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悪の終06


 ラルダ・シジとのその後の対談で、一ヵ月後にノムン闘技場で拷問ショーを開催する事が決まった。
 そのニュースはあっという間にラルグイムを駆け抜け、ベイネでは街中にポスターが貼られた。ショー見たさに観光客が押し寄せ人と馬車が溢れかえって一層ベイネの空気を悪くした。そのうえ驚いたことにラルグイムの皇帝までやってくるとあって、その混乱は常軌を逸し、国を挙げてのお祭り騒ぎのようになっていた。

 ベイネではエクアフ種族は珍しく、さらに灰色髪のエクアフはおそらくジヴェーダ一人しかいなかったため、ジヴェーダは気軽に外に出る事ができなくなった。
 暇を持て余して仕方なく彼はショーを待ちわびた。まるで愚かなベイネの民衆のように。哀れな誰かを絶対的に支配して早く癒しが欲しかった。


***

「さぁ、しっかりとご覧あれ! 遠く北の国クウェージアから訪れた、残酷非道豪腕無敵の白い髪の拷問師ジヴェーダの登場だ!」

 長ったらしい、いくつもの前座を経てやっと彼の出番が回ってきた。
 ベイネはまるでこの日を待ち望んでいたかのように晴れ渡り、日は円形の舞台を焼き尽くすようにして照らしている。屋根のない闘技場で、観客たちは太陽にさらされながらも狂ったように歓声を上げていた。

「白い髪ね……」

 舞台裏でジヴェーダは呟いた。

 確かに彼の髪は灰色というより白に近く、純潔の白い髪と並ばなければ灰色だとわからないほどだった。白い髪を見ることがほとんどないシクアスには、なおさらその違いはわかるまい。
 しかしこのささやかな違いがなければ、残酷非道豪腕無敵の拷問師は生まれなかったのだ。そのことを、舞台の上で文句をたれているシクアスが知るはずもないのだとわかりつつも、やはり怒りはこみあげた。

「出番ですよ。緊張なさってます?」

 後ろでフォスガンティが言った。しかし何も返さないままに舞台に出ようとジヴェーダは歩き出した。

「ぼくはあなたがどんなふうに生きてきたのかは知りません。なにがあって拷問師になったのか、どんな扱いを受けてきたのかもわかりません。でもあなたは素晴らしいひとです。だからこうして脚光を浴びているのです。あなたはなにも間違ってなかった。どうか自身を卑下しないでください」

 応援の意味も込めてか静かな口調でフォスガンティは言ったが、それでもジヴェーダは振り返りもしなかった。
 薄暗い舞台裏から見える舞台への入口は日の光で眩しく輝いて、まるで異次元へ続いているかのようだった。彼は歩きながら全てを見下すように笑っていた。そしてその笑みを浮かべながら光の門をくぐり抜けた。

 ジヴェーダが悠々と舞台へ歩み出ると、観客たちはサルが集団で合唱でもしているかのような、あるいは獣の雄叫びのような声で熱狂的に拷問師を歓迎した。
 中央には禍々しい皇帝の席が設けられ、ラルグイムの皇帝らしき人物がまっすぐにジヴェーダを見つめている。

「私を犯して!」

 近い場所から女の声がして、なんとなくその声の主を見れば、着ている物からして相当裕福なおそらく貴族の娘がドレスを開けっぴろげ堂々と胸を晒しながら叫んでいる。前座のストリップショーの影響なのか、よくみれば男も女もほとんど裸に近いような姿で観覧している。
 彼は一切観客を無視することに決めた。

「それでは犠牲者を紹介しましょう!」

 歓声に負けない大声で司会者は言った。

「東北の国ブリンジベーレからやって来たダルテスの少年傭兵だ! 彼は先月、我が国の英雄プロンキシブ将軍を殺した! 是非ともこの無慈悲な拷問師にプロンキシブ将軍の仇を討っていただこう!」

