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「旅のお方か。止まりなさい」

花に水をまきながら、老人は男に言った。黒茶色の古びたコートを羽織った男は振り向きかけたが、またシャザの山に向かって歩き出した。

「何もありはしません。あるのは雪と死だ」

老人の言葉に男は足を止めた。だが老人の方を見るわけでもなく、何も言わない。

「わしはこのシャザの山のふもとに住み、この町で何十年も暮らしておるが、誰一人として庭園を見つけた者はおりません」
「それでもおれは行かねばならない」

男の声は小さく低かったので老人の耳では聞き取れなかったかもしれない。
そして男は歩き出した。もう止まりはしないことを老人はわかっていたので、最後に言った。

「あなたの名をききたい。無名の墓に眠るのは哀しかろう」
「おれの名か。おれは今からそれをききにいくのだ」

 今度の声は老人に届いただろうが、男の答えに対する言葉も仕草もなく、老人は悲しそうに水まきを続けていた。


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