番外編T-1



――本当、呪いなんじゃないのかと思う。
ムカつくったらありゃしない。

いきなり何って?
まぁ聞いて欲しい。

あたし――ミョウジ ナマエが、人生を終えようとしているこの時になって、一体何に腹を立てているのかを。


その男は、少年だった。

少年――そう。
当時高校生だったあたしの、クラスメイトだった男の子。

名前は、ばくら……えっと、下の名前は了だっけ?
獏良了。それが『あいつ』の、肉体の名前だった。

でも『あいつ』は、あくまでも獏良了の肉体を借りているだけで、その正体はバクラとかいう3000年前の邪悪な――

ってああもう! めんどくさい!!

とにかく!!
女子高生だったあたしは、獏良了という人畜無害な男子高校生の肉体に潜んでいた、『バクラという人格』と一時期つるんでいた。

つるんでいた――そう。
あたしとバクラは、表向きには恋人同士でも志を同じくする仲間でもなく、多分ただのセフレみたいな感じだったはずだ。
それも、ちょっと悪友寄りの。

あたしのクソみたいな家庭環境から、諸悪の根源みたいなヤツを事も無げに抹殺し、あたしを『継父に虐待されている不幸なJK』から、『ちょっと素行が悪いだけのJK』に引き上げた張本人、バクラ。

だが彼はあたしに、どうしようもなくどうしようもない事実を突きつけた。
どんなに泣いても、足掻いても、変えられない事実をだ。

つまり。

どこまで行っても、あたしが無力で愚かなただの少女であることとか。

そんなモブのような凡人であるあたしは、バクラという超越的存在に救われるばかりで、あたしの方は彼を決して決して救ってあげられないこと、だとか。

そして――

あたしという人間は、どうしようもなくバクラという『意思』を好きになっていて、かつ想いを告げた瞬間には、彼は二度と手の届かない場所に行ってしまった、ということ……だとかをだ。


それから、何度季節を巡ったか。

あたしは現世では二度と、『バクラ』に会うことは無かった。

彼の精神が間借りしていた形になっていた獏良クンには、高校を卒業してから一度だけ同窓会で会った。
けれど、それだけだ。

獏良了は決して『バクラ』ではないし、相変わらず整った顔立ちで微笑む獏良クンは、いつの間にかデュエルだかゲームだかの世界で有名になっていた武藤遊戯たちと、楽しそうに過ごしていた。

そこにはもう、『バクラ』の残滓は微塵も残っていなかった。


あれから沢山の出来事があった。

あたしは妹を守りながら働いて、妹が大人になったあとは気ままに生きて――

そう。

問題は、『バクラ』から卒業したあとの、あたしの残りの人生についてだ。

あたしはバクラの胸倉を掴んでやりたくてたまらない。

何故なら、あたしの『残りの人生』は、ずっとあいつの呪いにかかっていたからだ。

だから、あたしは。

こうして今際の際に(というか死後か?)、闇とも光ともつかない茫洋とした曖昧な空間の中で、『あいつ』を探して、彷徨ってるのだ。

あいつと、最後に交わした言葉を思い出しながら。

ふらふらと。
ゆらゆらと。

『バクラ』を探して、あたしは彷徨う――




ここは一体何処なのだろう。

地獄というにはあまりに生ぬるいし、天国というにはあまりに殺風景だった。

あたしは善人じゃない。
善人だった妹とは違って、あたしは人生の中でいろいろ悪いことをした。

悪――その定義が何なのか、一般的な法律や常識からしか語れないのがあたしの限界なんだけど、まぁそれはさておき。

そんなあたしが死後に落ちるのは、多分地獄のようなところだと思っていた。
まぁ、あたしは死後の世界はあんま信じてなかったけどさ。

でも、死んだ後にまたバクラに会えるかも……なんていう根拠の無い期待は、あたしの人生の中で、数々の艱難辛苦を歯を食いしばって乗り越えるだけの力を与えてくれたのだ。

もっと言えば、バクラと別れてからすぐに死んだりしたら、もう来たのかよ根性無しと嘲笑われる羽目になりそうなのが悔しかったのもあるし、あとは――

そう。
せっかくバクラに救われた人生を大事にしようとか、勝手に救って勝手に居なくなって見てろよバカ、長生きしてやるからな! なんて、柄にもなく熱くなったせいでもある。


でも、その熱意が――
あたしがバクラに向けていた熱の全てが、その後のあたしの人生を縛ったなんて!

本当に、我ながら情けないと思うけど。

だからあたしは、延々と彷徨い歩いた。
バクラに一言言ってやらないと、気が済まなかったから。

それが八つ当たりでしかないことはとっくに分かっている。

でも、それでも。

――そしてあたしは、『あいつ』を見つけたのだ。


「……ッ、」

彼は、イスに腰掛けていた。
ううん、腰掛けるというか……踏ん反り返っていた。

まるでどっかの王様みたく、偉そうに腕を組んで。
素行の悪い不良のように、長い脚を乱暴に組んで。

その姿を眼にした瞬間、それが彼だと知覚した瞬間、あたしはまるで雷に打たれたように一歩も動けなくなった。

視線を別の場所に向けている彼は、あたしにまだ気付いていない。
今なら、まだ逃げられるはずだ。

逃げ――えっ、何を考えてるんだあたしは。
だって、ついさっきまでは、こいつを見つけたら胸倉をつかんで喚いてやろうと思ってたんじゃ――

「……、……っ」

ありとあらゆる感情と、言いたかった言葉、そして彼との思い出が脳裏を駆け巡る。

いや、脳裏って……あたしにはもう多分、生きた肉体は無いんだけどさ。
それでもあたしの体(?)は、まるで生きていた頃のように熱くなって、喉が締め付けられて、心臓付近がずきずきして、唇は震えていた。

なんで、なんで、なんで……!!!!

あたし、だって、ずっと、彼に、バクラに――


バクラの両の眼が、ゆっくりとあたしに向けられる。
あたしは動けない。

――そうして、視線がかちあった。


「……よぉ。久しぶりだな、ナマエ」


あたしは、肉体もないはずなのに、涙が溢れ出るのを押さえられなかった。

「っ、……、ぁ…………、」

何を言えばいいのか。
ううん、あたしは彼に何を言おうとしてたんだっけ?

ン十年分の想いが、奔流となってあたしの胸を締め付ける。
ほら、だから、こういうのが呪いだって言うんだ!!


「……再会を望んだのはオマエだろ? 忘れたとは言わせねえぜ。
もっとも……忘れていたら、オレを『認識』することは出来ねえだろうがな」

フ、と鼻で嗤う彼の顔はいつかのままで、流暢に語った声も、姿形も、あたしが知っているバクラそのままで――

ちょっと待って。『そのまま』?

だってあれからすごく時間が経ってるはずだし、あたしの方なんて、ていうかあたしが死んだ年齢って――

思わず彼に背を向け、顔を伏せる。
涙を拭いながらほとんど無意識に一歩踏み出せば、「おっと、逃げるのか?」という彼の声があたしの鼓膜を震わせた。

うん、その、何度も言うけど、あたしもう多分、まともな肉体は持っちゃいないんだけどね。
それでもどういうわけかあたしは、生きてる時の肉体っぽくしか物事を捉えられないみたいなので、その辺はスルーして欲しい。


「……あたしを見んな」

あたしは、彼から顔を背けたまま、そう搾り出すのがやっとだった。

だって、男子高校生の何倍だよっていうよわいの女が、醜い表情で激昂して、何をぶつけようと言うんだ……!!

だが、彼が次に発した言葉は、あたしの予想の斜め上を行くものだった。

「ヒャハハ! おまえ、まだ死にたてか?
それとも、生死の境を彷徨ってる途中か? ククク……」

「……は? 死にたてって何だよ出来立てホヤホヤみたく言うな!
ていうか、……あっ」

思わず振り向いて言葉を返してしまい、我に返るあたし。

「っ、やだ、あの」

「ハッ……お前の思念が、お前自身をオレ様の元へ導いたんだぜ」

あたしの戸惑いを遮って、バクラが不可解な言葉を口にする。

「なに、それ……ていうか、本当に、バクラ……だよね?
黒いコートにボーダーシャツ……
胸に下げた趣味の悪いアクセ……なんだっけ、何とかリング……」

「ああ」

「……あ、思い出した、千年リング! だよね?
獏良クンの顔を何倍も凶悪にしたような目つきしてさ。
あははっ、やっぱバクラじゃん。変なの! ほとんど昔のままじゃん!
靴とか変えた? 最初からそっちにしとけばいいのに!」

あはは、と笑ってベラベラとまくしたてたあたしは、直後にハッとして口をつぐんだ。
え、何フツーに会話してんだ、あたし……!

それから、あれ? と気付く。
バクラは、とっくに当時の面影なんか無いはずのあたしを、何故あたしだとすぐ一目で分かったんだ……?

「ちょっと待って、あんたにはあたしがどう見えてんの?」

問いかけて、あたしはこのよくわからない空間に来てから、一度も自分の姿を確認していなかったことに気付く。
だって鏡なんて持ってないし――ていうかあれ、服装とか所持品とかどうなって……

ていうかあたし、本当にここに立っている?
『立つ』って何だ? あたしには本当に足があるのか……?

「『どう見えている』か……
まぁしいて言うなら、オレ様にはお前がただの小娘に見えるぜ。
制服を着て、オレの前でぎゃーぎゃー喚いて……
生意気な面でバカ笑いしたかと思えば、死にそうな顔でめそめそ泣いていた、あの時のナマエだ」

「っ、はぁ!? 何それ……
ていうかやっぱそんな風に思ってたんだな、あたしのこと!
まぁぎゃーぎゃーうるさかったのは認める。バカなのも認める。
でもあんたが優しくするからじゃん!!
あんたがあたしを甘やかして、楽しいことばっかして、ただのセフレのくせに、どんどん付け上がらせるからじゃん!!」

言い返したあたしは、自分の吐いた言葉で、湧き出す感情がどんどん言語に変換されていくような感覚を味わった。
言語……? って、今やそれすら曖昧だけど、でもいい。

あたしは、続きを彼にぶつけたくて仕方が無い!

「全部あんたのせいだよ!?
あたしの人生が『ああなった』のも!
ていうかあたし、あんたが……バクラが居なくなって、バクラからもう『卒業』して、人間としてしたたかに生きてやろうって思ったの!
それで、嫌なこともしんどいこともあったけど、何とか頑張って生きて来れたのさ!!

でもね、あたし、男関係だけは本当、最期まで上手くいかなかったんだから!
あのあといろんな人と付き合ったけど、全部失敗しちゃったんだから……!!」

人生の恥を吐露したあたしを、バクラは続きを促すように黙って見つめていた。
調子に乗ったあたしは、言葉の暴力という名の刃を振りかざす。

「ホントさぁ……、何なんだよ…………
あたし、幸せになりたかったんだよ……?
バクラのことなんか忘れてさ。他のイイ人とラブラブ過ごしたかったのにさ……
誰と付き合っても無理だったんだもん……
最悪じゃん本当……」

涙が込み上がる。
慌てて手で拭いながら顔を伏せるも、キリキリと締め付けられた喉は否応なくあたしの涙腺を刺激し続けていく。

あたしは本当にバカで最悪な女だ。
現世で何年、よわい重ねたと思ってんだ。
なのに、何も成長してないんだ、あたし。

こんな身勝手な八つ当たり、ようやく再会できた最愛の人相手にすることじゃないのに!


「……ごめん。
あたしが一番悪いのわかってるよ……!
あたしの性格とか諸々、ぜんぶあたしが悪い!!
あたしが悪いーっ!!

でもさ、だって……だって、だって!!!!
忘れられなかったんだもん!!
あんたが!! あたしの中にずーっと陣取ってさ!!
そのせいであたしの人生台無しだよ!! 本当バカ!!!!

あたしの一生の中で、あんたと居た時が一番楽しくて満たされてたかもなんて……気付きたくなかったのに!!
ずっとずっと、いつかあんたのことなんか忘れて、あんたといた頃より幸せになれるかもって思ってたけど……、結局最後の最期までそんな日が来なかったなんて、認めたくない!!
責任とってよ、もう…………」

俯いてぐずぐず泣きじゃくりながら吐き出した言葉は、子供のわがままよりタチの悪い滅茶苦茶な論理だった。

「あ、最後のは無し……忘れて。
もう本当だめ……!!
こんなこと、言うべきじゃないのにね…………
あんたが最後に『またね』とか言ってくれたから、こうして『また』会いに来ちゃったんだけどさ……
めっちゃ厄介な女じゃん、あたし……
もう死にたい…………」

「もう死んでんだろ」

ノータイムでのツッコミが、思いのほか至近距離から発せられたことに気付き、あたしは思わず顔を上げた。

すぐ傍にあるバクラの顔。

彼はいつの間にか立ち上がり、あたしの目の前に立っていた。

「っ……!」

伸ばされた彼の手が、あたしの髪をひとふさ指で掬う。

捲られたコートの袖から覗くバクラの白い腕。
手首に巻かれているブレスレットは、多分獏良了の趣味ではなくバクラの趣味なのだろう。

たじろいだあたしは、ただバクラにされるがまま、石のように固まっていた。

「……もしまだギリギリ死んじゃいねえなら、来た道を戻ってみな。
運が良けりゃ、現世に戻れるかも知れねえぜ」

彼はひどく穏やかな声で、ひどく意外なことを言った。

す、と音もなく離れて行こうとするバクラの手。

あたしは思わずその腕を掴み、バクラが離れて行かないようにぎゅっと手に力を込めた。

「別にもういいよ……!!
充分生きたし、あたしの人生はこれで終わり。
ていうか、最期の記憶が曖昧なんだけど……まぁいいや。
ババアとか罵られなくて良かった!
……ま、そんなこと言われてたら、この化け物って罵倒し返すけどね」

あたしの減らず口は止まることを知らない。

どれだけ吐き出しても減らない激情が、じりじりとあたしの背筋を焼いていた。

「……ていうか、ていうかさ、」

掴んだ腕から伝わるバクラの体温が、あたしを狂わせて行く。

あれだけ拭ったのに、とめどなく潤み続ける涙腺が、あたしの視界をぐちゃぐちゃに歪ませる。


本当、は。

あたしがもっと素直な女だったら、こんな無駄な会話なんてしていない。

再会した瞬間、抱きついて、声をあげて泣いて、甘えているだろう。
けれど、死してなお、あたしはそんな可愛げのある女になれやしないのだ。

生きていた時は、別の男に甘えて媚びを売ったことだってあったのに。
本当にバカだ、あたしは。

「……ッ、…………っ」

バクラの腕を掴んだまま、あたしは唇を噛み締める。
ここからどうしたらいいのだ、あたしは。


「……肉体の記憶に引きずられすぎだぜ、仕方ねえな……
オマエには何が見えてんだ? オレ様以外によ」

「え……?」

空いている方の手で涙を拭い、バクラの問いに頭を捻るあたし。

「何って……バクラ、と……
あんたが座ってた椅子……なんかエラそーなゴテゴテしたやつ。
あとは……何も。
え……、何も……? 何も、無い……??」

「なぁナマエ。ここは現世とは違うんだぜ……?
よぉく目を凝らして……意識を周りに向けて『認識』してみろよ。
そうすりゃオマエにも、別の光景が『視える』はずだぜ」

「え……」

そんなこと言われても。

今のあたしにはバクラしか見えない。

光でも闇でもない、色さえ分からないあやふやな世界で、ハッキリと浮かび上がるバクラの姿。

獏良了の肉体を持ち、不敵に嗤って、手のひらから伝わる彼の体温が…………

「っ、……」

駄目だ。

これ以上、バクラに触れていたらあたしは『決壊する』。

今一番したいことを素直に出来ないあたしの感情は、あたしを内側から崩壊させる。

だって、あたし。
どれほどの時を、『このために』生きて。
『この時』を、どれほど待ち望んで。

「……バクラ、」

「……まず『そいつ』を吐き出す方が先決だな。
素直になれよ、ナマエ」

よく分かんない3000年前の魂とやらに惚れて、他の男では満たされない呪いにかかって。

「……ま、一応謝ってやるよ。
悪かったなぁナマエ。
オレ様のせいで人生棒に振っちまってよ」

「ッ、謝るな!!!!!!!!」

あたしは、全身でぶつかるようにバクラに抱きついた。

「謝るな、バカ!!!!
あたしの人生は……、あたしの一生はなぁ……っ!!
何も知らないだろ……っ!!