 彼はプロンキシブ将軍を知るわけもなく仇を討ってやる義理もなにもないのだが、そういう設定、そういう役どころであるらしい。そう、彼はただの拷問師という名の「見世物」なのだ。シクアスにとってジヴェーダは恐れの対象でも軽蔑の対象でもなく、劇場で舞う踊り子と同じただの「見世物」だ。
 そうわかると、虚しい巨大な怒りがこみ上げてきた。

 しかしそれでも仕事と割り切って舞台の中央を見れば、そこには哀れなダルテスの少年が柱に括り付けられてうごめいている。日の光が強く、ピンクの肌と金髪は白っぽく輝いて少年の表情までは見ることはできないが、その顔は涙と涎でぐちゃぐちゃになっていることだろう。

 ジヴェーダが少年に向かって歩き出すと、騒がしかった観客たちは気味の悪いほど静まり返り、しかも揃いも揃って小型の双眼鏡をかけその動向を見守った。
 案の定少年は恐怖に打ち震え、野蛮な種族を恨む余裕もなく泣いていた。猿ぐつわを噛まされ、裸同然の姿で相当きつく柱に縛り付けられて息苦しそうにしながら小刻みに震えている。

 少年といえどもダルテスなので背はかなり高く、ジヴェーダとそう変わらないくらいだ。運良く少年があと半年でも命を永らえることができれば、ジヴェーダの背を越してしまうだろう。いかにも傭兵らしい整った肉体を持っており、がたいの良さならばジヴェーダより数段上だが、顔は不均衡なほどに幼くあどけない。

 そんな少年の顔をまじまじと見つめ、ジヴェーダは優しく猿ぐつわを外してやった。

「どうか……許してください」

 少年は小刻み震えつつやっと絞り出した、擦れる声で懇願した。シクアスの言葉だった。

「俺は傭兵です。雇われてやったんです。俺は悪くない! だから許してください、お願いです!」

 少年は泣きながら言ったが、少年の濡れた瞳に映りこむジヴェーダの顔は平静そのもので、微塵の同情も浮かんでいない。

「悪いな。俺も仕事でね。お前が悪いとは思わないが、俺も悪いと思わないようにしているんだ。それに、どうもここでは俺よりも観客が全能であるらしい。彼らに頼んではどうだ」

 ジヴェーダが提案すると少年は、おそらく藁にでもしがみつく感覚であろうが観客席の方を見た。

「プロンキシブ将軍を殺したことを謝ります! どうか許してください!」

 しかし残酷な観客たちはそんな滑稽な少年の悲痛な叫びを聞くなり腹をかかえて笑い出した。この劣悪な観客たちはプロンキシブ将軍のことなど本当はどうでもいいのだろう。ただ理由を作って正当化し、堂々と拷問ショーを楽しみたいだけなのだ。

「お願いします……お願いします……許してください!」

 と少年は一層に声を張り上げて泣きながら何度となく繰り返した。

「彼に屈辱を!」

 無慈悲にも誰かがそう叫んだ。

「屈辱を!」「屈辱を!」

 観客どもは立ち上がって、やかましくも一斉に連呼した。
 ジヴェーダは観客の声援に答えるわけでもなく、ほとんど無視しながら舞台裏の入口を見た。そこに立つフォスガンティに目で合図を送ると、フォスガンティは観客に媚を売るように左手を振りながらジヴェーダのもとへやって来た。右手には赤く焼けた鉄の焼印を持ち、それを観客に掲げて見せた。

「お願いです!!やめて!やめて!!嫌だ!」

 少年はそのたくましい肉体でなんとか縄を引き千切ろうと暴れるが、それを見越してか縄は何重にもきつく巻かれており抵抗は全くの無駄だった。
 フォスガンティから焼印を受け取ると、それだけでジヴェーダの周りは熱に包まれた。

「放せ!!!放してくれ!許して!!ギッ!ぎぃあああああああああーーーー!!」

 ジヴェーダは思い切り少年の腹に焼印を押し付けた。少年は泡を吹き出して絶叫し、辺りには肉が焼ける嫌な臭いとわずかな煙が立ち込めたが、観客席にまでは届いていないだろう。煙が消え去ると、少年の腹には文字が浮かび上がっていた。

