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帝立オペレッタ02(微笑みの嫌われ者)


「僕の顔、見つめても何も出てこないよ」

 おそらく結構な長い時間、エメザレの顔を見つめていたのだろう。エメザレは少し困ったような顔をしてまた微笑んだ。返しが慣れている。こんなふうに顔を注視されることは日常茶飯事なのかもしれない。

「……ごめん」

 謝ったが、エスラールはいまだにエメザレを見つめたままだ。

「気にしないで」

 とエメザレが言ったところで、二人の会話は途切れてしまった。いつもはなんの苦労もなく無駄話が湧いて出てくるのだが、なぜかなんの言葉も浮かんでこない。頭の中で繰り返し流れているのは、寂しい影と真っ直ぐな瞳だ。

「そんなに僕の顔が好き?」

 エメザレはちょっと呆れたように言って笑った。

「違くて! 顔じゃなくて、顔じゃなくて……目が……目が、綺麗だなぁ……と……」

 言いたいことはそうではなかったはずなのだが、とっさに出てきたのは愛の告白めいた恥かしい台詞だった。まさか自分の口から、そんな言葉が飛び出してくるとは思いもしなかったエスラールは言い放った瞬間、あまりの羞恥心で全身が沸騰するように熱くなった。

「目?」
「いあや、あや、いや、俺が言いたかったのはそうじゃなくて、今、君の目を見て俺は思ったんだけど――」

 エスラールがやっと言葉を整理できた時、正午の鐘がけたたましく鳴り響いた。内臓に響くような重い音が何度もやってきて、エスラールの言葉は掻き消されてしまった。

「正午だ。一号隊って一度目の鐘で昼食なんだよね?」
「そう。一度目の鐘で昼食だ」
「なら早く行かないと。食べ損ねるよ」

 言うが早いか、エメザレは歩き出した。エスラールを待つ気も、気にかけるつもりもないらしい。一度も後ろを振り返ることもなく、ぼんやり立ちすくんでいるエスラールを置いて、エメザレは遠ざかっていく。

 どんどん小さくなっていくエメザレの細い背中を見ていると、拒絶されたのではないかと心配になってきた。

「ちょ、ちょっと待って。なんで俺のこと置いてくんだよ! 普通一緒に行くだろ!」

 あれを一号隊に馴染ませるのは難しそうだと心中げんなりしながら、エスラールは慌ててエメザレを追いかけていった。


◆◆◆

 食堂につくと、丁度一号隊が揃って椅子に腰掛けるところだった。
 前期一号隊は五百人ばかりいる。各年齢に約百人ずつだ。食堂の長テーブルは十卓あり、座る場所は年齢ごとにわけられていた。

 けして食堂自体はせまくないのだが、五百人が座ると食堂内の人口密度はひどいことになる。しかも四十人掛けの長テーブルに、五十人が座らされているせいで結構窮屈なのだ。全ての窓が全開になっているというのに、食堂内はねっとりとした暑い空気に包まれていた。

 彼らは入り口の近くの空いている席に座った。エスラールの向かいには、冴えない顔というのが唯一の特徴という若干憐れな存在のラリオが座っていて、ラリオは自分の隣に座ってきたエメザレを遠慮気味に見つめてから、控えめに指差し、エスラールに向かって「誰?」と小声で聞いてきた。

 ふと見渡すとラリオの周りもなにやら興味深げにエメザレを見ていた。
 エメザレはそんなラリオの顔を見てにっこりと笑った。エメザレは有名だし、顔が目立つ。エメザレ並みに優れた顔立ちの持ち主は早々いない。ラリオはそこでエメザレが誰か気付いたらしく、あからさまに顔色を変えた。

「え? え? なんで? どうして? エメザレ? エメザレだよね?」

 食事時であろうと、本来であれば私語は慎まなくてはならない。ラリオは驚いていたが、もちろん大声を出さなかった。

「エメザレは今日から、一号隊に転属になったんだって。仲良くしてやって」

 エスラールは小声で返したが、周りにも聞こえたようで、広範囲から囁くような小声が湧き立ち、静かなざわめきが起きた。

「食前の祈りの前に、告達事項がある」

 とサイシャーンの声が食堂に響いた。サイシャーンは最前列にいたが、わざわざ真ん中までやってくると、そこで立ち止まった。

「注視」

 その号令で食堂は耳鳴りがするほどの静寂に包まれた。

「軍事教育総監の命により、これまで二号隊所属だったエメザレは一号隊に所属することとなった。一号隊の信条は『仲間のために生き、仲間のために死ね』だ。信条を否定するような行動は自重するように。以上」

