酒宴 3



「バクラやだっ、なんで……っ!」

二つの千年宝物を首から下げた盗賊に組み敷かれ、獣の女が狼狽えている。

千年輪と千年錐。
彼女の『本質』が忌み嫌うというそれが、英瑠の胸の上で、牽制するようにゆらゆらと揺れていた。


「オマエがっ、酔っ払ってイカレちまったからだろうが……!」

バクラは、純粋な腕力で英瑠を押さえつけながら、無防備に揺れる双丘を強引に揉みしだいた。

「っ、ごめんなさい……っ!
やっぱり、女の方から積極的に行くの、嫌だった……?」

英瑠は先程までとはうって変わって、しおらしく謝罪の言葉を口にした。

完全に的外れというわけではないがどこかズレている彼女の発言に、バクラはむしゃくしゃしながら言葉を返す。

「そうじゃねぇ……!
オマエに乗っかられて絞り取られんのも悪かねぇよ、だがな――
一方的にやられっぱなしっつーのが気に入らねえんだよ……!

今度はこっちの番だぜ、英瑠……!」

「えっ、あぁ……っ!
や、バクラ、や――! だめ……!!」

形を変えるほど彼女の胸を弄び、既に充血しきって固くなった先端部を歯で押しつぶす。

千年宝物の効力が聞いているのか、英瑠は腕力で抵抗してくる事もなく、バクラのなすがまま身を捩るだけなのだった。

これでようやく自分のペースに戻せる。

バクラがそう安堵して、彼女を組み敷いたまま火照った柔肌を撫で、唇を寄せ始めた時。

彼は、英瑠が甘い吐息を吐きながらも、うっすらと涙を浮かべ、未だ控えめに拒絶の言葉を口にしていることに気がついた。

「やだ……、やめて、お願い……っ」

その顔は、平素の彼女からは考えられないような弱々しさで。

未だ酒のせいで赤らんだ顔、半開きの唇からだらしなく覗く舌、そして何かに縋るような、懇願するような瞳。

もしかしたら彼女は、千年宝物を携えたバクラを、本気で嫌がっているのかもしれなかった。


ドクリ。

バクラの心臓が大きく胸を打つ。
その直後にやってきたのは、相反する二つの感情。

今すぐ千年宝物を体から離し、彼女を安心させてやれという心の声と――
このまま嫌がる彼女を強引に犯してしまえという嗜虐心めいた声だった。


バクラは英瑠を押さえつけた手に力を込めたまま、しばし葛藤する。

平素の彼であれば、素直に千年宝物を外して彼女の拒否感を打ち消してから、続きに勤しんだだろう。

彼女がバクラの元を去ろうとしたあの夜の、彼女を殺してやろうというドス黒い殺意は、もはや消え去ったのだ。

せっかく心が通じた女、バクラを全身で求めている同胞の女に与えたいのは、今や歓びと甘い快楽だけのはずだ。


だが――

彼女より少ないとはいえ、酔いが回るほど呷った酒。
そして、酔ってタガが外れた彼女からされた、ほぼ一方的と言っていい行為。

それらがバクラの理性をぐらつかせ、急かすように背を押していた。

このまま嫌がる英瑠を、無理矢理抱いてしまいたい。

しかし、それをしたら彼女に嫌われてしまうかもしれない――

千年輪から噴き上がる闇が、バクラに残った最後の良心を塗りつぶしていく。

そして。


「バクラぁ……、千年アイテム外して、やだ……っ」

上気した顔で、甘ったるく拒絶する彼女を見た時――

バクラの理性は、完全に崩壊したのだった。



「やっ、や……! だめっ、バクラ……!」

「本気で嫌ならご自慢の腕力でどうにかしろよ、完全に力出せねえってわけじゃねぇんだろ……?

英瑠、オマエにも味わわせてやるよ……っ!
一方的にヤられるのがどんなモンかなぁ……!!」

「んんん……!」

噛み付くように唇を塞ぎ、歯列を割って舌を絡め取った。

完全に拒絶するわけではないが、戸惑いがありありと感じ取れる様子で、なすがままに蹂躙される英瑠。

彼女が身を捩るたび、拒絶の言葉を口にするたび増幅されていく嗜虐心が、バクラの魂を支配していくのだった。

「あ……、ああっ……! や、そこだめっ……!」

英瑠の下半身に手を伸ばせば、熱を湛えた部分が蜜とバクラの残滓で潤み、男を誘っていた。

「オマエの身体は嫌がってねえぜ……?
やめて欲しいなんて思ってねぇんだろ、本当は」

バクラは虐めるように吐き出し、指で彼女の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜた。
辺りに反響する水音と、バクラを拒絶しつつも快楽に喘ぐ英瑠の嬌声が彼を更に煽っていく。

先程静めたばかりだとは思えないほど、痛いくらいに怒張して熱を湛えるバクラの下半身。

彼は逸る気持ちで英瑠の脚を開かせると、己のモノを押し当てた。


「やだっ、やめて、バクラ……っ!
お願い、や――

っっあああぁん!!!」

悲鳴にも似た彼女の懇願を無視し、猛ったモノを一気に捩じ込む。

さしたる抵抗もなく呑み込まれた感覚に、バクラは邪悪に嗤って英瑠を見下ろした。

「ああっ……! バクラぁっ、ひどいよ、こんなの――
っや、あっ、あっ、だめっ、や……っ!!」

律動を始めれば、英瑠は口からバクラを非難する言葉を紡ぎ、薄暗闇で炎の灯りを照り返す双眼には、涙を溜めていた。

なすすべなく、バクラに嬲られる女。

それがあの一騎当千を誇る英瑠だと思えば、バクラの中で、嗜虐心と凶暴性がとめどなく増幅していくのだった。

「ヒャハハハ!! 英瑠!!
千年アイテム突きつけられながら犯されんのはどんな気分だよ?
悔しいか? 憎いか? オレ様がよ――」

「うぅっ、…………っ、」

「何とか言えよっ、オマエの追い詰められた顔はなかなか貴重だからな……
ゾクゾクするぜ? 英瑠!!
泣き叫んで喘げよっ……!!」

「、やああぁん! やっ、あっ、あっ、強くしちゃや、バクラぁ……っ!
やだっ、やだ……っ、バクラぁ……っ!」

ほとんど泣きじゃくっている英瑠。
律動の衝撃でこぼれ落ちた涙が、目尻から筋を作っていた。


千年宝物。
それが発する邪気に従い、酒の力を借りて昏い欲望を解き放つのは、ひどく心地が良かった。

まるで、禁断の美酒に酔いしれるような酩酊感。

たとえ己の下で悲痛に喘いでいるのが、誰よりも大切な存在だとしても――


熱に浮かされた頭でバクラは、因果なものだ、と思う。

故郷の同胞の命を削って作られた宝物。
その千年宝物の力を使って、新たな同胞の女を蹂躙している。

それはまるで、自身の尾を食らう伝説の蛇のような。

呪われた力を使う相手は、本来憎むべきファラオやその取り巻きであるべきなのに――


バクラの脳裏に、あの惨劇の夜が蘇る。

心を凍らせ、憎しみに身を焦がした幼き子供。

村を抜け出し、数多の暗く冷たい夜を越え。
地べたを這いずり苦痛に呻いた少年の姿が、目の前で泣いて喘ぐ女と重なった。

「…………ッ」

バクラは後頭部を殴られたような衝撃を受けた。

こんなことをしてはいけない――

心の声が、頭の隅で囁く。

たとえ暴走した彼女を牽制するためとはいえ、千年宝物を身にまとって事に及ぶべきではなかったのだ。

千年宝物は人の心の闇を煽るように、黒いモノを増幅させていく。
それがたとえ、本来ならば秘めた男女の間で完結するじゃれ合いのような、他愛ない嗜虐心や性的な嗜好であったとしても。


だがもう遅い。

絶頂を求めて燻り続けるバクラの下半身は、嫌がる英瑠を欲望のままに貪って本気で凌辱し続けている。

「どうした英瑠!
ご自慢の力は使わねえのかよ……!
強引に嬲られんのがそんなに好きか、淫乱女……!!」

口から紡がれる、身勝手で暴力的な言葉。

先日のようなドス黒い殺意が含まれていないだけまだマシだ、許されるはずだ、とバクラは強引に己を納得させる。

肉体的欲求、嗜虐的な性的嗜好と混ざり合った、千年宝物の邪念。

頭の芯が灼けつくような快楽。
狂おしく、抗い難い衝動。


「こんなんでもイイんだろ、お前――
ケモノだもんなぁ、化け物だもんなぁオマエは!!
乱暴にされても痛くねえんだろ?
なら次からいきなりブチ込んでやるよ!
その方が楽だからなぁ……! 英瑠!!」