 今日のメニュー
 1、イバラ鞭二十回
 2、肛門へ蛇詰め
 3、眼球に釘三本
 4、性器切断
 最終審判

 それを読んだ観客は歓声をあげるのかと思いきや、今度は拍手の嵐をジヴェーダに送った。

「純粋に感動しているんですよ。その発想に」

 フォスガンティが後ろで小さく言った。
 少年を見れば既に白目を剥いて気絶している。ジヴェーダは柱の傍に置いてあった水の入った桶を掴んでぶっかけた。それでも起きないので少年の頬を何度か叩き、最後に焼けた腹を蹴り上げると少年はやっと目を覚ました。

「うぁぁぁ! ああぁぁ! は……腹が!!」

 少年は自分の腹にできた火傷を見てまず叫び、次に痛みに悶絶して声にならない唸り声をもらした。

「さて、お前は自分の腹のシクアス語が読めるのかな」

 ジヴェーダは腰に付けてあったイバラの鞭を掴み、ぴんと張って少年に見せた。

「あぁ…お願い……お願い…もうやめてください……」
「俺に言っても仕方あるまい。許しを請うならば大声で観客に向かって言え」

 弱々しく懇願する少年にジヴェーダは飄々と答え、イバラの鞭をうならせた。空気を叩いた鋭い鞭の音に恐怖を感じたのか少年はまた暴れだした。

「お願い! 許して! ぐあぁぁぁぁあ!!」

 叫び声が観客を喜ばせることを少年は知らないのだろう。声を振り絞り大声を出しながら、少年は何度も鞭を受けた。イバラの鞭は少年の鋼のような肉体を易々と傷つけ、皮膚を切り裂き抉り取りあらゆる場所から血を噴出させ、二十回も打たないうちにすっかり血が身体を包み込んで腹の文字は読めなくなっていた。
 少年は全身から血を垂れ流して泣き叫び観客を喜ばせたが、ジヴェーダは腹の文字が消えてしまった事が気に食わず、もう一度桶の水をかけた。少年は痛みに叫び狂って絶叫し暴れたので、傷口から血が噴き出しまた血が全身を覆った。彼は腹の文字を諦めて次に移ることにした。

 今度ジヴェーダが舞台裏に目配せすると、ダルテスの大男が二人、真ん中に穴が開いた横に長い木の台を抱えて舞台に登場した。フォスガンティは一度舞台裏へと下がり、すぐに円柱状の筒と蛇を首に巻いて再登場し筒を掲げた。

「なんだ…何をする気だ!!」

 叫ぶ少年をよそにダルテスの大男は少年の足をひょいと持ち上げ、もう一人が木の台を浮いた少年の下に置いて真ん中の穴に丁度尻が入るように座らせ、そしてかろうじて被さるようにはいていた下着を力任せに剥ぎ、少年の足を片方ずつ掴んで股を開かせ秘部を丸出しにした。

 少年といえどもそこはダルテス。たくましい身体に似合う見事なものをお持ちである。淫猥を好む観客どもは今、おそらく双眼鏡でそこを眺めているに違いない。

「そんなことをするくらいなら、せめて……! せめて一思いに殺してくれ!!」

 少女のように無様に恥らいながら少年は息も絶え絶えに願ったが、それは観客の人差し指を下に向ける仕草によって却下された。

「まぁまぁ」

 とフォスガンティから差し出された筒を受け取りジヴェーダは言った。

「お前が拷問を最後まで耐え抜き、最終審判で皇帝が許せばお前は晴れて自由の身だ。せいぜい最後まで元気のいい声を出してやれ。案外、哀れに思ってくれるかもしれないぞ」
「嫌だ……嫌だ……それだけは! どうか……お、お願いだから…!」

 当然ながら少年は抵抗して暴れたが、二人の大男ががっちり両手で足を押さえつけているものだからびくともしない。ジヴェーダは少年の前にしゃがみこみ、台の穴から飛び出た少年の尻に筒を突っ込んだ。