 サイシャーンが口を閉じた途端に、食堂内は先ほどの静寂が嘘のように騒がしくなった。当然ながら歓迎のどよめきではない。エメザレに向けられる不快や嫌悪の眼差しを、近くにいたエスラールは充分感じ取ることができた。心臓がぎゅっと押しつぶされるような、不愉快な空気だ。しかしエメザレ本人は全てのことを無視して、うつむきもしないで、穏やかに微笑んでいる。

「俺、あんな淫売のために死にたくねーし」

 誰の声かはわからないが、エスラールの後ろからそんな声が聞こえてきた。エスラールに聞こえたということは、エメザレにも聞こえただろう。

「誰だよ! 卑猥なこと言った奴!」

 つい彼は立ち上がり、後ろを向いて怒鳴ってしまった。自分でもしまった、と思ったのだがエスラールの理性は行動を起こした後にやってくるのだ。
 再び静まり返った食堂で、彼は一人目立つはめになった。

「エスラール、なにをしている。着席しなさい」

 サイシャーンに言われて、エスラールはすごすごと席に座りなおした。

「静粛に。それでは食前の祈りを始める」

 厳粛を取り戻した食堂は、嫌がらせのように綺麗な祈りの言葉に包まれ、そして慎ましやかな昼食の時間となった。
 エメザレに対して言いたいことや聞きたいことが、皆たくさんあるのだと思う。そんな落ち着かない雰囲気は漂っていたが、誰も沈黙を破ろうとはしなかった。ただ、こそこそとエメザレを盗み見ては、自分なりの印象を脳内で完結させて納得しているようだった。
 それでもエメザレは動じていない。この世界に自分以外が存在していないかのように、のどかな日常を一人で生きている。
 このひとの心はここにない。きっと宇宙とか旅しているんだろうな。
 上品な動作でパンをちぎって食べているエメザレを見つめて、そんなことを考えていると、エスラールは虚しい気分になった。

◆◆◆

 昼食が終わると、すぐさま午後の訓練になる。カリキュラムは曜日によって異なるが、今日は古新武術の訓練だ。古新には古いものを受け継ぎながらも進化し続ける、という意味がある。古新武術は数千年前からあるが、新しい形を取り入れすぎて、もはや原形があるのはその名前だけという有様だった。

 この古新武術は、相手の身体の大きさや力の差を無効化するために考えられた武術である。元々エクアフという種族は世界標準的に体型がかなり貧弱であり、筋肉が付きにくい体質なので、体型を無視して戦える手段を精一杯考えた結果、古新武術が生まれ、今まで受け継がれてきたのだった。

 エスラールはこの古新武術を大の得意としていた。今でこそ背が高くなって、そこまで気にならなくなったが、ほんの一年前までは先輩方と明らかな体格差があった。だが古新武術はそれを無効にするのだ。見た目の厳つい先輩を打ち負かすのは、訓練とはいえ気持ちがよかった。強くなれば強くなるほどそんな気分が味わえる。だからエスラールは人一倍熱心に、訓練に打ち込んでいた。

「エスラール、しばらくお前はエメザレと組みなさいね」

 古新武術の教官はナルビルという禿げ散らかした壮年で、なんとなく言動がカマくさいので有名だった。武術の教官とは思えないほど細く、可哀想なほど老いぼれて見えるが、ナルビルは奇跡のような強さを持っていた。ナルビルもガルデンの卒隊者なのだが、はるか昔、ガルデンの在籍中に赴いた戦場でなぜかクマが一匹乱入してきて、逃げ惑う敵味方を尻目にナルビルは手刀一発でクマをしとめたらしい。それが若干十六歳だった。という、そんな伝説を持っていた。

「はい、エメザレ、お前はこっちよ。こっちに来てエスラールと組むの」

 普段、一回の訓練で三人と手合わせすることになっている。だいたい年齢の違う組み合わせで訓練するのだが、エメザレに対するあまりにも穏やかでない視線に、気を利かせたのだろう。
 ナルビルは、そんな眼差しの中、隊列から外れて堂々と突っ立っていたエメザレの肩を掴かみ、エスラールの真ん前まで引っ張ってきた。

