■ ■ ■


コンシェルジュの仕事は、主に宿泊客のサポートだ。ビジネスや旅行、観光がスムーズに運ぶよう、各種交通機関の手配をしたりその日の観光ルートを丸々組んだりすることもある。

「あ、」

チェックアウト後のお客様の対応がひと段落した11時ごろのことだ。
チン、とエレベータホールにエレベーターが到着した音がして姿勢を正すと、そこから現れたのは昨日同様白いシャツに青ズボン姿の竜崎様だった。
この高級ホテルに休日の部屋着姿のような出で立ちでいるのはやっぱり少し浮いているが、スイートルームに長期滞在という最強のカードが全てのスタッフの口を黙らせている。容赦ない怪訝な目を向けるのは他の宿泊客だけである。

彼はフラフラと効果音が付きそうな足取りでこちらに向かってきた。
(挨拶は何語ですれば…)
と私の頭の中には一瞬疑問が浮上したが、同時に昨日まんまと乙女心を弄ばれたことまで蘇ってきたので結局挨拶は日本語で行うことにした。にこやかに。


「おはようございます、竜崎様」
「おはようございます、苗字さん」

当然のように流暢な日本語が返ってきた。低いのに聞き取りやすい声だ。
名前を教えただろうか?と疑問に思ったのは一瞬だ。
教えなくても名前なら胸元の名札に書いてある。まあ、お客様に呼ばれるのは少し稀だが。

「どちらかにおでかけですか?」
「いえ、聞きたいことが」

そこまで言った彼は、その真横から現れた別の宿泊客に突き飛ばされてフレームアウトした。えっ!?

「竜崎さ、」
「おい君、頼んでおいたタクシーはまだか!?」
「え?」
「ついさっき頼んでおいたはずだ!ホテル前に呼んでおけと!一体いつまで待たせるんだ!」

私は目をしばたかせながら怒鳴り散らすお客様を見た。
恰幅のいい50代くらいの男性だ。
突き飛ばされた竜崎様に目をやると、彼は無言で手を男性に向けた。お先にどうぞということだろう。この男性が順番を譲る気がないのは火を見るよりも明らかだったので、私は申し訳なく思いながら会釈して男性に向き直った。

「さっき頼んだタクシーはいつくるんだと言ってるんだ!!」

私は今朝からずっとここにいたが、まず間違いなく彼と話したのは今日が初めてだ。言っては何だがそのツルツル頭は見落としようがない。

「お客様……恐れ入りますが、そのタクシーのご依頼はこちらのカウンターでなさいましたでしょうか?」
「ああそうだ!1時間ほど前に、間違いなく、君に依頼した!」

まったく覚えがない。

「まさか呼んでないのか!?確かに呼んでおけと頼んでいたのに、これじゃあ大事な商談に間に合わないじゃないか!!」
「大変申し訳ございません…今すぐに手配いたしますので」
「今からじゃ遅い!!会議は2時間後だぞ!まったく、せっかく大金をはたいて一流ホテルに泊まったというのに、サービスがこんなに低次元とは」
「誠に申し訳ございません…」

「すいません」

ひたすらに頭を下げる私の耳に、ぽとんと低い声が届いた。
そちらに顔を向けると、どうやらそれは竜崎様の声だったらしい。

「あなた、嘘をついていますね」

ぎょっとしたのは私も男性も一緒だった。

「何だと……!?私が、嘘をついている!?」
男性はみるみる真っ赤になっていく。

「何を根拠にそんなことッ」
「それ」

彼の白い長い指が男性の後ろポケットを指さした。

「グリーン車の切符ですね」
男性は一瞬間を置き、はっとしたようにそれをポケットの奥へ押し込んだ。

「見せてはいただけないのですか」
「お、お前のような、不審な男に誰が見せるか!!」
「そうですか……」

竜崎様は親指の爪を噛んでじっと男性を見つめた。

「11時53分東京発、12時24分横浜着。JR横須賀線」

男性は顔面にぽかんと驚愕の色を浮かべた。
それから慌てたように自分の後ろポケットから切符を取り出し、さらなる驚愕の表情を竜崎様に向けた。
私は状況が把握できないまま、二人のやりとりを見つめる。

「な、何で……」
「グリーン車が連結している首都圏の路線はそう多くありません。行き先が分かったのはあなたの襟元の社員証のおかげです」

彼の言葉に促されるように男性の襟元を見ると、ロゴが入ったピンクゴールドの社員証がついていた。

「大手自動車メーカーのロゴですね。本社は東京ですが、他にも関東、東北、関西にいくつか支社があると聞いています。そうなると、あなたの言葉が正確なら1時間以内に行けるのは横浜の支社のみ」
「う、」
「今からタクシーで行っても十分間に合うところをそうせず、わざわざホテルにクレームを入れているところをみると、横浜までのタクシー代、あわよくば宿泊料金の返金でも狙っているのでしょうか」
「いや、それはっ……」
「とにかく手元に電車の券があるのは会社側から配布されていた証拠です。ホテルからの見返りが何もなくとも結局自分には一切損がない。会議にも間に合う。ならば喚くだけ喚いてみようといったところでしょうか」


よどみない推理に男は絶句した。
私も。

「あ……う……その」
「随分手慣れていたので常習性もありますね。もっと検証すれば証拠も出てくるとは思いますが」

大量の脂汗をかいた男性は、竜崎様からじりじり離れるように後ずさりしはじめた。
我に返った私が「あの、タクシーの手配を」と声をかけるが、彼は発射ボタンでも押されたかのようにワアアッと走り出してしまった。足をもつれさせながらドアの向こうに飛び出し、すぐに人ごみにまぎれて見えなくなる。


「走って間に合うならそうすべきです。最初から」

まあ、それができないからあの体形なんでしょうが。
そう一言付けたした竜崎様が私の目の前に立つ。

「無駄な時間を過ごしました。いいですか」
「あ……はい」
「2階のカフェテリアでケーキを食べようとしたら完全予約制と言われてしまいました。予約はここでできますか」
「あ、はい」
「ではしてください」
「はい、え、ええと……本日の14時以降ならご予約可能です」
「では14時にお願いします」

それだけ言ってスタスタ離れていく竜崎様。
(あ!お礼…!)
そう気付いた時には彼はとっくにエレベーターに乗り込んで帰ってしまっていた。

「………」

夢から覚めた時のようにぼうっとしていた私は、急にハッとして内線電話の受話器をとった。番号の先は2階のカフェテリアに繋がっている。

「コンシェルジュカウンター、苗字です。14時にご予約、最上階ロイヤルスイートの竜崎様お願いいたします……はい、……はい、それで。はい……――――あ!すみません、あと………」

内線を切って再び立ち尽くす。

爪先から痺れるような熱が徐々に頭に這い上がってくる。
(わたし、なんて単純なの…)
許されるなら項垂れたい。頭をこのカウンターに2回か3回ぶつければ逃れられるだろうか。このあんまりにも馬鹿すぎる現実から。逃げたい。誰か助けてください、私、今史上最強に引いています。自分に。

「好きに………なった………」

 
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -