虎杖と十六夜から報告書を受けた高専は、先の悠仁の宿儺解放を、危機的状況及び生命存続の為の必要処置として不問とし、唯一、十六夜の一時的な隔離のみを言い渡した。

「暇、だなぁ」

 あの一件のあと、目が覚めた十六夜はベッドが一つ置かれるばかりの部屋にいた。
 宿儺に両断されたはずの腕と脚は当然のように繋がっており、背中の爪痕も、首の噛み傷もなくなっていた。まるであの日あった全てが悪い夢だったのだと思い込まされるような日々に、十六夜は心底、心底、うんざりしていたのだ。

「もう部屋から出ても良いでしょうか」
「駄目です」

 見張りで時折顔を出してくれる一級術師、七海もまた融通のきく男ではない。はぁ、と溜息をこぼして外を見れば、校庭で野薔薇がパンダに投げ飛ばされていた。

「退屈で、退屈で、このままでは逃げ出してしまいそうです」
「そんなことをすれば直ぐに捕まえて今度は拘束することになりますよ」
「分かってます……でも、わたくし、そもそもどうして囚われているのでしょう」

 七海はベッドの傍のパイプ椅子に腰掛けたまま、文庫本から目を離さずに言った。

「それは貴女が宿儺にとって一体何なのか――起爆剤なのか、緩衝材なのか、劇薬なのか、良薬なのか、まだ何もかもが分からず、頭を抱えている状況だからです」
「そ!つまり僕たちが無能なせい」

 ヤッホー、とノックもなしに入ってきたのは五条である。傍に大きな黒い布に包まれた何かを持っている。

「いやぁ〜〜ごめんね小夜ちゃん。あの日、君を同行させるって学長に提案したのは僕なんだよ」
「きっとそうだと思いました」
「だってそうじゃない?宿儺があんだけ執着してみせる子がいるんなら、ちょっと泳がせてアイツの出方でも見てみようって、誰だってそう思うでしょう?ね??」
「思いません」 七海が両断する。
 しかしそうだった、この人はいつだって己の好奇心に忠実だし、どちらかといえば橋は叩いて渡らないタイプだ。絶対に。もちろんそれは、彼が最強の矜持を自分の中に、そして呪術界にも、圧倒的に確立させているからできることなのである。

「ま、あの場に特級呪霊が出現したのは、マジのマジで想定外だったけど!」
「そうです。今貴女がカゴの鳥なのは全てこの五条さんのせいです。恨むならこの人をどうぞ」
「ちょっとちょっと七海〜〜!少しは先輩を庇おうって気概を見せろよ」
「すり寄るな。訴えますよ」

 ふざけ合う二人を見て少しだけ気持ちがやわらぐ。
 ふ、と微笑むと、五条もまた少し安心した顔をして、「あーそうだった!これこれ」と傍に置いておいたものを十六夜のベッドの上にひょいと下ろした。その重さで、それが何かやっと気付く。

「琴(きん)……」
「お。さすがー!布取んなくても流石に分かるか」

 布を剥ぐと、現れたのは上等な琴だった。

「ずっと缶詰じゃ退屈だろ。平安時代のお姫様なら、こういうのも好きだったんじゃないかって」
「………これ、触っても?」
「もちろん!さー使って使って。君のためにわざわざ実家帰って取ってきたんだから!」

 言われるまま、十六夜は弦に触れた。
(ああ……懐かしい)
 一本、一本、弦を弾く。気付けばそれは滑らかに、美しい音の軌跡を描いていた。十六夜は無中になって琴を鳴らした。奏で続けた。十六夜の目に、もはや七海も五条も映ってはいなかった。

「………上手い、どころではないんでしょうね。これは」
「ああ……。僕が過去聴いた中でもダントツだ。驚いたな」

 五条はしばし黙り、思い返すように言った。

「五条家の記録――もちろん、呪いに関する記録だ。そこに、平安時代に死んだ一人の姫君の記述があった。帝の寵愛を賜ったものの、時を置かず呪いに取り殺された不運な姫御前」
「それが、彼女だと?」
「さあ。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。そこには姫君が宿儺に殺されたとは書かれてなかった。遺体があまりに綺麗すぎたからだ」
「……」