「バファリソン、お前はあっちで三人でやっといて」

 エスラールの前には、本日の手合わせの相手だった二歳上の長身怪力なバファリソンがやる気満々で立ちはだかっていたが、ナルビルはバファリソンの上着を掴むと、軽々とどこかへ引きずっていった。

「よろしく」

 決まり文句のようにエメザレは言って微笑んだ。

「うん、よろしく」
「さ、開始するよ。準備はいいね」

 すでに皆、整列して向かい合っている。体格差の組み合わせは様々だ。色々な相手と戦うことによって古新武術を学ぶのだ。そしてこの訓練は年代を越えた交流にも一役買っていたりする。

「礼」

 と合図が響いた。いっせいに頭を下げ、「構え」の合図でエスラールは改めてエメザレと向き合った。次の合図までしばらくの間がある。双方見つめ合い、ここで目を逸らせてはいけないと教わった。
 エスラールは教わった通り、エメザレと目を合わせていたが、だんだんと雑念に心が乱されてきた。本来であればこの間に精神を極限まで集中させねばならないのに、無意識にエメザレの顔立ちを分析してしまうのだ。
 どうしてこんなに整って見えるのだろうか。鼻の造形か、それとも顎が引き締まった輪郭のせいか、薄めの唇のせいか、それともバランスなのか。
 やはり目だろうか。静脈の青と上気した赤味が重なって、その色合いの作り出す雰囲気が今まで見たことのないものなのだ。

「始め」

 その声で、エスラールは正気に返ったが、気が付いた時には既にエメザレの顔が近くにあった。
 なぜこんなところにエメザレがいるんだろう。と思っていると、今度は反対にエメザレが遠ざかっていく。その一連の動きはひどく緩やかに感じられた。
 やがて景色が回転し、無慈悲極まりない強固な石床がだんだんと押し迫ってきて、なるほど。自分は投げ飛ばされたらしいと理解した瞬間、ゴキッという鈍い音とともにやってきた超衝撃波で脳が振動し、途端に耐え難い激痛が顔面を襲った。
 気付けばエスラールは、床に突き刺さるような体勢で顔面を思い切り強打していた。

「痛ってええええぇぇぇぇぇぇーーー!!!」

 全体重を一瞬支えたであろう鼻を両手で押さえて、痛みのあまりにエスラールはのたうった。鼻からは大げさなほど大量に血が吹き出てくる。鼻を押さえている指の隙間からは血があふれ出て、床やら服やらを点々と汚していく。

「ごめん。受身、取るかと思ったから……」

 エメザレは呆然として言った。
 そうだ。
 エスラールは思い出した。エメザレが淫乱だと言われる理由だ。
エメザレは強い。見た目は細くてか弱そうに見えるが、エメザレは強いのだ。もし見た目通り、脆弱で非力だったとしたら、どんなにたくさんの奴と関係を持ったとしても、きっと無理にされたんだろうと、むしろ同情されたはずだ。しかしそうではない。エメザレは抵抗できるだけの力を持っていながら、多くの奴と寝ている。つまり合意の上でしているということになる――あくまで噂ではあるが。

 エメザレが強いということをすっかり忘れていた。というか見惚れていた。エスラールは自分のバカさ加減が恥かしくなって、唐突に隠者を志したい衝動に駆られた。

「まじで」
「エスラールが瞬殺だ……」
「あいつ何者だよ」

 そんな言葉が飛び交い、にわかに騒がしくなって、エスラールは本日二度目の脚光を浴びることになった。
 恥かしいことこの上ない。
 エメザレはといえば、傍観者の一人のようにエスラールをじっと見ている。気を抜いていた自分も悪いのだが、もうちょっと心配してくれてもいいような、とエスラールは少々恨みがましく思った。

「勝手に中断しないの。訓練を続けなさい。エスラール、医務室に行って手当てしてらっしゃい」

 ナルビルが手を叩きながら隊士を掻き分け、エスラールに近付いてくる。ナルビルは悪戯した猫を持ち上げるように、エスラールの襟首を掴んで引っ張りあげて立たせると、手を払って追い立てた。

