清々しい朝だった。そして清々しい朝には相応しい嬉しい知らせが(グリフィンドール寮所属である事以外には特に何の変哲もない)ホグワーツの一生徒であるナマエに届いたのであった。
『ナマエへ。
元気にしていますか。私たち両親はとても元気に毎日をおくっています。数日前に届いたあなたからの手紙に大喜びしてさっそく返事を書こうと二人で意気込んではみましたが、この手紙はちゃんと届いているのでしょうか(別談ではあるけど、このフクロウはとても愛らしいわね)これは母さんが書いているものだけど父さんも隣でうんうん唸りながら何を書こうか考えているわ』
そこまで読んでから、ナマエはくすりと笑って目を細めた。どうやら両親の心配症と少しだけ抜けている所は変わっていないようだ。
『この前あなたがそちらから送ってくれた不思議な種を庭に埋めてみたら、言葉にできないほど綺麗な花が咲いたの。
これはあなたが魔法で創ったものなんですってね。母さんとても嬉しくて涙が出てきました(それでね、ふと隣を見たら父さんも感激して目を真っ赤にしていたのよ!)お隣さんから見たら庭で泣いてる変な夫婦って思われたでしょうね』
「ナマエ、どうかしたの?」
「あ…おはようございます。ハーマイオニー」
「おはよう。何だかあなたとても嬉しそうよ?」
「両親から手紙が届いたんです」
「まあ、本当!それは良かったわね」
「ええ」
にっこり笑って食事を再開する彼女から手紙に目を戻せば、それが最後の文章である事に気が付いた。
『少し長くなってしまいましたね(初めての手紙にしては短かったかしら)あなたがホグワーツでの生活を楽しんでいると聞いて安心しました。
私たちはあなたからの手紙を心待ちにしているわ。何かあったらいつでも帰ってきていいからね。
風邪をひかないように気をつけて。――――父さんと母さんより』
手紙を読み終わる頃には私の心はほくほくと温まっていて、ここからは遠く離れた日本という島国に住む二人の夫婦に今すぐ会いに行きたいといった気持にかられた。
ナマエは眼鏡の奥の黒い瞳をきらきらと輝かせて溜息をついた。朝食はまだ一口も食べてないのにお腹がいっぱいな気がした。
「あら、ナマエ…どこへいくの?」
「少し庭の方へ出てきますね、授業までには帰るので心配しないでください」
「わかったわ。それじゃあ後でね」
心配してくれたハーマイオニーに小さく手を振って私は大広間を出た。廊下を駆ける足は軽く弾み口元には柔らかな笑みを称えている。
どん、と衝撃がはしって、ナマエはそのまま尻もちをついた。その拍子にカンカン、と眼鏡が床に飛ぶ音もする(ガシャンと聞こえないあたり、割れてはいないようだ)
「す、すいません、ぶつかってしまって。あの…お怪我は」
「……無い。穢れた血如きが気易く僕に触るな」
「…その声は、もしかしてドラコ・マルフォイくんですか」
自分やハーマイオニーの事をそう呼ぶのは彼くらいしか思い至らない。そして、浮かれ過ぎていたことを少しだけ後悔した。早く立ち去りたくて手探りで眼鏡を探せば直ぐ上から冷笑が聞こえる。
「お前が探してるのはこの不格好な赤縁眼鏡か?」
「…返して、ください」
「やだね」
欲しかったら自分で取ってみろ、とでもいうようにドラコは眼鏡を摘まんで弄ぶ。ナマエの視力も相当に悪いため、シルバーブロンズと揺れる何かがぼんやり見えるだけだった。
***
困り果ててしょんぼり座りこんでいるナマエを前にしてドラコは徐々に自分が悪いことをしているような気分になってきた。(実際しているのだが)
やがてそれが数分も続くとドラコはついに堪え兼ねて盛大に溜息をついた。
「ああ返すよ、返せばいいんだろ!」
「え?……あ、ありがとうございます」
差し出した眼鏡はしかし受け取られない。
ナマエの手が宙をかいてるのを見てもう一つ溜息をついたドラコは、彼女のやわらかな黒髪に少しだけ触れながら眼鏡を耳にかけてやった。
「ありがとうございます。これで、はっきり見えます」
「……そんなに目が悪いのか」
「ええ、とても」
目尻を下げて礼を述べるナマエにドラコはすっかり参ってしまった。毒気を抜かれたというのが正しい。
どうやら自分が眼鏡を取り上げた事など忘れてしまっているように思えた。
「じゃあ」
胸の中におこるむず痒さを忘れようと退散の姿勢を取ったドラコだが、すぐにナマエに呼び止められてしまった。
「マルフォイくん、朝食は食べられましたか?」
「……まあ」
「よかったら、私とお話をしませんか?とっておきの場所があるんです」
「は?……ああ、じゃあ」
時間的にも人気のない廊下をナマエと並んで歩く。自分は一体どうしてしまったんだ。誘いを断っても良かった……というかそうするべきだったのに、とてもそんな気にならない。
ナマエのふんわりした笑顔と春らしい暖かな陽気が少し自分をおかしくしたのかも知れない。
「……中庭?こんな処に何の用があるんだ」
「ここを見て下さい」
指さされた先には薄いピンクと鮮やかな紫が滲み入るように混ざった不思議な花が咲いていた。花弁は上向きにこぼれるように重なりあい、風に揺れて甘い香りを放っている。
ドラコはしばらくその花を食い入るように見つめていたが、やがて口を開いて「お前が咲かせたのか」と尋ねた。
ナマエは嬉しそうに頷く。
「綺麗でしょう」
「…ああ」
「まだ名前は無いんです。これから、もっと綺麗にさせてあげようと思って」
「これも魔法でやったのか?」
「色と潤いを保つために保持呪文を少しだけ」
そこでナマエは隣でまたじっと花に見入るドラコを見つめた。その視線に気付いたドラコが顔をあげる。
「マルフォイ君は、思ってたより優しい人ですね」
優しいなどと言われたことはこれまで一度もない。それも、グリフィンドール生に。
「僕は……お前が言うような優しい奴じゃない」
ドラコにとって、その言葉は屈辱に等しかった。沸々と沸き起こる怒りのままに腰を上げる。
「どうしてそんなことを会ったばかりのお前なんかに」
「何となくです」
「は?」
「なんとなく、思ってしまったんです」
ナマエは腕を伸ばして花びらに触れ、優しく、優しく撫でた。こちらを見上げた瞳は嬉しそうにほころぶ。
「だって、花を見つめるあなたは優しい顔をしていたから」
その時ドラコは、自分の中のどんな虚勢も彼女には通じないのだろうということを察した。
それと同時に一瞬忘れていたむず痒さが胸の底に甦る。それは、不愉快ではない、あたたかい何か。
「さっきは……意地悪なことをして、悪かった」
ナマエが首を振り、中庭が再び和やかな空気に包まれた。ドラコは先ほどとは一変した紳士的な面持ちで彼女の手を取る。
「僕のことはドラコでいい」
「私も、ナマエと呼んで下さい」
こうして二人は月曜日の朝、少しだけ異質な友人関係を築いた。
この出会いに二人が感謝するのは、それから数時間後の話である。
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