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英雄と王子10


 驚いて振り向くと、そこには少しの距離を置いて黒い髪の男が剣を携え立っていた。

「誰だ」

 十八くらいだろうか。男は背が高く荒々しい印象だ。
 男はイウを睨み付けて言った。
 イウは誰かが居たことに安堵したが、今度は殺気に固まった。
 しかもこの場所は一度死んだであろう場所だ。嫌でもあの時の痛みや情景を思い出してしまう。

「ぼくは、イウだ」

 彼は震えながらもやっと言った。

「イウ?王子と同じ名前だな」

 興味ゆえか敵意ゆえか知らないが、男は近づいてくる。逃げようにも背中には窓、扉は男の後ろ側にある。

「殺したりしない。親はどこにいる」

 イウの怯えが伝わったらしい。男はいくぶん優しい声で言うと両手を挙げ、歩み寄る速度を落とした。

「いない。ぼく一人だ」
「俺はアスヴィットだ。臨時政府直属の整備部隊に所属している。剣は持っているが、つまるところ引越部隊さ。恐れなくていい」

 アスヴィットはかがみ込んで目線をイウと同じ高さに合わせると歯を見せて笑った。

「臨時政府……?」

 理解しがたい言葉にイウはアスヴィットをまじまじと見つめて呟いた。

「クウェージアは三十五日前に革命が起きて、エメザレ元帥の率いる臨時政府が発足されたんだ。知ってるだろう?だから―――」
「……革命?エメザレが元帥?何を言ってるんだ」

 一瞬にして血の気が引いていく。指の先が冷たくなって鳥肌が立つのを感じた。

 三十五日前?
 革命?クウェージアがなくなった?
 エメザレが元帥?何をばかなことを。
 ばかなことを。

 エメザレはいつまでも自分と暮らすことを待ち望んでいるはずだと、ずっと信じていたいのに。

「知らないのか?お前、今までどこにいたんだ?どこかに隠れていたのか?」

 イウの動揺を心配してか、アスヴィットは優しく言った。

「白い髪はどこに……?殺されたの?」

 彼は放心に近かったが、一種の願いのようなものを乗せてそう聞いた。

「スミジリアンに追放されたのさ。白い髪は王と王子以外は誰も殺されなかったし、黒い髪は誰も死ななかった。全て元帥様のお陰だよ」

 アスヴィットはまた歯を見せて明るく笑った。そこにはエメザレに対しての感謝や尊敬の気持ちが大きく込められているのが見て取れる。

「そうか」

 よかった。
 エメザレは全ての白い髪を憎んでいるわけではないのだ。エメザレはこの国を変えたかっただけなのだ。そのためにグセルガを殺さなくてはならなかった。
 ぼくを殺す予定などなかった。きっとエメザレは誤解しているのだ。

 あの時グセルガに言った、約束など忘れたという言葉に、裏切りを感じて傷ついた。だからエメザレは泣いたんだ。ぼくにそんなことを言われて悲しかったんだ。
 ぼくが殺されたのはぼくのせいだ。エメザレは少しも悪くない。だからぼくはエメザレに謝らなければ。

「エメザレは?エメザレはどこ?どこにいるの?」

 にわかにアスヴィットに詰め寄るとイウは聞いた。

「知らないよ。本部じゃないのか?」
「本部ってどこ?ぼくはエメザレに会いに行く」
「ちょっと待て。お前、置かれている立場をわかってるのか?」

 アスヴィットは、今にも走り出さんばかりのイウの腕を強めに掴むとあきれた声で言った。

「白い髪はスミジリアンに追放されたんだ。ここはもう黒い髪の国なんだ。俺たちは白い髪の残党は発見次第殲滅させよと命じられている」

 イウが少し驚いた顔をしたので、アスヴィットは腕を掴む力を緩め、イウの目を見つめてなだめるように微笑んだ。

「慌てるな。元帥様は殲滅なんてしない。ましてお前みたいな子供を殺すわけがない。だからと言ってこの国に住んでいいわけじゃない。それに俺の立場上お前を逃がすわけにはいかないんだ」
「でもぼくはエメザレに会いたいんだ!」

 それでもイウが譲らず叫ぶと、アスヴィットはあからさまに困った顔をした。

「とりあえず、整備部隊の駐屯地に来てもらう。そこでゆっくり話をきくよ」

 殺す気はなさそうだが、逃がすつもりもなさそうだ。この人のよさそうなアスヴィットに、今のところは大人しく付いていくしかないらしい。イウは仕方なくうなずいた。


***

 駐屯地というのは、革命前は大貴族の屋敷であったようだ。

 アスヴィットが言うには、首都は遷都せずにおきたいというエメザレの意向で、白い髪の巨大都市は特に壊されることもなくそのまま使われるのだそうだ。首都は都市ごと黒い髪に明け渡され、アスヴィットの所属している整備部隊は首都の早期復興を目指している。

 その屋敷の一角だけ、アスヴィットと同じくらいの年若い男たちで賑わっていた。しかし白い髪のイウを見ると途端に静まり返り、好奇や嫌悪の眼差しを向けた。

「大丈夫だから、行こう」

 アスヴィットは笑うとイウの手を引っ張った。


***

「飯でも食って元気出せよ」

 アスヴィットはパンをたくさん詰めた大きな籠をイウの前に置いた。しかしそのパンはお世辞にも美味しそうには見えない。

「いらない」

 それに何かを食べたい気分じゃない。アスヴィットの部屋は広く、豪奢な内装だったが部屋の中にはテーブルと三脚の椅子、それとベッド代わりらしい綿の飛び出たソファーしかない。
 椅子も座っているだけで不安になるような音を出して鳴いている。

「アスヴィットはエメザレと会った事があるの?」

 それでも無理に勧めてくるパンを仕方なしに受け取りながらイウは聞いた。

「遠巻きで見たことがあるだけだよ。結構細い感じのひとだったな」

 アスヴィットはいかにも硬そうなパンにかじりついた。

「四年間で何があったの?」
「元帥様の話か?それは俺もわからない。でも四年前、元帥様が宮廷に勤めることが決まった時、黒い髪はみんな過剰なほど彼に期待した。
しかし、散々持ち上げておいて、解雇されると手のひらを返したように冷たくあしらった。
確か、軍事教育所からも不名誉除隊させられたとか。それで彼の存在は忘れられてしまったんだ。一説ではひどい拷問を受けたとか、それが原因で死んだとか、色々と噂はあったが半年前に突然にまた表舞台に現れた。

俺が知っているのはそのくらいだ。なにせ革命が起きる前までは、俺はただの農民だったんだから」

 解雇されてからの、エメザレの消息などは一切、イウの耳に入ってこなかった。グセルガはエメザレを警戒していたから、おそらく彼の行動を見張っていただろうが、当然のことながら、イウにその情報を与えたりはしなかった。
 イウの知らない空白の四年という時間は、あまりにも長い気がした。不名誉除隊。あの身体では仕方なかっただろう。どう考えても、もう軍人としての勤めは果たせなかった。再び歩くことすら無理であったように思う。
 確かに右目は潰れていた。顔も身体も傷だらけだった。それはとても鮮明な記憶だ。四年の月日が流れたとしても、その傷跡は残るはずなのだ。

 しかし、三十五日前に現れたエメザレにその傷跡はどこにもなかった。常識で言うならば、それは不可思議で有り得ない話しだ。
 もしイウが先ほどの奇跡の世界を体験していなかったならば、この話を信じたりはしなかっただろう。
 半年前、エメザレに何がおこったのか。
 奇跡。その言葉しか見当たらない。