「エメザレ、お前はあたしが相手するよ」

 そう言うと、今度はエメザレの襟首を掴んで持っていってしまった。

「はーい……」

 取り残されたエスラールは痛いほどの視線を一身に浴びて、痛む鼻に手を当てつつ、厳かに医務室への道程を歩み出したのだった。



◆◆◆


 訓練は午後十時に終わり、以降は自由時間になる。就寝の時間は決められておらず、午前八時に起床できれば夜更かしをしてもとくに文句は言われなかった。訓練中は私語厳禁なので、訓練中に溜まった、溢れんばかりのおバカな私語は自由時間に発散されることになり、だいたい午後十時から十二時にかけて、一号寮は昼の静けさが嘘のように騒がしくなる。

「鼻、大丈夫だった?」

 一日の訓練が終了し、貴重な自由時間を向かえて、とりあえず二人で部屋に戻った途端、エメザレはそんなことを言った。

「大丈夫だよ。打撲だって。ほっとけば治る」

 エスラールはエメザレの心配を心持ち意外に思いながら、布の詰め込まれている鼻をさすってみせた。

「よかった」
「心配してくれてありがとう」

 と言ったが、エメザレは微笑みだけ返して、私物が詰め込まれた木箱を持ち上げ空のチェストの前に置いた。持ってきた荷物を整理するつもりらしい。
寮の部屋は簡素そのものだ。書き物をするための机に椅子が一脚と、手作りのような古びたチェストと、ベッドが二台しかない。だが、簡素といえども五百以上ある部屋の全てに、それだけの家具がついているのだから、贅沢といえば贅沢かもしれない。

 エスラールが幼少を過ごしたカイドノッテ大護院では、二人用程度の大きさのベッドに八人がぎゅうぎゅうに押し込められた状態で寝かされていた。身体を横たえることもできないので、膝を抱えて座ったまま寝ることもあったし、そんなひしめき合った状況下で誰かが寝小便でも垂れようものならベッドで寝ている全員に惨劇が降りかかる。そう考えれば、やはり一人で一台のベッドを使えるというのは幸せといえよう。

 エスラールの私物が入った木箱はベッドの脇に無造作に置かれているが、開けるのが面倒くさい。どうせ下着が幾枚かと紙とペンくらいしか入っていない。片付ける気分になれないので、エスラールはベッドに腰掛け、せっせとチェストに下着をしまっているエメザレの背中を見つめていた。

「ところでさ、君はなにやらかしたの? 殺人事件とどういう関係が?」

「それはこっちが聞きたいくらいだよ。ほとんどなんの接点もないのに、なんで僕が転属になるのか、その説明もない。殺人事件についても、ガルデン側からはなにも聞かされてないんだ」

 エメザレは振り向かず、下着の端と端を丁寧に合わせてたたんでいるが、きっと不満を述べたかったのだろう。エメザレはちょっと怒ったような声で答えた。
 エスラールの部屋移動も唐突だったが、エメザレの転属もそうだったらしい。ガルデンの不親切さには驚かされる。一号隊に殺人事件の説明がないのはあまり関係がないから、ということでまだなんとか納得できるが、事件が起こった二号隊にすら説明がないというのは不親切を越えて、もはや横暴の領域な気がする。

「俺も全く状況が飲み込めてないよ。総隊長に聞いても教えられるのはユドがサディーレを殺したことだけだって言うし、名前だけ聞いても誰かわかんないし。もし口止めとかされてないんだったらさ、エメザレの知ってること教えてくれない?」
「僕も事件の全体像はよくわからないけど」

 エメザレは下着をたたむのをやめて、エスラールと向き合うようにベッドに座った。二台のベッドの間隔は結構狭い。向き合って座ると、膝と膝が触れるか触れないかくらいの間隔しかない。エメザレはベッドに深く腰掛け、少し前かがみになって話しはじめた。

「とりあえず僕の知ってることを全部説明しておくよ。まず事件は三日前に起こった。三日前の夜十一時くらいにサディーレの部屋で叫び声がして、隣の部屋の奴が駆けつけてみると、部屋の中でサディーレが腹部をめった刺しにされて死んでいて、その死体の隣でユドがナイフを持って叫んでいた、ということらしい。らしい、というのは実は僕、その現場を見に行ってないからなんだけど。でも殺人現場に一番に駆けつけた奴に話を聞いてみたけど、聞けば聞くほどなんか奇妙というか、変なんだよね。僕の転属も含めて」

