小説のその後


 ミレーゼンはエロ小説を書き続けていた。毎日毎日暇を見てはエロ小説を書き綴った。
 ミレーゼンは原稿を大切にするタイプではなかった。読み返したりもあまりしない。その時、その瞬間、やりたいプレイを書きなぐっていただけだった。なので捨ててもよかったのだが、捨てる場所がなかった。誰かに見つかった時のことを考えると、共同ゴミ置き場に捨てるのはあまりにも危険極まりない行為だった。
 膨大なるエロ原稿の隠し場所に困ったミレーゼンは、床下を改造して原稿置き場にした。

 二十歳になる頃には長編が十作を越え、SM大長編も何作か書き上げていた。短編を合わせれば相当な数になる。作品数だけであれば超大作家といってもいいくらいだ。

 しかし、二十歳。エロ原稿とおさらばせねばならない歳であった。愛国の息子達は二十歳になるとガルデンを離れ、二十五歳になるまで、隣国のどこかしらの戦場の前線で、戦わねばならなかったからだ。
 ミレーゼンはエロ原稿を床下に置いたまま、結局誰にも知られることなくガルデンを去ったのだった。
 もちろん、ミレーゼンは思い出のエロ原稿を失っても凹まなかった。むしろ、この原稿どうしようと思っていたので、置いてこられて清々したくらいだった。

 
 ミレーゼンがガルデンを去ってから八年の月日が流れ、クウェージアの黒革命が起こった。だがエロ原稿はまだガルデンの床の下の暗闇の中でそっと眠っていた。
 さらに五十年が過ぎ、百年が過ぎ、二百年が過ぎようとしていた頃、クウェージアで大戦争が起こった。戦時中ガルデンは要塞として使用されたが、壊滅的に破壊された。戦後の復興活動で、跡地にでかい娼館をぶっ建てることになり、1776年、ついにミレーゼンのエロ小説は、大工のおっさんによって発見された。
 
 そのエロ小説は偉大なる歴史学者の手に渡り、古典文学としてなぜか評価され、現代風にアレンジされて、立派な装丁の本となり、1790年に全集が発売された。
 
 もちろん当人はとっくの昔にお亡くなりになっており、そんなミラクルは知る由もなく、墓場の中でやすらかに眠っていたわけであるが、とりあえずめでたい話である。


完。

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ところでサド侯爵は書いたエロ小説を牢獄の壁の中に隠していたそうです。著書「ソドム120日」は1785年に書かれたのですが、89年にバスティーユ牢獄が民衆によって襲撃され、破壊され、原稿も紛失してしまいました。そして二度と本人の元へ帰ってきませんでした。しかし1904年、数奇な運命を経て、「ソドム120日」はとある精神科医によって公開されました。
サドは原稿をなくしたことを相当悲しんでいたようです。
事実は小説より奇なりですね。

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