※このお話のストーリー及び城之内くん×彼女さんは、Twitterのフォロワーさんからお借りした夢設定です。台詞はありません
「……ふふ、ふふふ」
いつの間にか旧校舎が逢引の場所として定着してしまったのは、ただの成り行きだった。
もう何度も見た顔が、ヘラヘラと笑いながら浮かれた足取りで離れずにくっついてくる。
「へへ……、嬉しい」
相も変わらない、まるでバターが溶けだしたような甘ったるい笑みの中には、密やかな媚態が滲んでいた。
いつもの光景、いつもの逢瀬。
フ、と僅かに口元を釣り上げたバクラは、桃香を連れ、旧校舎の廊下を奥へと進んでいくのだった。
きっかけも経緯も、もはやどうでもいい。
とにかく、千年リングに宿る『バクラ』という邪悪な意思は、ある日、とある少女と密やかな繋がりを持った。
少女のバクラに対する一方的な片想い。
それをどう
つまりは、そういうことだ。
昼休みを過ぎた、午後の授業中。
お行儀よく机に座って黒板を見つめている宿主、獏良了。
千年リングの中で特に出番もないバクラは、半ば休眠状態になっていた。
……薄ぼんやりとたゆたう意識の中。
ふと彼の表層に浮かび上がってきたのは、とある
皮肉混じりで盗賊王を称したその男は、時に生物的な欲求に身を任せ、女と睦み合っていた――ような気がする。
全てが曖昧だった。3000年という歳月。
どこかで情を交わし合っただけの女を忘れることなど容易いほどの、途方もない年月。
だが、そんな朧げな記憶の中でも、未だ色褪せぬ熱があった。
――熱。生身の体で誰かと触れ合う生々しい悦楽と、灼熱の陶酔感。
現代で宿主を得たバクラは、この街に来て、偶然
それに応える形で、
桃香と繰り返し肌を重ね、そこに生まれた熱はたしかに、いつかの熱とほとんど近似値だった。
肉体と精神の繋がりがもたらす、情欲という渇望。それは飢餓感に似ていて、充たされた時の感覚は心地よい酩酊感にも似ていた。
――重なる。遠い遠い昔の朧げな記憶の中にある熱と、現代で宿主を得てから感じた熱が。
それらは圧倒的なリアリティを持って、バクラという意思に刻まれていた。
半分眠りながらリングの中で見た、まるで夢のような記憶。
いいや、記憶と言うにはあまりに曖昧な残滓だ。
けれどもその残滓は、授業が終わり、リングの中で意識を完全に覚醒させてからも、バクラの感覚にくっきりと跡を残したままどこか鮮明だった。
夢で見た女の顔すら、もはや思い出せないのに。
ただはっきりと覚えている、肉体的な快楽。
同時に、自尊心めいたものが丸ごと充たされるような、精神的な愉悦があった。
3000年前の記憶を由来とする甘ったるい夢が、自然と、現世に存在する桃香と重なった。
「…………、」
休眠状態から目覚めた
そして、どういうわけか彼の視線にすぐに気付いた彼女は、にっこりと微笑んで応えてくる。
教室の中でただ一人、きちんと
この現世でただ一人、今のバクラにとっての
言い知れぬ欲望が、宿主の肉体を奪ったことにより顕在化していく。
――下半身が熱を帯び、欲望そのものがちりちりと燻って背筋を這い上がっていく気配がした。
バクラは席を立ち、彼女の腕を取ってそのまま攫ってしまおうかと考えた。
視線は未だ絡み合ったままだ。
だが放課後に委員会の仕事があった桃香が、一瞬あっという顔をして、少し迷う素振りを見せる。
『あ と で』
バクラにだけ伝わるよう、声を発さずに彼女の唇が動いた。
最後に、ぺろりと小さく舌なめずりをする。
欲情を隠さないいつもの彼女だった。
小さく頷いて了承してやる。
それからしばし待って、二人は合流し、人目を忍んで渡り廊下を通り、旧校舎へと滑り込んだのだった。
桃香がバクラの様子を伺うように、やんわりと身体を擦り寄せてくる。
これから行為に及ぼうとする女を邪険にする必要はどこにもない。