 エメザレは最後のほうの声をひそめた。

「変って?」

 普通に話す程度では、隣に声はもれない気がするが、エメザレにつられてエスラールも声をひそめた。

「サディーレはロイヤルファミリーの一人なんだよ」
「ロイヤルファミリー? なんだそれ?」

 聞きなれない言葉にエスラールは顔をしかめた。

「ロイヤルファミリーってのは二号隊での成績上位者の名称だよ。二号隊では偉さが年功序列じゃなくて成績順なんだ。成績は学力と戦闘力の総合で決まる。だから、前期一年が前期五年より権威を持っていることもある。もちろん稀だけどね。一号隊とシステムが根本的に違うみたいだから不思議かもしれないけど、成績上位者に特権をつけることで、下位者は上位になれるよう頑張るから、能力を底上げするにはいい手段なんだと思うよ。
で、サディーレって奴はそのロイヤルファミリーの一人だったんだ。十八で、体格はいいほうだった。背は百八十センチ以上あったと思う。ロイヤルファミリーなのを鼻にかけてて、いつも威張り散らしてたから、ロイヤルファミリー外からはかなり倦厭されてたよ。でも実はロイヤルファミリーの中では下位だったんだけどね。それでも二号隊の中でかなり強いことには変わりない。
それに対してユドは僕たちと同じ十六歳。発育途上のチビで落ちこぼれだ。ついでに気が弱くて、ひとの目を見てまともに口もきけやしない。訓練で真剣を握っただけで、緊張のあまりぷるぷる震えてるような奴なんだ。とにかく軍人には全く向いてないんだよ。間違いなく最弱の部類に入る。二人には圧倒的すぎる身体能力の差があるんだ。例えユドがナイフを持っていて、サディーレが丸腰だったとしても、殺すのは無理だと思うな」

「もしかして、寝てたとか?」

「寝ていて刺されたのならベッドの上に血が付いてる。でもサディーレが死んでたのは床の上でベッドに血痕はなかったって」

「なら不意打ちだったんじゃないの? 例えば後ろにナイフを隠したまま突進して刺したとかさ」

「それは手は色々あると思うよ。偶然とか奇跡とか世の中にはたくさんあるわけだし。事実としてサディーレは死んでいるんだから、ユドはサディーレを殺せた、ということになるんだけど。でもサディーレは僕たちと違って、もう何度も戦場へ行っている。ここが戦場じゃないにせよ、危険に慣れていて回避する手段だって知ってるんだから、向かってくるナイフに対して冷静な判断ができたはずだし、それに、身体が勝手に反応してとっさに避ける気がするんだ。例えナイフが後ろに隠されていたとしても、気配に気付かないってのが、どうにも納得できないというか……。だって僕たち軍人なんだよ? 普通、相手が殺気を帯びてたらわかるでしょ」

「まぁ、確かに。変と言われれば変だ」

 毎日訓練をしていると察する能力というのは半強制的に身についてしまうものだ。むしろそういった危険を察する感覚を鈍らせないために、休みなく毎日訓練をさせられているといっても間違いではない。
被害者と加害者が反対であればなんの不自然も感じないが、ひとの目を見てまともに口もきけないような奴が、はたしてナイフを隠し、殺気を殺して冷静に接近できるものだろうか。

「でしょ?」

 エスラールの同意が嬉しかったのか、エメザレは小声を保ちながらも興奮気味に言った。

「そのユドのほうはサディーレを殺したこと認めてるの?」

「うん。認めてる。その場で認めたらしい。だからどう考えても状況的に、犯人はユドなんだよね。でも僕はどうしても引っ掛かるんだ。それに、気になることならまだ他にもある。殺人に使われたナイフがサディーレのものだったことと、口論の声も物音も全くしなかったことだ。最初に殺人現場に駆けつけたのはサディーレの隣部屋の奴なんだけど、なんの音もしなかったと証言している。突然叫び声がして、それで隣の部屋に行ったそうだし」

