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 ヒメは悠然と扇で己をあおぎ、コウはもじもじしながらまだ食事に手を出せずにいた。階下からにぎやかな楽の音や囃し立てる声がふいに漏れ聞こえ、二人のいる部屋まで届いた。いまや、敬われかしずかれることの多そうなヒメだが、あんなふうに賛辞だけでなく淫猥な言葉を投げつけられたこともあるのだろうか、とコウは思いを馳せた。

――大変な仕事ですね。

 コウがふと呟くと、ヒメはまた穏やかな、そしてどこか悲しげな表情を見せて言った。

――生まれついてのことだから、慣れっこよ。

 まるで慈悲深い仏のような声音をしていたが、あきらめたような笑みは隠せていなかった。
 城の雰囲気に飲まれて失念していたが、コウは自分が連れてこられたいきさつをようやく思い出した。
 コウは袂から香の入った箱を取り出し、両手でうやうやしくヒメの前へ押し出した。ヒメはしばらくきょとんとしていたが、やがて目を輝かせた。

――それが、リャンの言っていた香ね。

 無邪気なヒメの声に、もし期待に添わない出来だったらどうしようと不安がりつつ、コウはうなずいた。
 慣れた手つきで自ら香を焚くと、朝早く起きて窓を開け放つときのように、心地良さげにヒメは深呼吸した。

――今まで嗅いだ、どの香とも違う香り。不思議な香りだけど、とてもかぐわしい。これは何で出来ているの?
――いつもは貝殻で作っているんですけど、これは流木で。
――流木だったの? どうしてこんな香りになるのかしら……。海の底から持ってきたみたい。龍宮城はこんな香りに満ちているのかしら。

 ヒメの想像は、コウにも深く理解できるものだった。コウは初めてヒメを近しく感じた。しかし地上の城の天辺にいる人魚姫が、水の底の龍宮城を思うなんて、奇妙で面白いとコウは思わず笑い出しそうになった。
 長い着物の裾を波音のような音を立てて引きずり、意外な素早さでヒメはコウに顔を寄せた。コウはヒメの突飛な行動に驚き身を引こうとしたが、ヒメに腕を取られ、反対に、前のめりに倒れこんでしまった。
 海の底の香りが部屋じゅうに漂い、人を惑わせる霧のように二人の体にまとわりついた。コウの下でヒメが、先ほどとは違う妖しい笑みを浮かべる。深い海を潜るように身をかがめ、コウはヒメの唇に自分のそれを重ねた。


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