 七海は黙って五条の言葉の続きを聞いた。

「彼女は、和歌を詠ませれば歌人を凌ぎ、琴を弾かせれば右に出るものはおらず、舞を舞わせれば名うての芸者たちも逃げ出したとか、とにかく、あらゆる才に恵まれた尊い御人だったそうだけど、一つだけ悪癖があった」
「悪癖?」
「没入する」
「………あんなふうに?」
「そ。あんなふうに」

 二人の前には、白いベッドの上で飽くこともなく、まるで何かが乗り移ったかのように延々と琴を奏でる少女の姿があった。

「あは。僕、もしかしてまた余計なことしちゃった?」
「………はぁ」




 十六夜がふっと意識を取り戻したのは、すっかり夜も更けきってからのことであった。部屋には月の光が満ちて、昼間のように明るい。
「まあ」
 夜が来ていようが、十六夜は特段、驚くことはなかった。
 生まれ変わった後はさすがに周囲の人間が自分を揺さぶり起こして正気を取り戻させていたが、あの頃は、気がつけば翌日の夕刻であった、などというのもザラだったのだ。
 こういう時は腹の空き加減で刻を測る。今は、五条たちと会ってから四・五時間後というところだろうか。傍らのパイプ椅子の上には、ラップにかけられたチャーハンと付け合わせが置かれていた。

「相変わらず、好く奏でる」

 どこからか聞こえてきた声に、最早「誰」などと問うことはなかった。
 わずかに開いた窓から夏の夜風が吹き込んでくる。彼の人は、どうやら少し上にいるらしい。そういえば上階はもう屋上だった。

「いつから、そちらに」

 問えば、忘れた、と少し間を開けて返ってくる。

「ずっと聴いていらしたのですか」

 返事はない。
 十六夜はまた問いを重ねた。

「退屈でしたでしょう」

 今度は返事が返ってきた。たっぷり間を置いて、まあな、と。
 あけすけなのが彼らしい。
 お顔を見たいと思ったがここまで来て部屋に入らないのだから、それが彼の答えなのだろうとあえて強請るのはやめた。

「何を笑ってる」

 そうするうちに唐突と問われ、十六夜はふるりと首を振った。

「いいえ、なんにも」
「俺に悟られぬとでも」
「……ふふ、お許しくださいまし」
 十六夜はあっさり白状した。

「……言え」
「……すこし、思い出しまして」

 十六夜の声にはやわらかい微笑みがのっている。

「あやかし様は、いつでも御簾を隔てるのがお嫌いだったなぁ、と」

 そうだ。あの三夜。宿儺はいつも勝手に御簾を押し開け、時には蹴り上げ、彼女の褥を訪れた。
 そうして気ままに十六夜に語らせたり、琴を弾かせたり、自由に時を過ごしたものだ。
 それが今はどうだろうか。
 姿の見えない相手とのやりとりは、差し込んでくる月の光も相まって、まるで御簾の隙間で和歌を交わし合う貴族たちのようではないかと、似合わないことを思ってつい笑ってしまったのだ。
 お許しくださいまし、と、十六夜は今一度頭を垂れた。


「お前は変わらんのだな」

 宿儺の声は、彼らしくなくまるで呟くようであった。

「欲深で強かで、すぐ死ぬくせ、妙なところで気概を見せる。まったく俺に怯えんのも不愉快な話だ」
「左様で……」
「……だがまァ、お前が俺に囚われておったというのは、好い気分ではあるがな」

 十六夜が驚いて目を丸めると、窓の外から「相違なかろう」と笑みを孕んだ、それでいて機嫌の良さそうな声が落ちてきた。

「千年前、お前は俺に愛を乞うたな、十六夜よ」
「……はい」
「俺はそれを腹の底から笑ってやったぞ。呪いだ。お前なぞ愛さんと。」
「覚えております」
「なのにまだ望むのか」

 十六夜の返答は、少しの淀みも、曇りもなかった。

「もちろん望みまする」
「時を経て、いっそう欲しゅうなりました」
「国は諦められましたのに、不思議なことでございます……」
「宿儺様」
「あやかし様、」

 十六夜は訪ねた。

「どうしてあの晩、わたくしを殺されたのですか」


 
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