの調べはとても耳に心地よく、それ故油断は出来なかった。
音を辿って行けば開けた場所へ出た。森の中の小さな広場、まさしくそんな場所だった。木々が途切れていることで大きく広がる夜空が見え、そこに浮かぶ満月は煌々と輝いている。中央には人為的に作られたのかと思わず疑ってしまう程の大きく立派な切り株があった。端から見ればこの広場にあてがわれたステージだ。月の光がライトよろしく全体を照らしている様は、多感な者であれば幻想的に感じるほど美しい光景であった。
しかし、皇国兵達は感動に浸るどころか、各々銃を構え出す。
標的は切り株の上にいた。踊るようにフルートを奏でる少女。動きに合わせ、肩ほどある茶髪と、纏う朱色のマントが揺れる。それはまるで物語の1ページのようで。
少女が皇国兵達に気付き、薄目を開ける。
まさしくその瞬間だった。

「撃て!」

横一列に並んだ兵達が、隊長の指示で一斉に構えた銃を撃ち始めた。一発二発ではなく、装填してある弾を撃ち尽くす勢いの連射だった。
容赦なくこれほどの攻撃を放つのには理由がある。
彼女が朱を纏っているからだ。
朱の魔人にはこれでも足りないくらいだ。
遮るものも無く、雨のような銃弾が少女へと降り注ぐ。けれども彼女は笛を吹くことを止めず、無抵抗なその身体は大量の銃弾に貫かれた。……ように見えた。
弾が彼女の身体に達した瞬間、少女の身体が揺らいだ。かと思えば、銃弾は全て彼女をすり抜けその後ろへ飛んで行き、離れた場所の木々に当たる音がした。

「なにっ!?」
「今のは何だ!?」

驚いた者達が声を上げる。それでも銃撃を途中で止めることなく撃ち尽くしたところで、果たして彼女は無傷だった。何事も無く演奏を続ける彼女の姿に、兵士達は一瞬怯んだものの、すぐに次の薬莢を準備する。
けれど、銃撃が途切れたことが仇となった。

「っ、うわあああ!?」
「頭が……割れる……!」
「がああああ!」

全員が一斉に頭に痛みを覚えた。あまりに強烈で思わず手に持っていた薬莢を落としたが、そんなことを気にしてる場合ではなかった。頭を抱えてがくりと膝から崩れ落ちる。
原因は彼女の奏でる曲だった。

゛―――不協和音のソナタ゛

いつの間にか切り替わっていたその調べは、先程とはうって変わって酷く不快な音色で、それが彼等を苦しめていた。頭の中で響く不協和音。耳を塞いでも逃れることの出来ないそれに悶え苦しむことしか出来なかった。
曲が進みフィナーレを迎える頃には綺麗な旋律だけが夜空へ響き渡っていた。同時に少女の周囲に球体が形成されていく。丸く、ぼんやりと輝く光。一つ二つ三つと、曲に合わせるように増え、皇国兵達がようやく身体を動かせるようになった頃にはそれぞれリズムに合わせて漂っていた。

「一度集まれ!」

不可思議な現象に、一先ず号令をかけ隊列を組み直す。散々のたうち回っていたが、こちらはまだ全員揃っている。数で押せば勝機はあるはずだった。

「ぐ、ぎゃあああっ!」
「っ、なんだ!?」

そんな中、突如上がった悲鳴。

「た、隊長、あれを!」

部下の指差した方を見ると、倒れた男の周囲で先程の球体が浮いていた。
まさか、と思っていると、少女の演目は次へと進んでいた。軽快な旋律。今度はマーチか。
笛の音が場を包むと、球体がそれに合わせふよふよと動き出す。瞬間一気に加速し、側にいた皇国兵を吹き飛ばした。それは音塊、物理的性質を持った音色。少女の奏でる旋律に合わせ、いくつもの音塊が縦横無尽に動き回り皇国兵達を薙ぎ払っていった。悲鳴入り交じる中、笛の音はだんだんと強くなっていき、それにしたがって音塊の動きも激しさを増す。少女が最後の一小節を吹き終えれば、辺りには誰一人立っておらず、地面にはごろりと男達の死体が転がっているだけだった。

「く、そ……こんな、我ら誇り高き白虎の兵がこんな小娘一人に……!」

ただ一人辛うじて生き延びていたのはあの小隊長で、しかし息も絶え絶えで、もってあと数分といった状態だった。死体と同じく横たわり、ぜえぜえと苦し気な呼吸を繰り返す彼を見て、少女は目を伏せ再びフルートへ口をつけた。男はそれを目で追うことしか出来なかった。

゛――――黒のレクイエム゛

なす術もなく耳に届く旋律を聞いてる内に、急に苦しみが和らいでいった。……違う、意識が遠退いているのだ。これも彼女の攻撃の一つなのだ。
彼女の戦い方を見ていて、彼はかつて本で読んだ一つの逸話を思い浮かべていた。美しい歌声を使い幾つもの船を沈めた海の精霊、セイレーン。ああ、その残虐さまでもがそっくりだ、この魔女め。
それが男の最期だった。


広場には静寂が戻る。
全演目を終え、観客もいなくなった演奏会は終演を迎えた。
フルートを降ろしたデュースは誰に向けた訳でもなく一礼し、そんな彼女を月光は淡く照らしていた。


(心を癒す暖かい旋律も)
(命を奪う冷たい旋律も)
(仲間の為に奏でてみせましょう)



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