「あの…………、あのね。もしかしてだけど……。
バクラと私、むかし子供の頃に会ったりしてないかな?」
唐突に。
問いかけてきた桃香のハート目には願望らしきものも宿っていたが、けどそれなりに本気ではあるようだった。
『君と幼なじみで生まれたい』
――そんな歌詞がどこかにあったような気がするが、そういう類いの願望なら、鼻で嗤ってやるのだが。
けれども。
「バクラ……というか獏良くんて、童実野町に来る前は〇〇〇に住んでたって言ってたよね?
でも、ここに来るまでに何度も転校したなら、もっと前には別のところに住んでたりしない?
たとえば――――」
彼女が口にした地名にはたしかに心当たりがあった。
宿主――獏良了はたしかに、かつてそこに住んでいたことがある。
高校、いや中学に入るよりも前の話ではあるが。
そして。
「私はね、子供の頃そこに住んでたんだよ。
それで、その時、バクラみたいな子に会ったなぁって、ここ最近になって思い出したんだ。
たぶんあれ、バクラだよね?
というか名前もバクラって名乗ってたと思う。
なんで忘れちゃってたんだろう……
私とバクラ、あの時に会ってたよね……?」
どうやら、夢見がちな女のおめでたい
バクラはそっぽを向きため息を一つつくと、ゆっくりと当時のことを思い返した――――
全てはエジプトの地から始まった。
千年リングの中で、3000年という途方もない時間を過ごした頃。
ようやく目の前に現れた、宿主――獏良了という人間の子供。
満を持して生身の肉体を手に入れた
エジプトから日本に帰国し、日本の学校に通う獏良了。
千年アイテム探しが必須とはいえ、
バクラはそんな風に考えていたのだ。
(なぁに、いざとなったら
たとえば、ろくでもない大人に絡まれた時、だとか。
「キミ、ひとり……? 一人なの……?
こんなところで何してるの」
エジプトから帰国したばかりの獏良了は、あまり家に帰りたくない様子だった。
まぁ千年リングを手に入れようと躍起になっていた父親の醜態を見れば察しはつくが……放課後こうして人けのなくなった寂れた公園で一人ブランコに座っているくらいには、子供ながらに色々と思うところがあったらしい。
そんなだから、こういう面倒な輩に目をつけられるわけだが――
「…………っ」
初見でヤバい大人だと察して逃げることを選択したのは褒めてやる。
だが何故、通りから死角になっている場所へ逃げる。
所詮は子供か――バクラはリングの中で舌打ちをこぼした。
そういや学校でそんな
所詮は子供でしかない獏良了の先回りをし、難なく行く手を阻んで逃げ場をなくす、ろくでもない変質者。
獏良了が驚きと怯えの表情を浮かべたことに満足したらしく、そいつは気味の悪い嗜虐的な笑みを浮かべていた。
「チッ……」
面倒なのでさっさと獏良了の精神を
黙っていることも出来たが、苛立ちついでに罵声を浴びせておいた。
「ウゼェんだよ変態!!
永遠に寝てな!!!!」
生身の人間には抗えないリングの力を浴びた人間が、醜い悲鳴をあげてその場に昏倒する。
首の骨をへし折らなかったのは、万一この光景を誰かに目撃されたら面倒なことになるからだ。
だから。
「すご〜い! 大人をやっつけちゃった!」
拍子抜けするような無邪気な声が背後から聞こえた時も、舌打ち一つで振り返っただけに留めておいた。
他に何人いる――それを確かめるまでは、迂闊なことはしない方がいい。
そう考えたから。
「あなたすごいんだね!
私と同じ子供なのに、大人を倒しちゃうなんて!
……あっ、このおじさん、最近この辺に出るっていう変質者じゃない?
男の子にばかり声をかける変なおじさん……」
「…………君は」
意識して獏良了に似せ、至極穏やかに声を発した。
が、タタタと近寄ってきた存在が、
「ねぇねぇ、犯人を倒したよって、警察にツーホーしよっか?
