朝、いつものバスに乗ると、肉のにおいがした。
前から八列目の二人掛けの座席にどっかと背中をあずけると、ぼふんと反発したクッションから肉の焼けるにおいがした。
私は少し不快に思った。その肉のにおいは、夕方に焼肉店のそばを通るときに腹の虫を起こすようないいにおいではなく、何というか、腐りかけの羊肉が生焼けになっている状態のようなにおいだったからだ(私はそんなにおい、嗅いだことはないのだが)。
私はなるべく息をしないようにして、じっとしていた。そのうちにバスが走り出して、肉のにおいは少し遠ざかったかのように思われた。息を止めるのに必死だった私はやっと深呼吸をしたが、再び肉のにおいがする。もしかしたらこのにおいは座席にしみついたものではなく、私の周りの人が放っているのではないかときょろきょろ見回したが、私の近くには後ろの座席に女の人がひとり、座っているきりだ。この女性が腐肉の悪臭を放っているとも思われない。いやしかし「もしも」ということがあるぞ……人は見かけによらないとよく言うじゃないか。私はまた息を殺してにおいの元を探ってみた。するとやはり女性の方からではなく、座席のクッションからしみ出てきているように思える。
私の他にも乗客がいるのに、彼らはこのにおいに気付かないのだろうか。こんなに強くにおっているのに、私一人だけまごまごしていてぶざまだ。それとも皆気付いているのだろうか?気付かないふりをしているのか。もしかしたら私がにおいの発生源だと思われているかもしれない。私は急いでこのにおいを掻き消したくなった。勢いよく窓を開ける。しかし窓がかたくて開かない。長いこと閉められていたせいでゴムのパッキンがくっついてしまっている。座ったまま窓のふちに手をかけて声には出さずにううーんと唸っていても開く筈もない。いっそ立ち上がって思い切り力を入れてみようかとも思ったが、余計に目立つのでやめた。においのことなど気にせずに、おとなしくしているのが一番だ。
しかしにおいはますます盛況になってくる。焼肉店の様相を呈している。誰も気付かない。なぜならこのにおいは私の周りだけに立ちこめているからだ。においの層が塔(タワー)の形を成して私を取り囲む。スーツににおいが染み付いてしまう!もうやめてくれ!
坂にさしかかって、バスのエンジンが唸りをあげる。ジュージューとおいしそうな音がし始める。


様々な装置や管、機械が暗い中ひしめいている。二種類のあぶらのにおいがする。ガソリンのにおいと、肉のにおい。私はそこに立っている。ここにバスの内部(なか)か?バスを動かすための機械装置のある場所。本来なら立つことのできないその場所に、私は立っている。
視線の先に、箱のような装置がある。どの機械も熱を放っていて、息苦しいほどに暑い。私は目に流れ込んでくる汗を拭った。その箱のようなものをはさんで、着ぐるみのような兎と狸が向かい合って座っている。着ぐるみのような、というのは、両者とも確かに兎や狸の姿をしているのに、子供が描くような二足歩行のマスコットのようだったからだ。二次元のアニメーションから抜け出てきたようだ。毛もなんだかつくりもののようにごわごわしている。その二匹は箱装置の上で肉片を焼いていた。柔らかい羊肉を箸で引っくり返して焼いている。それを食べる。どんどん二匹の、そのつくりもののような大きな口に肉が吸い込まれていく。私は思わず生唾を飲み込んだ。そうか、バスの中で嗅いだ肉のにおいは、こいつらのせいだったのか。しかしなぜだか腹は立たない。肉のにおいはバスの中で嗅いだものと違って、おいしそうなにおいになっている。はりぼての兎と狸が肉汁したたる羊肉を口に放り込んでいく。私はくんくん鼻を動かしてしまう。肉が焼ける音はますます派手になっていく。おさえきれず腹が鳴ってしまう。偽物の兎と狸が私の方を振り返る。ガラス玉の眼。丸い四つの光る眼が、私を睨むでもなく驚くでもなく、見つめる。熱気はますます立ちこめる。私は汗だくになって言う。
「俺も仲間に入れてくれないか?」







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