いいんだよ、あたしのことなんか!!
あたしが、勝手に想ってただけなんだから……!!
バクラに謝ってもらう必要なんか無い……っ!!!!」

両手を彼の背中に回し、その肩口に額をぎゅうと押し付け、ただ叫んだ。
ポロポロとこぼれ落ちる涙は、もはや拭う術は無い。

「ハッ……、さっきと言ってることが矛盾してるぜ?
オレ様を恨んでたんじゃねえのかよ。
オレ様のせいでオマエの人生、台無しになったんだろうが」

「それは、」

「ククク……まさかオマエがそこまでオレ様を想ってくれてたとはな」

「っ、違う、恨んでなんかない……!!
だって、あんたがどうしようもなく『バクラ』だから……!!
あたしの大好きなバクラは、あたしなんかには何も教えてくれなくて、それであたしの絶対手の届かないところに行っちゃって、あたしは永遠にバクラの力になれなかったからぁ……っ!
だからあたしは、あたしは……!!」

「ナマエ」

バクラがあたしの背中に腕を回す。
少しだけ撫でられたその手はまるで、あたしを宥めるように優しかった。

「離れたくなかった……、悲しかった……!!
好きで、大好きで、ずっと側に居たかった……!!
そんなこと、絶対無理だって分かってたから……あたし!
本当はセフレだけじゃ嫌だ、ううん、それでもいいからずっとこうしていたかった……!!
あの時、『卒業』出来たと思ったのに……吹っ切れたと思ったのに!!

無理だったの……無理だったんだよ、バクラぁ……っ!!!!」


あたしは本当にバカな女だ。

バクラに抱きついて、ぎゅっと縋り付いて泣きじゃくるあたしは、滑稽な人間そのものだった。

数十年の激情が、バクラという超越的な存在の前で爆発する。全てをぶちまける。

あたしはバクラという存在を愛していたのだ。
多分、あたし自身が思ってるより、ずっと。

「ごめん……、ごめんね……
勝手なことばかり言ってごめん……
ごめん…………」

肩口に押し付けた頭。
バクラの耳の横を流れる長い髪が、あたしの頬をくすぐる。

あたしの中で何十年もくすぶっていた未練、怨嗟、後悔、そして愛情。

それらで満タンに満たされた瓶は強引に叩き割られ、あたしの想いは一気に流れ出て、バクラの肩を無残に濡らしていた。

これ以上はさすがにみっともないと思って(いや、充分もうみっともないんだけど)、あたしはバクラの背中に回していた腕の力を緩めた。

――が、彼から離れようとするあたしを繋ぎ止めるように、今度はバクラがあたしを強く掻き抱いた。

まるで、勝手に離れるのは許さないというように。

「ちょ、なん――……や、ばか、強く抱き締めんな!」

心臓が慕情という名の切ない悲鳴をあげ、あたしは抗議の声を発しつつも、自分がバクラの温もりにたちまち侵食されてしまうだろうことを自覚する。

「……フ、」

彼の肩口に押し付けられたあたしの耳元で、バクラが小さく嗤う。

その顔は見えなくても、その表情はあたしの脳裏にこびりついて一生消えることは無かったのだ。
それ故に、あたしは他の人と添い遂げることが出来なかった。
それがあったから、あたしは今、『ここ』に居るのだ。

「……ね、そんなに熱っぽく抱き締められるとさ、痛いんだけど。
リング、食い込んで」

布越しに感じられるゴリゴリとした感触。

これが素肌だった時は、もっと違和感があった。
寒い時なんか、リングまでひんやりとしてて――

「……千年リングはもうねえよ。
とっくの昔に消滅しちまったさ」

「……え?」

ようやくあたしの体を解放しながら、バクラがそんなことを口にする。

何言ってんの、だってその胸元に――

訝しんだあたしは、たった今まで違和感を感じていた感触の元を目で確認しようと、体を離し、視線を彼の胸元へ下ろす。

だが。

「あれ……?」

黒いアウターにボーダー柄のインナーを着込んだバクラの胸元には、何の装飾品も存在していなかった。

「なんで、え、だって今――」

「あの世初心者であるオマエには実感しにくいだろうが、『ここ』はそういう場所なのさ。
肉体や物体、魂の記憶、意識……全てが、そう……
オマエにも分かるように言えば、曖昧……ってやつだ」

「えー……」

バクラの言うことはさっぱり分からない。

でも、そう言われると、確かにあらゆるものが曖昧で揺らいでいるような気もしてくる。

あたしにはもう肉体はないはずだ。
じゃあ、あたしが感じているドキドキや、流していた涙は何だ……?
バクラから伝わってきた体温は……?

肉体が無いなら、あたしがバクラにぶつけた身勝手な八つ当たりは、何処までも醜くて滑稽で悲哀に満ちた激情は、じゃあ、『何処に在った』……?

ていうか、魂って、なに……??


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