「えーと、最初からサディーレを殺すつもりだったなら、ユドは自分のナイフを持っていくはずだから、持っていかなかったってことは、殺すつもりじゃなかったってことか。じゃ殺意がない事故とか? だから口論することもなかったし、殺意がなかったから殺気に気付かなくてあっさり刺されたのかも」

「殺意がないのにめった刺しにしないよ。なんか内臓とか引きずり出してたらしいし。いや、それは尾ひれかもしれないけど。首から腹にかけて少なくとも十回は刺したくらいの損傷があったんだって。
殺すつもりがなかったのに殺してしまったのなら、なんらかのきっかけが必要でしょう。口論の末に、というのが一番自然な気がするけど口論はしていない。じゃあきっかけはなんだったのかって話になる。普通、唐突に思いついて、ひとをめった刺しにしないよ。ね、なんか変じゃない?」

「それはほら、口論じゃなくてもサディーレにチビとか呟かれてカッとなったとか。理由は特にないけどなんかムカついてきたとか。理由が納得できない場合だってあるわけだからさ。確かに変なところはあると思うよ。でもユドがサディーレを殺したって認めてるんだから、いくら不可解でもそれが事実ってことなんじゃん。殺してないなら、なんで殺したと言い張る必要があるんだよ」
「それはわかんないけど……」

 エメザレは小声をやめ、ため息混じりに言った。

「って、そういえば動機は?」

「動機も不明。というか、なくはないんだけど、いまいち弱い感じ。ユドは落ちこぼれだから苛め対象のだったんだけど、でもそんなの大護院時代からずっとそうだし、なんかユドも諦めてたみたいだし、どの程度の苛めだったのかは知らないけど、でもサディーレに特別苛められていたわけじゃない。サディーレはユドを苛めていた大勢の一人に過ぎなかったんだ。だからなぜ、わざわざ自分より圧倒的に強いサディーレを殺そうとしたのかわからないし、そもそもどうしてサディーレの部屋を訪れたのかも不明だし、とにかく気になることが多くて。それでなんで僕が転属って話になるのか、全く関係性が見えてこない」 

「エメザレは二人とは仲が良かったの?」

「いや、全然。二人ともまともに話したことはほとんどないよ。事務的な用件で話したことならあるけど、その程度」

 エメザレは控えめに肩をすくめた。

「なるほど。つまり、なんかよくわからないってことか」

 エスラールは勢いよくため息を吐いた。
 確かにエメザレの言うとおり引っ掛かる点はいくつかある。悪い方向に考えれば、ガルデンはなにかを隠している可能性がある。だから一号隊はおろか、二号隊にすら詳細を話さなかったとも考えられる。だが全ては妄想の範囲内だ。

「そういうこと。考えれば考えるほど変なところがでてきて、謎は深まるばかりだよ」

 どうやらエメザレは微笑むのが癖らしい。エメザレは困ったように微笑んで立ち上がり、私物整理の続きをし始めた。

「ところで、あのさ、よかったらサロンに行かない? 整理し終わってからでいいからさ。一号隊の主要メンバーはだいたいサロンに集ってるから、挨拶がてら顔を覚えておいたほうがいいよ」

「……サロン」

 エメザレの顔つきが変わった。表情を読み取るのが難しいが、恐れているように見える。サロンに行けばエメザレはまた白い目で見られるだろうし、しかも今回は私語を慎む必要がない。容赦なく暴言を吐かれるかもしれない。よくよく考えてみれば当然の反応だ。

「大丈夫! 俺がずっと傍にいるから。紹介も俺がするし、エメザレを悪く言う奴には俺がびしっと言うよ」

「別に僕のこと、かばう必要ないよ? 悪口言われるの慣れてるし、今更なんとも思わないもの」

「でも今、恐がってたように見えたんだけど」

「うん。二号寮のサロンは恐ろしい場所なんだよ。幽霊が出るんだ」

 エメザレは声をひそめて、ぼそっと言った。

「幽霊?」

「そう。魂のない奴が毎晩さまよって泣いてるんだ。だから普通は近付かない」

「変な冗談言うなよ! 俺、幽霊とか苦手なんだから! それに一号寮のサロンには幽霊なんか出ないし。話はぐらかしてないで行こうよ」

「僕はいいよ。君だけ行ってくれば。僕、嫌われてるの知ってるもの。僕なんかとわざわざ仲良くしたがる奴もいないんじゃない? それにあんまり目立ちたくないし。君も僕にくっついてばかりいると変な噂されるよ。嫌でしょう。そういうの。仲悪いように見せておいた方がいいと思う」