「い、嫌だ、嫌ぁ、い……ああああぁぁぁぁぁぁーー!!」

 少年はその手の行為と縁がなかったと思われるが、全身を覆う血のぬめりのせいで筒は案外あっさりと飲み込まれた。とはいえ苦痛に変わりはなく、もちろん前は無反応だった。中が切れたのか身体から流れ出た血なのか筒からは血が滴り落ちてきた。

 ジヴェーダはフォスガンティの首から蛇を掴み取り、丁度すっぽり筒に入る太さの蛇を中に押し込めると、蛇は狭さと暗闇と求めてどんどん少年の内部へ侵攻していった。

「ぐ、うっ、ううう、ひいぃ」

 未知の感覚に恐怖し不快と戦う少年をしばらく放っておいてから、ジヴェーダは静かに尻から筒を引き抜いた。すると見事に蛇は少年の尻の中に取り残され、収まりきらない尾をくねくねと揺らして垂れ下がった。尾が生えたかのような少年のその滑稽な姿に、闘技場は嘲笑に包まれた。

 秘部を開かせ尻に蛇を入れたまま、ジヴェーダは次の作業に取り掛かることにした。

「右目と左目、潰されるのはどっちがいいんだ。それとも両方か」

 ジヴェーダは少年耳元で優しく言った。

「うう…ふ……ううぅ、嫌だ、い、嫌です」

 少年の目はもはや焦点が合っておらず、空を向いてうわ言のようにぶつぶつと答えたので、すかさずイバラの鞭を少年にお見舞いしてやった。

「ぎぃああああああ!! ああぁ!! ひだ、ひ、左……!」
「よしよし。頑張れ、もう少しだ」

 ジヴェーダは少年の頭を撫でてから、金槌と釘をポケットから取り出した。もう抵抗する気力はないようだったが、念のためフォスガンティに目配せして少年の顔を押さえつけさせた。ジヴェーダは涙で濡れる少年の左目に静かに釘を置き、金槌を振り上げた。

「ううっ、ふう……あ、うぎぃぃぃぃぁあああああぁあ!!」

 釘は垂直に眼球を突き刺し、少年は痙攣してまた気絶した。絶叫した拍子に尻の蛇を締め付けたらしく、蛇も驚いて尾を狂ったように動かした。

「おい、起きろ」

 とジヴェーダが言った瞬間、今度は筋肉が緩んだのか少年の尻から蛇が滑り落ちてきた。蛇は大量の血にまみれ窒息寸前でかなり弱っており、ついでに緩みきった尻の穴から排泄物が流れ出して可哀想な蛇の頭を埋めた。
 ジヴェーダはまた水の入った桶を掴み、今度は主に蛇に向かってぶちまけた。蛇は水を浴びて多少の元気を取り戻したようで、くねくねと動き出した。

「あと二本だ」

 気絶している少年の顔を上に向かせ、釘を二本いっぺんに左目に置いて、金槌を振り下ろした。

「ぎゃああああああーーーー!!」

 痛みによって少年は現実に引き戻され叫んだ。声は枯れて最後の方は裏返っていた。

「はぁ…ああぁ…あ……お母さん……家に…家に帰り……たいよ…おか…あさん」

 血と涙を垂れ流し少年は虫の息で願った。右目はぼんやりとただ宙を見つめている。そんな少年の頬を何度が叩いたが、瞬きもせず右目を見開いて微笑みさえ湛えている。

「これで最後だよ」

 ジヴェーダは縄を切るために置いてあった切りばさみを手に取った。かなり太く頑丈な縄を切るはさみは大げさなほどにでかく、まるで武器のようだった。
 ダルテスの大男はまだ少年の足を押さえつけていたが、もう意味はない。少年は力なく股を開いたままで、抵抗する気配はなかった。少年の立派な、それでも初々しいそれをはさみジヴェーダは力を込めた。

「うぅ、ぐっ」

 悲鳴は小さくうめく程度だったが、失禁し秘部から血とそれを力なくも大量に流した。

 ジヴェーダは後ろに向き直ると、力いっぱいに切り取ったそれを客席めがけて投げつけた。それは見ず知らずの女の双眼鏡にぶち当たり、彼女は痛そうにしていたがやがて逸物を掴んで嬉しそうに飛び上がった。観客たちは羨ましそうな叫びをあげながら手を叩いた。


