別に聞こうと思って聞いたわけではなかった。それはたまたま聞こえてきたもので、エースはふと足を止めた。

「……歌?」

風に流れて聞こえてくる歌声。
釣られるように声の方向へ歩いて行けば廊下を抜けバルコニーへと出た。
この時間に珍しく人がいない。
それでも聞こえてくる歌声に辺りを見渡せば、少し離れた、入り口からは角度の為に死角になっている場所で手摺にもたれ掛かっている人物を見つけた。
茶色のマントにトレードマークのバンダナ。

「ナギ」

いつもは必ずと言っていいほど少しでも近づけばすぐにこちらの気配に気付く彼だが、歌うことに集中していたのか、エースが声を掛けるまで反応がなかった。
ようやく気付いたナギは歌うのをやめ、「よお」と片手を挙げて挨拶してきた。

「他に誰もいないんだな」
「意外かい?確かに魔導院って人が多いから考えにくいけど、実はこういう全く人がいない時間帯を持つ場所がいくつかあるんだぜ」
「知る人ぞ知るというやつか」

ありとあらゆることを調べる諜報部だからこそ見つけたのだろう。少し羨ましい。
そして聞きたいことはもう一つ。

「歌、上手いな」

素直に感想を言えば、ナギは片目を閉じて得意気に答えた。

「アイドルってのは歌って踊れるみんなの恋人だからなっ」
「よく言うよ」

エースの苦笑にナギが「アイドル様に失礼だぞー」と抗議の声をあげる。
言っても、歌うのが好きだし、他人が歌ってるのを聞くのも好きなので、エースの興味は十分あった。「何の歌なんだ?」とか「よく歌うのか?」とか、彼にしては珍しく質問攻めをする。それでもナギは一つ一つ答えてくれた。

「こうやって歌うとすっきりするんだ」

ひとしきりエースの質問が終わった後、ぽつりとナギが呟いた。しみじみとこぼれたそれにエースが視線を向けたが、特別ナギは変わりないように見えた。

ただ歌っていたわけじゃなかった。
今日もまた任務があった。コード・クリムゾン。今回は裏切り者の処分。別にこれまで何度もやってきた内容だから今更どうこう言うことはない。
けれど。任務を遂行して、もう記憶から消え去った対象を見て、その命を奪った自分の手を見て。なにより平然としてる自分に気付いて。急に不安が止まらなくなった。もう俺は仲間を手にかけることへ何も感じなくなったのか。自分が自分じゃなくなる。遠い。
それを振り払うのが誰かとのコミュニケーションであり、今は歌だった。
俺はここにいるぞ。そう実感出来るからなのかもしれない。

エースの疑念を抱いた視線を受けても、自分の弱さを見せることのないナギはなにも語らない。
少しの沈黙。
それを破ったのはエースの歌声だった。
先程ナギが歌っていた歌。歌詞もメロディもあやふやだが、しっかりとした歌声が響き渡る。
いきなり歌い出したエースにきょとんとしてれば、二小節分を歌ったところで彼は「やっぱり一度聞いただけじゃ難しいな」と止めた。そして、改めてナギの方へ向く。

「良かったら教えてくれないか?」

笑顔で尋ねられれば固まるのはコンマ数秒、すぐにナギも笑顔で「オーケイ!」と頷いた。
音源も楽器も手元に無くナギの教えのみだったけれど、エースの飲み込みは早く、最後には二人で歌った。一人で歌うのとはまた違う気持ちよさがあるそれにナギがエースと視線を合わせれば彼はこくんと頷き、そして同時に笑いあった。
気付けばさっきまでの不安なんて吹き飛んでいた。

(……元気、戻ったみたいだな)

楽しそうに歌うナギを確認してエースは心の中で呟く。
いつもと変わらなく見えたが、どこか違った。どうせ尋ねても彼は答えない。
それでも彼がこうして調子を取り戻してくれるならそれで良い。

二人分のメロディは綺麗に重なり合い、贅沢に広く響き渡った。
それは離れた場所にいた候補生達にも届き、少しだけ噂になったというのは後日彼等の耳に届いた。




(歌が……聞こえるっ……!)
(どうしたの〜、トレイ)
(なんて楽しそうに歌っているんでしょう。聞いてるこちらも楽しくなります。そもそも歌というのは……)
(………へ〜)
(歌いましょう)
(え?)
(我々も歌いましょう、ジャック!)
(い、いきなりどうしたの!?)
(心で弾くならば魂で歌うものだ!)
(流石キング、分かってますねぇ!)
(あはは……ついていけないよ)
(逃がしませんよ)



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