どれだけ傷つけても、彼女なら受け止めてくれるだろうという期待と甘え。

それは、冷静に考えればひどく醜くて滑稽な感情だっただろう。
だが今のバクラには、己を客観視する余裕はなかった。千年宝物もまた、それを許さなかった。

狂乱に溺れるバクラの下で、英瑠は健気にも未だ腕力で抵抗せず、彼を受け止め続けている。

「バ、クラ……、バクラ……っ」

潤んだ瞳で彼の名を呼びすがる英瑠。

彼女が腕を伸ばし、バクラが応えてやれば、英瑠はバクラの首筋に縋り付いてさらに悲痛な声を漏らした。

彼女の白い胸に落ちた、二つの千年宝物。
それは千年宝物を本能的に拒否する彼女にとって、首元にナイフを突きつけられたも同然だろう。

しかし今や英瑠も、宝物への嫌悪感より自らにせり上がる情動の方が大きくなっているようで、抗えない恍惚に溺れつつあった。

とめどなく蜜を溢れさせ、バクラ自身をぎちぎちと締め付けて快楽に喘ぐ彼女の身体。

腰を打ち付け、最奥を突き上げるように犯せば、彼女は顔を背けて悲鳴にも似た嬌声を上げた。

炎の灯りを照り返して白く浮かび上がる、英瑠の首筋。
ひどく艶かしいその首筋に唇を寄せたバクラは、痕を残すつもりで肌に吸い付き、そのまま耳朶を舐め上げて歯を立てた。

掌の中で乳房を弄び、壊れるほど彼女を抱き潰す。

時折彼女が紡ぐ申し訳程度の拒否の言葉が、まるで香り高いスパイスのようにバクラの脳髄を刺激していった。

英瑠という女を抱くのは心地が良い。
英瑠の本心を無視して英瑠を強引に犯すのは、さらに気持ちが良い。

逃れようのない暗く淀んだ事実が、バクラの目の前に突きつけられる。

もはやそこから目をそむける事は、後戻りすることは、出来はしないのだ――


「ハッ……!
嫌がってる割にはイキそうだってか、さすがはケモノだな……!