「さて! 残酷非道豪腕無敵のジヴェーダの拷問はいかがでしたでしょうか! これから最終審判を行いたいと思います」

 ジヴェーダが司会者を睨みつけると、司会者は慌ててそう言った。
 闘技場は静まり返り、皆々は皇帝の動きに注目した。皇帝の恩情を受けることができれば、このダルテスはここで殺されず延命処置をされ、運がよければ生きて帰ることができる。
 しかしラルグイムの皇帝は優雅に人差し指を前に突き出し、しばらく考えるように間を置いて、そしてゆっくりと人差し指を下に向けた。

「殺せ!」

 と誰かがいきり立って叫んだ。

「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」

 民衆は口々に叫び興奮は最高潮に達した。

 皇帝は殺すことを望んだ。それは皇帝の命令である。観客はそれに従えとジヴェーダを促し、ゆえに皇帝に忠実であると個々に主張している。

「最後に言い残すことはないか」

 そんな観客をことごとく黙殺してジヴェーダは、少年に向かって囁いた。

「おか……あ、さん……家に…帰りたい…帰り……たい…よ」

 少年はずっとそれを繰り返して呟いていた。ジヴェーダは少年のものを断ち切ったはさみできつく縛られていた縄を切り、台からも降ろして地面にうつ伏せにした。タイミングを合わせてフォスガンティは舞台裏から持ってきた斧をジヴェーダに手渡した。

「あい…してる」

 と最後に言葉を放った少年の頭に斧を振り下ろした。
 骨を砕く鈍い音が手に響いた。ジヴェーダは首を切り落とすのに慣れていない。途中で分厚い肉に喰い込み、少年の首は中途半端に千切れて自らの残骸にぶら下がった。絶命したはずの少年の身体は痙攣し、それに合わせて首から血を吹いた。ジヴェーダは返り血を拭いもせず、少年の背に足をかけ右手で男の宙を揺れる頭を捕まえて力任せに引き千切ると、衝撃で肉片が飛び散り顔に付いた。
 肉片を舌で拭いつつその首をラルグイムの偉大な皇帝陛下に向けて掲げれば、皇帝はゆっくりと立ち上がり緩やかな速さで何度も手を叩いた。

 つかの間の静寂はやがて無数の拍手と絶賛の叫びに変わり、ベイネ中に響きわたるような歓声が厚く彼を包み込んだ。まるで金の雨が降ってきたかのように大量の金貨が舞台に投げ込まれ舞台は金貨の海に変わった。

 けれどもそこには、なんの喜びもなかった。不思議なくらいになにもない。むしろ怒りがこみ上げてきた。

 それがなぜなのか彼にはよくわからなかったが、ただ、もし彼がこの地で生まれ育っていれば、彼は無駄に人生を捨てることも心を殺すことも邪悪にもならずに済み、罪悪感に苛まれることもなく、自分に疑問を感じることもなく、真っ直ぐに生きることができたのだ。
 しかし哀れ、彼の硬くなった脳が価値観の変革を受け入れるのは不可能であった。

 その時、彼の足元に誰が投げたか知れない花が落ちてきた。美しく可憐な花。彼はかつて「奴ら」が母の植えた花を踏みにじったように、それを踏みにじった。哀れな花の残骸を見つめて下を向けば、枯れ果てたはずの瞳からほとばしるものが溢れて花の上に二滴落ちた。

 彼は死んだ。ラルグイムに邪悪なる拷問師ジヴェーダはもういない。ラルグイムの大愚なる民衆によって滅ぼされ、今は輝く新ヒーローが喝采を浴びて立っている。

「黙れ、クソども!」

 彼は虚しくなって大声で叫んだが、称賛の嵐で無残にも打ち消された。
 
 ああ、神よ。どうかこの陋劣なる彼らが宇宙からきれいに消え去りますように。

 かつての少年が息を吹き返したかのように、ラルグイムの新ヒーロージヴェーダは深く、彼らの遥か遠くに輝く神に向かって祈りを捧げた。

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