カンシャジョーとかもらえるかも……?」
「余計なことすんじゃねえ!!
目立つと面倒なんだからよ!!」
反射的に叫んでいた。
女のガキ……宿主と同じ歳の頃の、ランドセルを背負った女児。
バクラはまた舌打ちをこぼし、周囲に視線を巡らせた。
人けは無い――どうやらこの女児は一人のようだ。
ならば、こいつも同じように…………
「えへへ…………」
何故か子供が照れたように微笑み、くすくすと声を漏らした。
「フリョーみたいな喋り方」
「あ……?」
「カッコイイね……!」
――――――――、
どうかしているんじゃないか、このガキは。
顔に見覚えは無い。違う学校の子供だろう。
日も落ちかけているというのに呑気なものだ。
「友達の家でいっぱい遊んで、つい遅くなっちゃったの。
急いで帰らなきゃって思ったら、ちょっと迷っちゃって……こんなところに公園あったんだね。
同じ学校じゃないもんね?」
「………………」
よく喋るガキだ。
すぐそばに得体の知れない変態男がブッ倒れているというのに。
「あっ……、そうだ、この人、死んじゃった?
セートーボウエイ? 救急車呼ぶ?」
と思えば、思い出したようにそんなことを言う。
発言に脈絡がないのがいかにも子供らしいが。
「死んじゃいねえよ……もっとも、五体満足かは知らねぇけどな。
ほっといてもそのうち起きんだろ。
……おいお前、迷ったとほざいたな、家はどこなんだよ」
「えっとね、□□□……」
何の警戒心もなく、頑張って覚えたと思われる住所を頭から暗唱する子供。
「隣の学区じゃねえか。おおかた、途中の大通りで曲がる道を間違えたんだろ。
ケッ……間抜けなガキ」
ポケットに手を突っ込み歩き出せば、女児がタタタと軽快な足取りでついて来た。
「わかるの? 送ってくれるんだ?
ありがとう!」
もちろん礼を言われるような意図からではない。
今ここで宿主に精神を返したら、この間抜けな女児から目を離したら――やっぱり警察だの救急車だの目撃者だの、面倒なことになる可能性がまだ残っているからだ。
このガキをここから引き離しこの公園に戻って来れないよう迂回して撒いた上で、口止めなり何なりし、それから
バクラはそんなことを考えながら、警戒心のない愚かな子供を連れ出した。
「あ、そうだ、私はね、犬成桃香っていうの」
女児が自己紹介をする。
犬成桃香――聞き覚えのない名前。
どうせもう会うこともあるまい。
名乗り返す必要などなかったが、犬のように無邪気に懐いてくるガキが帰路でやいのやいの騒ぐと面倒だと思った。
だから。
「バクラだ。オレ様の名はな」
宿主の獏良了ではなく自分自身の名を名乗ったのは、あくまでも宿主の情報を与えたくなかったからだ。
それ以外の意味はなかったはずだ――きっと。
夕暮れの中、並んで歩く二つの人影は、傍から見たらただの子供同士に見えるのだろう。
いくら千年リングの意思が表に出ていようと、黙っていればただの小学生。
横にいる女児だって、今日のことはすぐに忘れるはずだ。
いや、忘れてもらわなければならない。
「おい……さっきのことは誰にも言うなよ。
オレはフツーに、静かに暮らしたいからな。
あんな薄気味悪ィ野郎のことは忘れたいんだ。
……分かるよなぁ?」
バクラは努めて穏やかに、諭すような口調で隣の子供に語りかけた。
あくまでもバクラとして喋り、宿主になりきって演技をしなかったのは何となくその方が伝わりやすいと思ったからだ。
女のガキは素直に、
「うん、わかった」
と答え、バクラがひとまずは安堵したのも束の間。
「……私、大人になってケッコンするなら、バクラくんみたいな人がいいなぁ」
文字通り絶句してしまった。
どういう会話の流れでそんな台詞が出てくるのか。前後の脈絡が全く掴めない。
そもそも、この年頃の女児というものはこんなに幼いものだったろうか?