イイぜ、そのままイッちまえよ……!
オレ様もお前ん中にブチ撒けてやるからよ……!!」

「や、やだっ、バクラ、あっ、あっ、あ――

っっ、ああああぁぁん……!!!」


涙を浮かべたまま仰け反った身体。
バクラは全てを嗤いながら、英瑠の中に澱んだ欲望を吐き出した。

それはきっと愉悦だった。

たとえ、次の瞬間に、後悔が襲い掛かってきたとしても――







「………………、」

静寂を湛えた薄暗い地下神殿。
横たわる獣の女と、ゆっくりと体を離した盗賊の男の乱れた呼吸だけが、その場を支配する。

バクラは胡座をかいて座り直すと、首にかけた千年輪と千年錐を外して床へ置いた。


「…………ッ、」

まるで熱した刀身を水に沈めた時のように、急激に冷えていく頭と体。

手にした自慢の宝石を、不注意からうっかり谷底に落としてしまったような――
激しい後悔と、空虚感。
追って、自分への怒り。

それらが全て、バクラに襲い掛かる。


バクラは俯いた顔を片手で覆うと、そのまま前髪を掻き上げて静止した。

英瑠という女は柄にもなく、はぁはぁと浅い呼吸を繰り返している。
その息遣いもやがて緩やかになり、そうして、神殿は完全に沈黙に包まれた。



「悪ィ…………」

ぼそり、と吐き出した一言。

何が悪いだ。
今した行為は到底、そんな一語に収まるものではない。

だが土下座をして謝罪に及べるほど、バクラは誠実な人間でもなかった。


そもそも、謝るくらいなら始めからやらなければ良いのだ。

酔いと彼女への反抗心から、千年宝物を突き付けて強引に事に及んだ。
英瑠という同胞の女を蹂躙するのは心地良かった。

それが――事実だ。


「許してくれとは言わねえよ……
オレ様はこういう人間なんだよ、諦めな……!
嫌ならもう、オレ様に隙を見せんじゃねえ」

口から飛び出たのは、謝罪とは真逆の言葉だった。

開き直り。酷く醜い所業。

それは、かつての彼だったら、別段気にすることでも無かっただろう。

誰に憎まれても、嫌われても、目的を達せられればそれでいい。
そもそも恨まれることを恐れていたら盗賊などやっていられない。

善い人間である必要はない。
欲望のままに生きて――何が悪い。

だがそういった、かつてバクラにあった性質は、たった一人の女の前では変質してしまう。

まるで、穂先がポトリと落ちてしまった、槍のように。

本来たった独りで完結するはずだった盗賊は、そうして刃を失った得物を手に、どうしていいかわからないまま荒野に立ち尽くすのだ。


詰られるならまだいい。
怒られるのもまだいい。
泣かれるのもまぁ、許容範囲だ。

しかし。

英瑠という女がバクラという男に向けている熱が、全て冷めてしまったら。

冷めるどころか嫌悪に変わり、同胞ごっこは終わりだと、背を向けて去ってしまったら。

それを想像した時、バクラの胸を支配したのは恐怖と怒りと哀しみと憎しみと――
ありとあらゆる負の感情だった。

(何をビビってやがる……このオレ様が!!)

たった今心臓を締め付けた感情を振り払うように、バクラは心の中で叫んだ。

(今更降りるなんざ許すかよ……!)

考えれば考えるほど、思考が醜く狭い隘路へ押しやられて行く。


酒のせいで愛欲を剥き出しにし、いつも男にやられている行為をなぞって、強引な仕返しに興じた女と――

そんな女が心底嫌う弱点をチラつかせながら、邪悪なモノの力を借りて、嫌がる女を無理矢理組み敷いた男と。

どちらがより罪が重いか。
そんなことは、考えるまでもない。

けれども、盗賊王を称する少年は今まで、誰がどこで騒ぎ立てようとも、己の心情にだけ依って生きてきたのだ。

たとえ世界の全てに、お前が悪いと指差されようとも。

構わないし、意に介さない。
それは絶対で。

誰より大切な同胞を慰撫するためとはいえ、今更、許しを請うて、嫌わないでくれと媚びるなど。

出来るはずが無いではないか――


その時。

ぽん、と白銀の頭に乗せられたもの。

バクラが鋭い目つきで顔を上げれば、たった今踏みにじったはずの女が、バクラの頭を撫でていた。

「やめろ、っ」

反射的に振り払う。

「バクラ……ごめんなさい」

彼女はどんな顔をしているだろうか。

薄々予想はつく。
たった今発せられた一言がやけにしおらしかったからだ。

本来被害者である英瑠は、この事態を引き起こした元凶は自分なのだからバクラのした事は気にしなくていい、そうとでも言いたいのだろう。

何故。

何故そこまで卑屈になれるのか。
バクラには理解できなかった。


英瑠はバクラの横へ来ると、肌が触れ合いそうなほど近くで腰を下ろした。
それから、甘えるようにバクラの体に身をすり寄せてきた。

「……離れろ」

にべもなく吐き捨てる。

彼女に対する気まずさと淀んだ気持ちを考えると、とてもじゃないがこれ以上触れ合う気にはなれなかった。

英瑠は寂しげな様子で体を離すと、ぽつりと口にした。

「……お酒飲みすぎちゃって。
そしたら、バクラにすごく触れたくなって……それで」

「……」

「バクラを押し倒して襲うの……愉しかった。
私の身体に反応してくれたの嬉しかったし、幸せだった……
でもバクラは嫌な気分になったんだよね。
ごめんなさい……」

英瑠はたどたどしい声で己の気持ちを吐露していた。

彼女はいつもそうだ。

茶化した軽口以外、繊細な本心を語らないバクラと違って、英瑠は表現がお粗末でも、自分が感じたままを素直に口にするのだ。

その真っ直ぐさは、バクラにとって、羨ましくすらある。

傷ついても詰られても己を曲げない。
バクラとはまた違った方向性の――
『完結した存在』。

光でも闇でもない。
善でも悪でもない。

他者を受け止めるフリをして絶対に他のモノと混ざらない、英瑠という一個の存在。


彼女は続ける。

「千年アイテムを突きつけられながら『される』の……
たしかに、嫌だった、けど……
でも、そこまで嫌じゃなかったよ」

「…………、」

「そう!
なんだろう、すごーく大好きな好物の上に、嫌いな食べ物が、飾りでちょこんと乗ってるような――

口に入れると嫌な気分にはなるんだけど、好物は好物だし、なんか許せるというか――
……あとに残るのは、大好きな好物の味だけ、みたいな」

英瑠は無い頭を捻りながら、身振り手振りを使って必死に説明していた。

「だから、大丈夫だよ! 気にしないで!

……それに、千年アイテムは嫌だったけど、バクラに無理矢理されるのは……嫌じゃなかった」

「…………っ」

「わ、私……『そういう』趣味なのかなぁ……
なんでだろう……バクラにだいぶひどいこと言われたのに……
ひどいこと言われながら、されるの…………
ちょっと気持ち、よかった」

「ッ……!」

馬鹿が、とバクラは思わず吐き捨てた。

あれほど邪悪な感情を一身に浴びて。

それでも、嫌だったけど気持ちも良かったなどと。

本気で涙すら流していたくせに。
心底馬鹿な女だ、とバクラは思う。


「甘やかしてんじゃねえよ……!
惚れた弱みで男を甘やかす淫乱馬鹿女、
それがてめえだ……!」

「なっ……!」

彼女に当てられてか、バクラもつい思ったままを口にしてしまっていた。


「バクラのせいで淫乱になったんだよ……?
前はこんなの知らなかったし、考えたことすらなかったのに……
でもバクラにされてから、なんか私おかしくなっちゃったみたい……

バクラに触れたくて仕方ないの……
バクラをギュッとして、ナデナデして、甘やかしたくて仕方ないの……
そして、それを全部バクラからもされたいの」

「っ、オマエな……」

英瑠は照れた仕草を見せながら、心情を次々と暴露していった。

そのあまりの奔放さに、バクラはだんだん、真剣に考えこんでいた自分が馬鹿らしくなっていくのだった。

彼女は間違いなくまだ素面には戻っていない。
本人は気付いてないだろうが。


「でも、ごめんね。
飲み比べしようって言ったの、ちょっとだけ意地悪だったかも。
バクラが私のこと貴族とか言ったから、ちょっと面白くなくなっちゃって」

意外な事実。
バクラは記憶をたぐり寄せ、訝しむように眉根を寄せた。

「なんでだよ。
オマエは確かに貴族サマなんだろ?
食うモノに困って地を這いつくばった経験なんざ、無ェだろうが」

「それはそうだけど……!
でも、それはそれでいろいろ辛いこともあったもん……
バクラほどじゃ、ないけど……

すごく泣いたこともあるもん……
誰にも言えなかったことだって……」

そう吐き出した英瑠は、拗ねるように頬を膨らませた。


「……悪かったな」

素直に口にしていた。考える間も無かった。
彼女の顔を見たら、バクラは自然と謝罪の言葉を紡いでいた。

「えっ謝らないで……!!
『それ』は全然バクラ悪くない……!
私がちょっと昔のこと思い出しちゃっただけだから……
バクラは全然、悪くない」

「…………」

「じゃあ、今の謝罪は、千年アイテムを使ったことに対するものだと受け取っておくね、」

英瑠はふふ、と笑って、そう口にした。


バクラの横で全てを許し、微笑む彼女。

ひどく愚かしいその女が、ひどく愛おしかった。

「英瑠」

バクラがその名を口にすれば、彼女は立膝をついてバクラの正面に回りこみ、彼をじっと見据えてきた。


おもむろに腕を開く英瑠。

彼女は全てを包み込むように、揺れる双丘をそっとバクラの顔へ押し当て――

それから、彼の頭を抱えるように、優しく抱き締めたのだった。


「…………っ」

柔らかい女の胸。

化け物混じりだとは思えないほど、安らぎを男に与える、彼女の膨らみ。

バクラは英瑠の胸に顔を埋めたまま彼女の身体を抱き寄せると、その白い背中を撫でた。

英瑠の手が、バクラを愛おしむよう白銀の後頭部を撫で返す。


「バクラ、すき……」

彼の頭上から降り注いだ声は、何よりも甘く、優しい音色だった――



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