バクラは素直に彼女の腰を抱いてやり、大袈裟なほどピッタリと自分の体に密着させてやった。
ふわりと香る女の匂い。
何もかもをひん剥いて貪ってやりたい衝動をこらえ、目的地へと急ぐ。
かつて保健室として使われていた場所。
旧校舎の中で、ここをいつもの場所としている理由は簡単だった。
理由一、だいぶ古びてはいるがベッドだったモノが今でも置かれている――それもカーテンという、外からの仕切り付きで。
そして、理由その二。その部屋には鍵が掛かっていない――
ガタ、と彼女が保健室の扉に手を掛けた。
いかにも古そうな木製の扉が、ガラガラと音を立ててスライドするはずだった
――いつもならば。
「開かない……、なんでだろう」
ガタガタ、ガタガタと手に力を込めて扉を開けようとする桃香は真剣だった。
誰もいない間に、室内の小物でも崩れて開閉を邪魔しているのだろうか。
彼女をやんわりと押しのけ、無言で代わってやる。
扉に掛けた手に力を込めた瞬間、予想などではなく、確実に内側から何かが遮っていることをバクラは感じ取った。
歯噛みし、さらに力を込める。
ギシギシと木扉が悲鳴を上げ、それでも構わずに力を込めた。
バン!! という大きな音がして扉が勢いよく開く。
「――――ッ、」
隣の桃香が、扉を乱暴に開けたことを控えめに諌めてきたがそれどころではなかった。
扉が開かなかった時から薄々予想はしていたが、まさかその通りとは。
「チッ……、奥に誰か居やがる」
え……? と桃香が疑問の声を上げた。
「先客が居るってこった」と答えてやってから、考えてみれば当たり前の話だったなと思う。
ここは学校。それも、血気盛んで精力が有り余っているハイティーンばかりが集まっている学び舎だ。
金もほとんどない、実家で親と同居している年頃の男女同士がペアになって、性急に良からぬ行為に及ぶ“いい感じ”の場所を血眼になって探していてもおかしくない。
そしてそれは、俯瞰的に見れば今の自分たちにも当てはまってしまうところがまた腹立たしいのだが――……
「先客……? 私たちの他にも、誰か居るってこと?」
桃香が不思議そうに尋ねてくる。
旧保健室には、乱雑に押し込められた古いロッカーや机の奥に、カーテンで遮られたベッドが置かれたままになっている。
こんなカビ臭い場所に足を踏み入れる理由を考えれば、恐らく扉を内側から塞いでいた何者かはそちらの方にいるのだろう。
息を潜めているらしい人影には動きはない。
こちらの出方を伺っているようだった。
「あれを見てみな」
彼女が律儀にもじっとバクラの返答を待っていたので、扉のそばに転がっていた古いホウキを顎で示してやった。
「あれで扉を閉じてたんだろうよ」
行き場のない年頃の男女が旧校舎の保健室で放課後に何だかんだと……一応誰かが来てしまった時に備えて、簡素な妨害まで用意して。
心底くだらないと思った。
「だからなかなか開かなかったんだ……ここ鍵壊れてるから、いつもはすぐに開けられるのに」
少女が余計な台詞を口走る。
この桃香というやつは、隣に
つい今しがたまで思考がピンク一色になっていたのだから、いつもより輪をかけて馬鹿になっているのはある意味仕方ないことだと言えるのだが。
黙ってろ、と気持ち強めに睨みつけて、慌てて口を噤んだ桃香を尻目に、もう一歩前へ踏み出した。
「バクラ……?」
「下がってろ」
問題は室内の人間だ。
はじめはコトの発覚を恐れてただ息を潜めているだけだと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
視界を遮るカーテンの向こうからは、じっとりとこちらの一挙手一投足を観察するような粘着質な気配と、同時に敵意が感じられた。
僅かな既視感。いいや、気のせいだろうか?