 エメザレの言葉にエスラールは安心した。初対面から微妙に冷たい態度を取られていたので、嫌われているのかと実は心配していたのだが、それはエメザレなりの配慮だったようだ。エスラールはなんだか嬉しくなった。

「嫌われてるんじゃなくて、誤解されてるんだ。誤解をとけばいいだけの話じゃん」
「誤解? なんの誤解?」

 エメザレは怪訝そうな顔で聞いてきた。

「なんのって……それは君が……誰とでも寝るってやつ……」
「なんで誤解だと思うの」

 なんとなく攻め立てるような口調だった。もちろんエスラールに悪意はなかったが、
失礼なことを言ったのかもしれない。ちょっとした緊張が走った。

「なんて言えばいいのか、いい言葉が思いつかないんだけど、目が綺麗というか輝いてるというか、キラキラしているというか意思を感じるというか。とにかく初めて見たとき、エメザレは超真っ当な奴なんじゃないかと俺はそう思ったんだ」

「はぁ」

 とエメザレは半分息を吐くように言った。

「とにかく! 俺が皆にエメザレを紹介するからさ。行こうよ。早くエメザレに一号隊に馴染んでほしいんだ。ね、行こう」

 このままでは埒が明かない気がしたので、エスラールはチェストの真ん前に立っているエメザレの手首を掴んで引っ張った。特に強くしたつもりはないのに、エメザレは手首を掴まれた瞬間、むしろエスラールが驚くほど過剰に身体をびくりとさせた。

「……え、な、なに? 大丈夫?」

 エスラールはテンパって、掴んでいたエメザレの手首を放り投げるようにして放した。

「なんでもない。とにかく僕はサロンに行きたくないんだよ……」

 エメザレは掴まれた手首を反対の手でさすって、そっぽを向いてしまった。

「ねぇ、エメザレ。悪く受け取らないでほしいんだけど」

 エスラールはエメザレの顔を覗き込んだ。

「あのね、エメザレ。俺は嘘をつくのが下手だし、どうせすぐにわかるだろうから今言っちゃうけどさ、俺はエメザレの傍について一号隊との仲を取り持つように頼まれたんだ。総隊長に。お前は友達多いからって。
エメザレはさ、もう一号隊の仲間なんだよ。これからずっとそうなんだ。俺はたぶん、ずっと君と同室のままだと思う。一号隊に転属になったのは不服かもしれないけど、ここが新しいエメザレの居場所なんだ。俺はエメザレと仲良くしたいし、一号隊とも仲良くやってもらいたいと思ってる。その気持ちは嘘じゃない。総隊長だってエメザレを歓迎するって言ってた。俺は噂なんか恐れたりしないよ。だから――」
「わかった。行くよ。そうしないとエスラールが困るんでしょう」

 エスラールの言葉を遮ってエメザレは言った。その顔には怒りか悲しみが表れているだろうと思ったのだが、意外にも穏やかな微笑みを湛えていた。そのくせ言い方は極めて無機質だ。
「だから、そういう意味じゃなくて……」
「いいよ。大丈夫。君にはできるだけ迷惑をかけたくないし。というか、僕が同室になった時点で迷惑だよね。ごめん」

 エメザレの言葉に、エスラールは口をつぐんでしまった。エメザレが悪いわけではないが、迷惑じゃないのかと聞かれると返答に困ってしまう。なにしろエスラールは、これまでヴィゼルと平和に楽しく同室生活を送ってきたのだ。迷惑なんかじゃないよ、と一言出てきてもいいようなものだが、エスラールは本心にないことを考え付くのに時間がかかる。

「じゃ、僕行くから」

 なんとかフォローの言葉が思いついた時には、エメザレはエスラールの前を早々にすり抜け、部屋を出て行ってしまっていた。

「ああああぁぁぁ! もうごめんってば! なんで一人で行くんだよ! 一緒に行こうって言ってんのに……もう、俺なんでこんなんなんだよ! ごめんってばっ!」

 エスラールは憐れにも泣きそうになりながら部屋を飛び出し、エメザレを追いかけるはめになった。

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