 その時、突然にドアが開いた。

 そこにはアスヴィットと同じ歳くらいの男が立っている。
 
「おい、なんだそいつ。なぜ白い髪がここにいる」

 安らぎを知らないかのようにいらついた表情と、どこかグセルガを思い出させる厳しい雰囲気は、とても好感の持てるものではなかった。
 鋭い目の男は、イウに強い憎悪の眼差しを向けた。

「城にいたんで連れてきた。まだ子供だし、放っておくわけにいかないだろう」

 イウをかばうようにしてアスヴィットは立ち上がった。

「どうする気だよ。規則だと立ち退かない白い髪は死刑だぞ」
「いや、そんなことにはならない」

 男にではなく、イウの方を見てアスヴィットは優しく言った。

「俺がスミジリアンまで連れて行く。それで問題ないだろう。元帥様のことだ、例え知らせても子供の命は取らないだろうし、この忙しい時にこんなことで手間を取らせたくない」
「だが一応規則だ。知らせておいたほうがいい。黙って白い髪を逃がすのはいくらなんでも不味いだろう」

 男はアスヴィットのことが気に食わないのか、声の感じは限りなく冷たい。とても淡々としているのだが責めているような印象だ。

「オーウェ。お前はいちいちうるさい奴だな。確かに臨時の法には死刑だの処刑だの殲滅だの物騒なことが書かれているが、一度だって元帥様がそんなことしたか?」
「そうだ。全くしなかった。そう定めたのになぜ元帥はそれを守らないんだ。今まで散々俺たちを虐げてきた白い髪に、そんな慈悲はいらないのに!元帥は臆病者だ!」

 オーウェはなぜかイウに向かって叫んだ。気に食わなかったのは、アスヴィットではなく、白い髪とその白い髪に甘い制裁を下したエメザレのことのようだ。

「エメザレの悪口を言うな!」

 ついくせで、イウはエメザレをかばった。

「黙れ、白い髪!俺はお前たちを許さない!」

 オーウェは腰の剣に手をかけた。

「わかったから。落ち着けよ、オーウェ。本部に行って知らせてくる。それでいいだろう。だからもう出て行け」

 アスヴィットがオーウェの手を押さえつけると、オーウェはもの凄い形相でイウを睨みつけ、次にアスヴィットを思い切り突き飛ばして部屋を出て行った。

「気にするな。もうこないよ」

 オーウェが出て行ったのを確認してからアスヴィットは座った。

「どうしてあんなこと言うんだろう?」
「ああ……、白い髪に家族を殺されたのさ。気にすることない。別にお前のせいじゃないんだから」

 アスヴィットは複雑な表情をしてパンをまたかじった。
 確かにイウのせいではないと思っている。ただアスヴィットにも少なからず白い髪への恨みはあるんだろう。イウはアスヴィットのそんは表情を悲しく思った。

「エメザレのところへ行くなら、ぼくも連れて行ってよ」
「ばか言うなよ。無理に決まってるだろう」

 アスヴィットはパンを噛みつつ、ため息をついた。

「じゃあ、ぼくが会いたいって言っていることを伝えてよ」
「元帥様はお忙しいんだ。お前なんかに会いに来るわけないだろう」
「それなら手紙を書かせて。それを届けてくれるだけでいいから。お願いだ!」

 イウが椅子から立ち上がって懇願すると、アスヴィットはパンの最後の一欠けらを口に放り込んだ。

「わかったよ。仕方ねぇな」

 渋々にアスヴィットは腰を上げると紙とペンを持ってきてくれた。

 そして手紙にこう書いた。




 ゴルトバの血を持つエメザレへ

 この手紙を見て、たちの悪い冗談か、あるいは何かの脅しだと思うかもしれないが、その意図はなく、これは真実であることをここに誓う。

 ぼくの名はイウだ。知っての通りお前が殺したはずのクウェージアの王子だ。なぜ生きているのか、いまだにぼくにもよくわからない。
 ただ、ぼくは世界の踏み入れてはならない領域に入ってしまったようなのだ。
 それをいうならば、きっとお前にもぼくと近しい何かが起こったはずだ。だから、ぼくがこうして生き返ったことを、お前はそれほど抵抗なく受け入れてくれると信じている。
 だが、この現象についてはこれ以上、どちらの件も検索する気はない。
 検索したとて、ぼくたちが納得する回答は得られないだろうからだ。