まるで、獣が外敵の動きを注意深く伺っているような。
これ以上踏み込んだら、噛み殺すというような――こんな気配を、たしか何処かで……
ともかくだ。
この殺伐とした気配を、現況と照らし合わせて考えるならば、恐らく。
カーテンの中に居るのは
(くだらねえ)
バクラは小さく息を吐いた。
ここでカーテンの向こうで怯える獣の正体を暴き、堂々と問答したところで何の意味がある。
罵倒し合うことも、殴り合うことも何の意味もない。
『そこはオレたちの場所だ、どけ』と千年リングの力を使って邪魔なカップルを昏倒させ、これで落ち着いて事に及べると、
馬鹿らしい以外の言葉が出なかった。
「行くぜ」
言い放つ。
「えっ……どこに?」
「ここ以外の場所だ。どうやら向こうもお楽しみの最中だったみてえだしよ……お互い邪魔するような真似は野暮ってモンだろ?」
わざと大袈裟に皮肉っぽく喋ってやる。
そんな態度をある意味平常だと捉えているらしい桃香が、「あ……うん、そうだね!」とあっさりと了承した。
「オラ、さっさと行くぜ……!」
急かすように軽く尻を叩いてやれば、彼女は嬉しそうに腰をくねらせて部屋の外へと出て行った。
『ここ以外の場所』という言葉に気を良くしたのだろうか。
この後、今日は解散だと告げてやったら彼女はどんな顔をするか――考えただけで笑いが込み上げて来た。
保健室を後にする前に、もう一度カーテンの方に目を遣る。
その時、ベッドを遮っているカーテンの隙間から、一瞬だけ人間の目元が見えたような気がした。
チラリと覗いた金色の髪と、こちらを真っ直ぐに睨めつける鋭い眼光。
その眼差しと気配には、たしかに覚えがあった。
「…………、」
バン、と扉を閉め、廊下に出る。
訪れた僅かな静寂。背後からはなんの動きもない。
視線を寄越してくる自分の女には声をかけず、バクラはクククと嗤った。
(――てめえかよ)
城之内……克也。
宿主のクラスメイトであり、遊戯のオトモダチ。
そういえば、と記憶が線で繋がる。
城之内の女も同じクラスの女子生徒だ。
放課後に二人で連れ立って教室を出ていく姿を、バクラは風景の一部として確かに見ていたはずだ。
彼らはそのまま帰路についたのではなく、旧校舎へと向かった。
そして遅れてやってきたバクラたちと“鉢合わせ”してしまった。
そういうことだった。
「バクラ……」
桃香が小さく声を掛けてくる。
彼女は別の空き教室がある旧校舎の奥の方に進もうとしていた。
保健室が駄目なら、別の
「…………。帰るぜ」
少し考えた末に、そう答える。
え、と言い淀む桃香に背を向けて、バクラは出口へと向かって歩き出した。
城之内克也。
たしか、今でこそ遊戯たちと友情ごっこをしているが、元は不良だとかいう……バクラはどうでもいい記憶を掘り起こした。
今、
城之内克也の女。
そういえば、城之内の隣にいた彼女は時折、奴のことを何とも形容しがたい複雑な目で見ていたような気がする。
どこか心配そうな、男の行動を危惧しているような、そんな――
それが単なる恋慕や脳天気な情愛でないことは、後ろを歩いている犬のような単純な女と比較すれば明らかだった。
――城之内克也は気付いているのだろうか。
自分が真っ直ぐに前を見据えている時に、隣の女がどんな顔をしているのかを。
(ケッ……どうでもいい)
バクラは歩を止め、振り返らずに、背後のしょぼくれた気配に話しかけた。
「……オマエの家でいいか?
コンビニに寄ってくぜ」
しばしの沈黙があって、トトトという足音と、背中に衝撃があった。
「おい!」
桃香が無言でバクラの背に勢いよく抱きつき、すりすりとしきりに頭を擦り付けてくる。
「……甘えてんじゃねえよ、勢いよく飛びついてくん――」
バクラの脇の下から、するりと懐に潜りこんできた桃香。
顔を上げたその目は、少しだけ潤んでいた。
にっこりと微笑む口元。
ぺろりと小さく唇を舐めるのは、満足した時の彼女の癖だった。
「……外に出たら離れろよ」
腰を抱いてやり、宥めるように吐き出した。
うん、と応えた桃香が嬉しそうにさらに身を擦り寄せてくる。
その体温は不快ではなかった。
再び熱がバクラの奥底から湧き上がってくる。
ただの暇つぶしにしては文句なしに上出来だ。
そんな風にすら思えてしまう。
「好き……」
ふと目が合えば、桃香が意味のない告白を囁いてきた。
どこまでも幸せそうに笑う女。
やはり犬のようだとバクラは思う。
桃香はいつだって、こうやって微笑み続けるのだろう。
――きっと、何があったとしても。
END