幼稚園児ならまだしも、大人びた振る舞いに憧れさえ抱くような小学生の女子が、面と向かってあけすけに男子にそんなことを言うものだろうか?
この桃香とかいうガキの羞恥心は一体どうなっている?
「ケッコンてのはね、何があってもその人とずっと一緒に居たいってことだよ。
バクラくんとずっと一緒にいたら楽しそう……!」
「ケッ……」
(――何が『ケッコン』だ。ガキのくせによ!)
苛立ちと嘲りに似た感情が湧き上がる。
それは多分、ほとんど反射的に。
「ハッ……!!
ずっと一緒に居るってことは、貴様の全部をオレ様に差し出すって意味だぜ?
貴様をいいように利用し、弄び、嬲って……命も、魂も全部、全部オレ様が奪って喰らい尽くすんだよ!!
それでもいいってかぁ?
ヒャハハハハハハ!!!!!!」
夢見がちなガキを脅す為にまくし立てたと言ってもいい。
利用し、弄び、命も魂も全て奪って喰らう――人間から見たらきっとそれは、化け物のような存在だろう。
呪われた
「なにそれ素敵……!!
命も魂もぜんぶバクラくんに食べられちゃったら、ずっとバクラくんと一緒に居られるってことだよね?
私のぜんぶ、バクラくんのモノになっちゃう……?
……そんなことを考えるなんて、バクラくんてすごくロマンチックだね!」
――――――――――、
返す言葉が見つからなかった。
「…………ガキのくせに……イカレやがって」
ようやく口にした台詞は、大して捻りもない一言で。
――――――そして。
「あっ……!! ここ、見覚えある!
向こうに渡って、あそこ曲がったら家に帰れる!」
ピタリと足を止めた彼女が当初の目的に辿り着いたことによって、束の間の茶番は終わりを迎えた。
「ありがとうバクラくん! 今日のこと誰にも言わないね!」
正面に立ち、向き直ってそんなことを言ってきた桃香が、イタズラっぽくにんまりと微笑んだあと、ぺこりと軽く頭を下げた。
どこからどう見ても、普通の子供にしか見えないその女。
「忘れちまいな……全部よ」
思わずそう返す。
今日あったことも、この出会いも全て忘れて、二度と会うことがなければ、それで終わりなのだから――――
「またね!」
彼女が手を振って足早に去って行く。
それが、彼女と会った最初で最後の記憶――――――――――――――とは、ならなかったのだから、これはどんな因果か運命か!
「思ったんだけど、私の初恋、あの時のバクラ……バクラくん、かも」
と、ハート目を細めてうっとりと微笑むかつての女児は、今やどっからどう見ても覚醒しきった女だ。語尾にハートマークをつけて乱れる、人間のメスの!
勘弁してくれ。
これ以上勝手に属性盛って勝手に盛り上がってんじゃねえ!
そう言い返すのも面倒なので、ぐいーっと思い切り桃香の腹の肉をつまんで捻ってやったバクラなのであった。
「あっやだやだやだ痛い!!
お腹の肉はヤダ!! つねるならもっと違うトコロを――――――アッ、耳もやだやだ痛い痛いっキャイン!!!!
首あっ…………、くび……苦し、ンフ……くび絞めるのは、イイ………………ッ、ぐぇ」
「ケッ……どうやらお前はガキの頃からイカれてたようだな」
「うひひ、違うもーん、バクラに出会ったから『目覚めちゃった』んだもん!
うひぃ……
私の全部はもうバクラのモノだから、これでずっと一緒に居られるってことでいいんだね……?
……ンンっ、
モガモガモガッ、モガモガッ(口塞がれるのは、興奮する)……!」
「忘れちまえって言っただろ……!」
「覚えてる……すき……………………」
これが双方の夢オチで、こんな思い出など、実際はどこにもなかった可能性だってある。
それならそれでいい。むしろその方がいい。
そんなことを考えながらバクラは、ピンクのオーラを放ちながら悶え喘ぐ命を、どこか満足そうに見つめたのだった――
END