 それよりも伝えたいことは、ぼくが最後に父上に言った言葉のことだ。
 もし、お前がその言動に裏切りを感じてぼくを殺したのなら、それは仕方のないことだ。ぼくは、そのことに関して、なんら怒りの類のものは感じていない。
しかし、あの言葉はぼくの意中を正しく表したものではない。
 あの言葉はまったくの偽りなのだ。嘘や弁解にきこえたとしても、それだけは信じてほしい。
 そして、お前に心から謝罪したい。ぼくはお前をこの世の誰よりも尊敬し私淑してきた。お前を裏切るようなことはしたくなかった。
しかし、ぼくの愚かさゆえに結果として、ひどくお前を裏切ることになってしまった。 こんなことになってしまったのも、全てぼくの責任だ。

 こんなぼくに、何かを言う資格はないのかもしれないが、ひとつだけ希望を言わせてほしい。どうか、ぼくに会いに来てくれ。どうしてもお前に言いたいことがある。手紙にはとても書ききれない。
 お前を信じて待っている。いつまでもお前を信じ、思っていることを忘れないでほしい。

 追伸
 アスヴィットはいい奴だ。よければ、もっと上のほうで働かせてやってくれ。


 没落した王族の生き残りイウより


***

「悪いな。規則なんだ。こうしないとオーウェうるさくて。すぐ帰ってくるから」

 イウは牢屋の中に入れられた。大貴族の家にはさずが、地下牢が付いている。
 アスヴィットは申し訳なさそうに謝りながら、また不味そうなたくさんのパンをイウに差し入れた。

「手紙を受け取ってくれなさそうだったら、「ゴルトバ」と叫んでくれ。お願いだ」
「ゴルトバ?」
「いいから!頼んだよ」

 鉄格子にしがみついてイウは叫んだ。

「わかったよ。じゃ行ってくる」

 アスヴィットは少し頭を傾げながら出て行った。


 何の因縁か、牢に入れられたイウの面倒はオーウェが見ることになった。
 どんな仕打ちをされるのかと始めこそ恐れていたが、彼は最初の印象ほどに粗暴ではなかった。確かに温顔ではないが、それでも人並みの気づかいくらいはしてくれた。
だが、その多少雑な優しさに触れても、イウはいたたまれない気持ちになるだけだった。仕事とはいえ、白い髪をこうして扱うのはオーウェにとって苦悩でしかないだろう。もし許されるならば、家族の敵を討ちたいと思っているかもしれない。
穏やかとはいえない、冷厳と遺恨を押し込めた顔の下には、どれほど激烈な殺意がうごめいていることだろう。
 それを押し殺して、オーウェはイウに理性的に接するのだから、その努力は人並みはずれているといっていい。

 かつて彼は“良いひと”であったのかもしれない。そんな彼から安らぎを奪って、こうさせてしまったのは、まぎれもなく自分たちである。
 そしてそれを横暴と呼んで嘲笑した白い髪を恥ずかしく思った。
 オーウェがイウを憎むのは当たり前のことなのだ。それを逆恨みするのはばかばかしい。

「ごめんなさい」

 朝食を届けに来たオーウェにイウは言った。

「なにが」

 オーウェはいつもの、少し乱暴な声できいた。

「ぼくたちが、あなたにしたことだ」
「もういい。時代は変わったんだ」

 そして、初めて彼は笑った。どこか遠い目をしてオーウェは優しい顔をした。白い髪を許したわけではないだろう。それでも、イウの言葉でほんの少しだけ彼は救われたように思う。そうとだけ言うと、オーウェは去っていった。
 そしてわかった。黒い髪の国に白い髪は必要ないということを。

 それを思い知った。


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